第4話 焼き鳥は、恋の味? 

 出版社に帰ると、もう一度、市川先生たちを迎えに行った。

あの焼き鳥屋は、それほど広くないので、今夜は、家来の三人は、勘弁してもらって

市川先生と彼女と私の三人で行くことにした。

 待ち合わせして、三人でいつもの焼鳥屋に行った。

「いらっしゃい」

 いつもの愛想のない店主のおじさんに迎えられて、三人でカウンターに座った。

一応、席順は、私を真ん中に、右に彼女、左に先生に座ってもらった。

「いらっしゃいませ」

 娘さんに迎えられる。

「こんばんわ、今日は三人なの」

「お客さんなら、何人でも歓迎ですよ。何なら、貸し切りとかしますよ」

「そうね。その時は、頼むわ」

 そんな会話をしているときも、彼女と先生は、店の周りを興味深げに見ている。

先生と私は、生ビールで、彼女はオレンジジュースを注文する。

焼き鳥は、三人なので、お任せで10本と煮込みを注文した。

「どうですか、先生」

「初めてきたけど、いい店だね」

 市川先生は、そう言って、笑った。

彼女は、すでに、戦闘モードでカウンターの中で、焼き鳥を焼いているおじさんを見ている。

 店内は、そこそこ客で埋まっていて、テレビではいつもの野球中継をしている。

テーブル席では、サラリーマンたちやカップルに女の子のグループで盛り上がっている。

「居酒屋さんというのも、久しぶりに来たけど、やっぱり、雰囲気いいね」

「先生は、こういうところには、来ないんですか?」

「金がないからね。それに、一人じゃ、間が持たないし、お酒もあまり強くないから」

「いっしょに行くお友達とかは?」

「情けないけど、作家をしていると、外に出ないから、友達もいなくてね」

 先生は、そう言って、少し暗い顔をした。

「よろしかったら、これからは、私でよければ付き合いしますよ」

「イヤイヤ、編集さんに、そこまで付き合わせるのは悪いよ」

「そんなことはありません。これからも、次回作の担当なので、気にしないでください」

 もちろん、お世辞だ。人間と酒を飲む付き合いなど、まっぴらごめんだ。

そこに、ビールとジュースが運ばれてきた。三人で、乾杯をする。

「あぁ~、これは、いつ飲んでも、おいしいわね」

 彼女の飲みっぷりは、相変わらず豪快だ。とても、ジュースを飲んでいるようには見えない。やがて、焼き鳥と煮込みが運ばれてくる。

「どうぞ、食べてください」

「それじゃ、いただくよ」

 と、市川先生が言う前に、彼女は、早くも串を手にして、かぶりついていた。

「うまいねぇ」

 先生は、ビールを飲みながら、焼き鳥を頬張った。彼女は、すでに焼き鳥に夢中だ。

「先生は、架空の本を書くときは、どんなことを考えて書いているんですか?」

 少しは、仕事らしい話をしてみようと思って聞いてみた。

「そうだねぇ・・・まずは、現実では、あり得ない話を考えるんだよ」

「例えば?」

「異世界の話とかね。竜とか出てくるんだよ。でもね、そんな話は、もう、ありきたりなんだよね」

 そう言って、先生は、小さなため息を漏らすとビールを煽った。

「そんなときに、麗子さんの話を聞いて、これだと思った。地球侵略に来た宇宙人が、地球人を愛してしまうという話は、正直におもしろいと思った。果たして、侵略者は、地球を侵略できるのか、それとも愛した地球人のために、侵略をしないのか、そんな話が書きたくなってね」

 先生は、そう言って、笑った。

「何の話だ?」

「今、先生と話をしてるんだから、アンタは、焼き鳥を食べてなさい」

 横から口を挟んできた彼女に言った。

「麗子、焼き鳥をもっと食べたい。それに、これは、すごくうまいな」

 彼女は、煮込みをかき込んでいる。それは、そういう食べ物ではないんだけど、まぁ、いいか。私は、焼き鳥の追加を頼んだ。

「でも、編集長も喜んでいたし、編集作業が終わり次第、書籍化の予定です」

「それは、うれしいね。久しぶりの本だ」

 そう言って、先生は、うれしそうに笑って、先生と私は、ビールのお代わりをした。

「それで、次の話なんですけど・・・」

「アレは、この子たちの話を聞いて、思いついたんだよ」

「でも、それって・・・」

「イヤイヤ、おもしろいじゃないか。家来を連れたお姫様が、人間界で修行するという話なんて」

「しかし、それは、あり得ない話で・・・」

「もともと、小説は、フィクションだし、あり得ないところから生み出すのが、作家なんだよ」

 先生は、お代わりのビールを一口飲むと、続けてこう言った。

「麗子さんは、現実世界しか、信じないタイプなのかな?」

 宇宙人の私に、そんな質問は、愚問でしかない。

「現実の世界ほど、退屈な世界は、ないと思わないか? 現実には、もしかしたら、我々人間以外の誰かがいるかもしれないじゃないか。ただ、目に見えないだけで、いるかもしれないだろ。ぼくたち人間は、残念だけど、見えるものしか信用しないんだ」

「そうでしょうか・・・」

「ぼくはね、やっぱり、目に見えるものとか、科学的根拠があって、解明したものしか信じない。だけど、説明できないことだって、現実には、たくさんあるだろ。それが、知りたいんだよ。だから、この子たちの話は、ひょっとしたら、ホントのことかもしれない。まぁ、そうは思わないけどね」

 そう言って、先生は、焼き鳥を一口食べる。

私は、横目で彼女を見ると、テレビの野球中継に夢中だった。その間も、焼き鳥を頬張っている。話を聞かれなくてよかった。

「それじゃ、先生。この子たちの話が、もしも、本当だったとしたら、どう思いますか?」

 ちょっとイジワルなことを聞いてみた。

「そうだなぁ・・・」

 先生は、目を閉じて、額にしわを寄せ、少し考えてから口を開いた。

「おもしろいじゃないか。それが、ホントなら、ぜひ、見てみたい」

「それ、本気で言ってますか?」

「もちろんだよ」

 先生は、即答した。

「でも、信じてないんですよね?」

「う~ン、そう言われると返事に困るけど、今は、半々かな」

 先生の気持ちは、揺れているらしい。

「話に割り込んで申し訳ないが、アンタは、宇宙人とか妖怪とか、信じているかね?」

 先生の隣の老人が口を挟んできた。

「見たことはなくても、いると思うかね?」

「う~ン、ぼくは、いると思うね。いや、いても不思議じゃない」

「不思議じゃないか・・・ 確かにそうとも言えるわな」

 私は、先生にそっと、その老人のことを伝えた。

「この店の常連のおじいさんなんですよ」

「なるほど。おもしろい人じゃないか」

 先生は、そう言うと、老人の方に向き直って言った。

「根拠のない言い方を言えば、いても不思議ではない。また、いると信じたいですね」

「信じなくても、いるんだよ。アンタのすぐそばにね」

 老人は、そう言って、意味深な笑みを浮かべると、酒をグイっと煽った。

先生は、店の中の人たちを見渡している。

「まさか・・・」

 そう言ったけど、私は、一瞬、ドキッとした。この老人は、ときどきビックリするようなことを言う。

私の正体を知っているのかと思う時がある。もちろん、そんなはずはないが・・・

「アンタが信じたら、きっと、その得体のしれないものは、出てくるんじゃないのかな?」

 老人は、なおも続けた。先生は、それを聞くと、何か思ったらしく、私の方を向いた。

「麗子さん、ぼくは、キミには、とても感謝しているんだ」

 突然、そう言うと、私の手を取って、両手で握りしめて、何度も頭を下げた。

「ありがとう。キミのような編集さんが、担当になってくれて、ホントによかった。おかげでいいものが書けた。これからもよろしく頼みます」

 そう言うと、深々と頭を下げた。

「あぁ、いや、その・・・」

 私は、なんて言ったらいいかわからなかった。突然、そんなことを言われても返事に困る。何よりも、地球人の男に手を握られたことなんて、これが初めてだ。

「あっ、ごめん」

 先生は、気づいて、私の手を離す。

「麗子さんがいれば、きっと、目に見えないものが、見えてくる気がするんだ」

 もう、先生の目の前に、宇宙人と怪物王国のお姫様がいるんだけど・・・

先生は、残ったビールを一気に飲み干すと、気持ちよさそうに声を出した。

「今日は、とてもいい夜だ。楽しくて、おもしろくて、気持ちのいい夜だなぁ」

 どうやら酔っぱらっているようだ。私は、大きく息をつくと、少し顔を赤くした先生を見た。

隣を見れば、野球中継で盛り上がっているサラリーマンたちと、笑いながら話をしている彼女がいた。

「アレくらい、打てるでしょ」

「あいつの投げる球は、早いんだよ」

「あたしだったら、簡単なのに」

「子供が何を言ってるんだ」

「子供じゃないわ。あたしは、お姫様よ」

「お姫様?」

「そうよ。あたしは、怪物おう・・・」

 私は、慌てて、彼女の口をふさいだ。

「ちょっと、ダメでしょ」

「うぐぐ・・・ちょっと、なにすんのよ。無礼でしょ」

 減らず口だけは、達者な困ったお姫様だ。

「すみません。会計してください。どうも、ご馳走様」

 こうなったら、帰るしかない。市川先生も、だいぶ酔っているし、帰るには、

ちょうどいい。

「イヤよ。あたしは、もっと、焼き鳥を食べたいもん」

「お土産に焼いてもらったから、帰って家で、家来たちと食べなさい」

「さすが、麗子。気が利くな」

 子供のくせに、大人を呼び捨てにするとは、お姫様じゃなかったら、引っ叩いてるところだ。

今夜は、私のおごりにすることにして、会計を済ませて、店を出る。

「またな、人間たち」

「また来いよ、おもしろい、お嬢ちゃん」

 すっかり仲良くなったらしい、見知らぬサラリーマンたちに手を振っている彼女は今夜もご機嫌だった。

私は、先生と彼女を送るために、駅まで向かった。歩いても数分の距離でも、先生の足取りはおぼつかない。お酒を飲ませすぎたかもしれない。ホントに酒に弱い生き物だと、改めて思った。

「ほら、落とさないように、ちゃんと持ちなさい」

 私は、お土産の焼き鳥を彼女持たせて、先生に肩を貸した。

「早く帰って、これを食べよう。あいつらも楽しみにしてるからな」

 彼女の足取りは軽かった。しかし、先生は、私に肩を預けて重い足取りだ。

「すまんな、麗子さん」

「いいですよ。ちょっと、飲み過ぎましたね」

 私と先生のやり取りを横目で見ながら、彼女は楽しそうだ。

普通なら、このまま駅で電車に乗せて別れるところだが、先生と彼女を二人だけで

返すのは、ものすごく心配なので、ウチまで送り届けるしかない。

 市川先生の足取りは、さらに重くなってきた。

目もうつろで眠くなりそうだったので、私は、思い切って超能力を使うことにした。

「姫ちゃん、このまま帰るから、私の手を握って」

 私は、彼女に言った。

「例のアレを使うのか? いいのか、この人間の前で使って」

「大丈夫よ、酔っぱらってるし、覚えてないから」

 私は、そう言って、彼女の手を握ると、目を閉じて先生の自宅を思い浮かべる。

そして、私たち三人は、一瞬にして、先生の自宅前に移動した。

「先生、ウチに着きましたよ」

「もう、着いたのか。早いな」

「ここからは、一人で帰ってください」

「うん、悪かったな、麗子さん」

「それじゃ、おやすみなさい。また、明日、原稿を取りに来ます」

「頼むよ。おやすみ」

 そう言って、先生は、フラフラしながらも自分の足で歩いて、玄関から中に入っていった。

部屋の電気がつくのを確認してから、私は、彼女を向かいの家まで送り届けた。

「お帰りなさいませ。遅かったから、心配したチュン」

「とにかく、無事に帰ってきて、よかったニャン」

「ゲロゲ~ロ」

 三人の家来たちが揃って出迎えた。揃いも揃って、過保護な家来たちだ。

「ほら、お前たちにも土産を買ってきたぞ」

 そう言って、持ち帰りの焼き鳥を見せる。

「このニオイは、もしかしてチュン」

「あの、焼き鳥ではないかニャン」

「ゲロゲ~ロ」

 そう言って、三人は、彼女を連れて、家の中に入っていった。

「それじゃ、おやすみ。今夜は、楽しかったぞ。またな、麗子」

「ハイハイ、おやすみ」

 私は、かなりいい加減に挨拶して別れた。

彼女が、家の中に消えるのを見て、思わず先生のウチを見てみた。

部屋の電気は、まだついているようだった。いくら酔ったとはいえ、先生も大人の男だ。

季節柄、放っておいても風邪をひくようなことはないだろう。

そう思って、駅まで歩きだした。しかし、なぜか、その足が少し歩いて止まった。

気が付くと、私は、踵を返して、先生のウチの方に歩いていた。

そして、玄関を開けて中を見た。先生の姿はなかった。

声を出さずに、静かに靴を脱いで中に入る。短い廊下を歩いて、部屋の中をこっそり覗くと先生は、机に向かって原稿を書いていた。

 私は、気配を消して、そっと部屋に忍び込んだ。

アレほど酔っていた先生が、原稿なんて書けるわけがない。酔っぱらって小説を書くなんて、出来るわけがないのだ。それなのに、先生は、机に向かって、一心不乱でペンを走らせていた。

 気配を消し、姿を消し、先生の後ろからこっそり覗き見た。

「あっ・・・」

 思わず声に出そうになった口を自分の手で塞いだ。

そこには、走り書きだが、今夜のことが書いてあった。

『見えないものが見えるとき』『見えると信じたときに、それは現れる』『見える世界だけではない』『空を飛んでいたのは、夢か幻か?』『お姫様の秘密』。

これを目にしたときは、さすがの私もドキッとした。

私は、そのままこっそり部屋を出て行くしかなかった。

「誰かいるの?」

 廊下に出たところで、ふいに先生の声が聞こえた。

まさか、私の気配を感じたのか? そんなバカな・・・

「誰? もしかして、見えない誰かなの? だったら、姿を見せてくれないか」

 先生は、まだ少し酔っているらしく、フラフラしながら廊下に出てきた。

酔っているから逆に、私の気配を感じているのかもしれない。

私は、返事をしないで、そのまま静かにウチから出ていくしかなかった。

 先生のウチを出て、少し歩いて、周りに人がいないのを確認してから、姿を現した。

「あぁ~、ビックリした」

 私は、思わずそう言って、胸に手を当てた。すると、心臓がドキドキしているのを感じた。

「どうしちゃったんだろう、私・・・」

 独り言のように呟くと、瞬間移動で、自分のウチに移動した。

自分の部屋に到着して、やっと、胸の鼓動が落ち着いた。

いつもなら、コンピュータに今夜のことを記録して、本星に報告するところだが、今夜はやめておこう。

理由は、自分でもわからないけど、今夜に限っては、やらない方がいいと思った。

 真っ暗な部屋の中で、私は、自分のベッドに倒れ込んだ。

何も見えない天井を見詰めながら、静かに目を閉じて、今夜のことは、考えないように決めた。


 翌日、私は、編集長に連絡して、直接、市川先生のウチに行くことを伝えて、原稿をもらってから出版社に出社することを伝えた。時計を見ると、朝の9時を回ったところだった。

私は、着替えてから電車で、先生の自宅に向かった。

 いつものように、壊れたチャイムを横目に見ながら、玄関の戸を開ける。

昨夜のことを思い出すと、少し胸がドキドキした。

「おはようございます。原稿を取りに来ました」

 私は、奥にいると思った先生に聞こえるように、少し大きな声で言った。

「おはよう、麗子さん」

 すると、玄関奥のキッチンから、市川先生が顔を出したから、私は、ビックリした。

「あっ! 先生・・・」

「すまん、すまん。驚かせたかな。ちょうど、朝飯を作ってるところなんだよ。よかったら、麗子さんもいっしょにどうかな?」

 昨日とは、別人のような、明るい表情で、髪も整え、ヒゲも剃り、洗ったばかりのような白いシャツにちょっとこじゃれたジャージを履いて、私を迎えてくれた。

「いえ、私は、大丈夫です」

 それだけ言うのがやっとだった。いきなりのことで驚いただけでなく、いつもの市川先生とは思えない

明るい顔と何か吹っ切れたような表情が、私にはちょっと眩しくてドキドキした。

「ちょうど、ご飯が炊けたところだったんだけど・・・ 食べて来たならしょうがないか。向こうの部屋で少し待っててくれないかな。すぐに、食べちゃうから」

「いえ、ゆっくり召し上がってください」

 私は、それだけ言って、少し早足で先生の部屋に向かった。

誰もいない部屋の隅に座っても、なんだか落ち着かなかった。

いつもなら、机の前に先生が座っているのに、今は、私しかいない。

一人でいるのが、何か心細かった。

 先生が食事を終えるまで、時間があるので、私は、机の上の出しっ放しの書きかけの原稿を見てみた。

昨日と同じように、殴り書きのメモと、執筆中の小説の続きが書いてあった。

私は、それを手に取って読んでみた。そこには、お姫様と三人の家来たちのことが書いてあった。

 数枚あった原稿を私は、夢中で読んでいた。途中までだが、確かにおもしろかった。

だから、後ろに朝食を終えた先生がいるのを、まったく気が付かなかった。

「お待たせ、麗子さん」

 そう声をかけられて、私は、飛び上がりそうになった。

「せ、先生・・・」

「どうしたの?」

「いや、別に」

 私は、慌てて原稿を机に戻して、後ろに下がった。

「それ、読んでくれた?」

「ハイ、おもしろいです」

「それはよかった。この続きが、また、おもしろくなるんだよ。今、書くから、ちょっと待ってて」

「ハイ、お待ちしてます」

 そう言うと、先生は、机の前に座って、続きを書き始めた。

しばらくは、ペンで文字を書く音しか聞こえない。私は、それが好きだった。

パソコンでキーを叩いて小説を書く音より、原稿用紙にペンで書く音のが好きだ。

特に、市川先生の場合は、それがリズミカルで、筆が進んでいるのが、音を聞いているだけでわかる。

「そうそう、昨日は、ご馳走になって、すまなかったね。ホントに、ありがとう。おいしかったよ」

 不意に、先生は、私の方に振り向くと、そう言った。

「そうですか、それは、よかったです」

「ぼくは、酒も弱いし、飲みに行くような知り合いもいないし、久しぶりに外で飲んだり食べたりして、楽しかったよ。それに、不思議な体験をしたような気もしてね。また、行ってみたいね」

「そ、そうですか・・・ それじゃ、また、お連れします」

 私は、かなりドキドキしながら言った。先生にバレなかっただろうか?

「うん、楽しみにしてる。そうだ、この小説が書きあがったら、あの子たちも呼んで、食べに行こうか」

「そうですね。いいと思います」

「よし、それじゃ、張り切って、書かないとな」

 先生は、そう言うと、また、机に向かってペンを走らせた。

私は、まだ、胸がドキドキしていた。それが、なぜなのか、宇宙人の私にはわからない。

昨日のこともそうだ。地球に来てから、いろいろな人間たちに会ったが、昨日の先生のように感謝されたり、手を握られたことは、ただの一度もない。

もちろん、この私が、地球人の男を好きになるとか惚れるとか、そんなことはあり得ない。

なのに、この胸の高鳴りは何だ? 私にとって、初めての経験だ。

それが、今日になったら、胸の奥が熱くなってきた。

 なんでだ? どうしてだ? 私は、自分に問いかける。

しかし、その答えは出てこない。

そんなことをぼんやり考えていると、先生は、書き終えた原稿を私の方によこした。

私は、ハッとして、現実に戻ると、畳に落ちた原稿を拾って、急いでパソコンに打ち直す。

 今日の先生は、ペンが乗っている。一枚の原稿用紙を書くのが、いつもより早い。

この調子なら、あと一週間か10日くらいで、書き上がるのではないかと思う。

 そんな時だった。あの子たちがやってきた。

「オースッ、イッチー、起きてるか?」

 彼女の明るい声が聞こえた。そして、聞こえたと思ったら、部屋の障子を勢い良く開けた。

「なんだ、麗子も来てたのか」

「ちょっと、静かにして。先生は、今、大事な執筆中なのよ」

「そうか、そりゃ、邪魔して悪かったな。昼ご飯にと思って、食事を作ってきたんだ。麗子も食べるだろ」

「わかったから、それは、後でね。今、大事なとこだから、静かにして」

「わかった、わかった。おい、お前たち、あっちで料理を作るぞ」

「ハイ、チュン」

「任せるでニャン」

「ゲロゲ~ロ」

 彼女と三人の家来たちは、キッチンの方に消えていった。

まったく、こんな時に・・・ あの子たちは、ホントにタイミングが悪いというか、空気が読めないというかこっちのことなど、お構いなしでマイペースだ。

お姫様だから、仕方がないとは思うけど・・・

 やっと静かになって前を向くと、先生は、まったく気にしてないというか、彼女たちが来たことすら感じていないのか、ペンをひたすら走らせていた。集中しているときは、何も聞こえないらしい。

作家先生というのは、そういうモノなのかと、私は、少し感心した。

 しばらく静かになったので、私は、書き終えた原稿をパソコンに打ち直す作業に没頭した。

でも、それも、長くは続かなかった。キッチンの方から、彼女たちの声と大きな音が聞こえてきた。

「こら、ネコうなぎ、落とすな」

「ごめんニャン」

「また、麗子に怒られるぞ」

「ハイ、ニャン」

「ほら、スズメ男。お湯が沸いてるだろ。火を消せ」

「ハイ、チュン。アッチッチ・・・」

「だから言っただろ」

「ゲロゲ~ロ」

「河童、お前は、つまみ食いばかりしてないで、もっと働け」

「ゲロゲ~ロ」

 何やら、キッチンの方が賑やかになってきた。こっちの部屋まで、声が漏れてくる。

それでも、私は、無視して、聞こえない振りをしながら、パソコンに打ち込む作業を続けた。

「ネコうなぎ、しょうゆを入れ過ぎだチュン」

「これくらいがちょうどいいんだニャン」

「そんなに入れたら、体に悪いチュン。河童、ちょっと舐めてみるチュン」

「ゲロゲ~ロ」

「ほら見ろ。こんなの人間が食べたら、体を壊すチュン」

「それじゃ、もう少し、薄めるニャン」

「ネコうなぎ、ここは、怪物王国じゃないのよ。しっかりしなさい」

「ごめんニャン」

 だんだん騒がしくなってきて、イヤでも聞こえる声に、私は、ついに我慢できなくなった。

私は、立ち上がると、静かに障子を開けて、廊下に出ると、そのままキッチンに向かった。

「ちょっと、アンタたち! 静かにしなさい」

 私は、キッチンの入り口に立つと、彼女たち四人を一喝した。

四人の動きがピタッと止まると、私の方を見た。

「何をしてるのか知らないけど、静かにしないなら、出てってもらうわよ」

「ほら見ろ、麗子に怒られた」

「姫ちゃん、アンタもよ」

「あたし? あたしじゃないぞ。こいつらが・・・」

「同じことよ。いいから、あと少しだから、静かにしてちょうだい」

 私は、そう言うと、キッチンを後にして、部屋に戻った。

「まったく、あの子たちったら・・・」

 知らないうちに、独り言を言っていた。

「いいじゃないか。あの子たちも、ぼくのためにやってくれているんだ。賑やかなのは、いいことだ」

 先生は、ペンを走らせながら、こっちも見ないで言った。

もしかして、先生は、この騒ぎもちゃんと聞こえていただろうか?

それなのに、書くペースは、変わっていない。集中力のすごさには、感心した。

これが、地球人という生き物の特技なのだろうか? 今夜は、本星へ報告することが一つ増えた。

 その後は、いくらか静かになりはしたものの、相変わらず、キッチンからは声が聞こえる。

そして、お昼を回ったころになって、先生がペンを置いた。

「少し、休憩するか」

 そう言うと、ペンをそのままにして立ち上がった。部屋を出て行く先生の後に私もついて行く。

「おや、うまそうなニオイがすると思ったら、何を作っているんだい?」

「イッチー、仕事は、終わったのか?」

「休憩だ。腹も減ったから、昼飯にしようと思ったんだけど・・・」

「だったら、その心配はない。あたしたちが作ったから、みんなで食べよう」

「ありがとう。それじゃ、遠慮なく、ご馳走になるよ」

 そう言うと、先生は、テーブルに着いた。

「何してんだ。麗子も、ここに座って、食べたらどうだ」

「イヤ、私はいいから」

「何を遠慮してるんだ。昨日は、ゴチになったし、これは、その礼だ。遠慮しないで、食べてくれ」

 彼女が言うと、家来たちが、私を椅子に座らせた。

「姐さんも食べるチュン」

「おいらが作ったから、絶対、おいしいニャン」

「ゲロゲ~ロ」

 結局、私もお昼ご飯をご相伴になった。

確かに、おいしかった。豪華なお弁当という感じだ。

「しかし、いいな」

「何が、いいんだ?」

 突然、先生が思いつめたように言った。それに、彼女が聞いた。

「ぼくは、今まで、一人ぼっちだったろ。食事だって、一人だし、売れない作家だから、ろくに飯も食えなかったし、家にいても静かで、正直、寂しかったよ。それが、どうだ。急に、キミたちが来るようになって家の中が賑やかになって、昨日みたいに、外食もできた」

「あたしたちに、感謝しなさいよ」

 彼女が胸を張った。私は、そんな彼女を睨みつけたが、彼女は、まったく気にしていない。

「やっぱり、食事は、みんなで食べる方がおいしいからな」

「そうだチュン」

「そうに決まってるニャン」

「ゲロゲ~ロ」

 確かにその通りかもしれない。地球人というのは、寂しがり屋だ。

しかも、一人では生きていられない生き物だ。宇宙人の私には、考えられないが、一人というのはとてもつらいことなのだ。その証拠に、市川先生は、日に日に表情が豊かになっている。

それに、最初に会った時に比べると、口数が増えて、話すようになってきた。

こうしてみると、表情豊かで、笑うとそこそこいい顔をしていることに気が付いた。

そして、気が付くと、私は、自然と先生を見ていた。

 

 昼食が終わって、彼女たちは、片づけをすると、帰っていった。

先生は、執筆活動を再開する。私も、パソコンに打ち込む作業を続けた。

彼女たちが帰ると、家中がシーンとして、物音ひとつしない。

聞こえるのは、ペンを原稿用紙に書く音だけだ。執筆中は、先生も私も話をしない。

ずっと無言のままだ。そのまま時間が止まったような錯覚を覚える。

何時間たったかもわからない。お互いに時計を見たり、時間を気にすることもなく、

ずっと執筆活動に専念していた。

「あぁ~、疲れた。麗子さん、今日は、ここまでにしておこうか」

「ハイ、お疲れ様でした」

 私は、そう言って、原稿を大きな封筒に入れた。

「それじゃ、私は、出版社に戻って、編集長に報告します」

「ご苦労様。それじゃ、駅まで送ろうか」

「いえいえ、大丈夫です」

「そうじゃないよ。今夜の夕飯を買い物してこなきゃいけないだろ。送るついでにスーパーに行くだけだよ」

 私は、少しホッとして、パソコンをバッグにしまって、立ち上がる。

そして、私と先生は、二人で駅まで歩いた。

「今夜は、何にしようかな?」

 市川先生は、そう言って、商店街を歩いた。

「今夜も、あの子たちが来るといけないから、食材は、多めに買った方がいいかな」

「先生、甘やかしちゃいけませんよ。あの子たちは、自分たちでできるんですから」

「でも、食事は、みんなで食べる方がおいしいだろ」

 そう言われると、私は、反論できない。いつも一人の私にとっては、それが当たり前なのだ。

一人でいることが寂しいなどとは、考えたこともない。私は、星に生まれてから、ずっと一人だからだ。

そして、この星に来るのも一人だ。先生の言葉を借りれば、私は、一人ぼっちなのだ。

 結局、先生は、カレーライスを作ることにして、食材を大量に買って帰った。

私は、駅前で別れて、出版社に戻った。編集長に、今日のことを報告して帰宅した。

 部屋に戻った私は、押入れを開けて、コンピュータで一日ぶりの本星へ報告した。

地球人は、一人では生きていけない生き物だということ。一人は、寂しいということ。

食事は、大勢で食べたほうが賑やかで、おいしく感じるということを報告した。

我々の星では、あり得ないことばかりなので、地球侵略の時には、きっと役に立つ情報だった。

しかし、侵略した後はどうする? この星を滅ぼすということか? それでは、地球人たちはどうする?

全員殺すのか? 他の惑星に避難させるのか? どちらにしろ、侵略した後の、星の生き物たちにとって不幸が待っているのは、違いない。もちろん、その中に、市川先生も含まれる。それを思うと、胸の奥が締め付けられた。

この感覚が、今の私には、わからないのだ。

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