Tale.6『異世界のゴハン』

「それじゃあ聖女さま——」

「ルチアです」

「——ル、ルチア……」

「はい」


 せめて“さん”と敬称を付けたくなる気持ちをすんでのところで堪えて名前を呼ぶと、ルチアは満足そうに返事した。

 

「異世界の料理に興味はある?」

「異世界の料理、ですか?」

「うんまぁ、ウチは一応そういう店だからさ。と言ってももちろん、食材はこの世界のモノだよ。似たモノを集めたってだけ」


 改めて説明すると、この家の一階は食堂になっている。アオイが集めた食材で作る、異世界の料理を扱う店だ。


 ヒスイはこの店を継ぐことに積極的だったわけではないが、ある程度の技術を伝授されていた。


 アオイの死以降、取り揃えられなくなった食材は多いものの、店の体裁は保っている。


「食べてみたいです!」

「よしきた。しばしお待ちを」


 瞳を輝かせて興味を示してくれたルチアを見て俄然やる気を出したヒスイはエプロンをして厨房に立つ。


「やっぱまずはコレだよなぁ」


 アオイが職人に特注で作らせた土鍋と呼ばれる陶器を手に取り、米を入れて清潔な水で洗浄する。洗い終わったら規定量の水にしばらく浸し、魔導コンロで火にかけて炊けばホカホカご飯の完成だ。


 思い浮かべるだけで、ヒスイの中のニホン人のDNAが喜んでいる。


「さて、他には……っと」



 ・


 ・


 ・



「……………………」


 流れるような手つきで料理を進めるヒスイの後ろ姿を、ルチアは黙って見つめていた。

 

 男にしては少し長めで、整えられていないボサボサの髪。線の細い身体はなんとも頼りなく、しなやかな手足には傷一つない。


 冒険者生活の中では決して目にしなかったような類の人間。


(勇者様はもっとガッチリとしていて、覇気があって、格好良くて……)


 どちらが男として優れているかと問われれば、それは明白だった。


(それなのに……)


 後ろ姿を見つめる瞳に熱がこもってしまう。胸の奥深くから得体の知れない沸騰した感情が湧き上がってきて、自然と鼓動が早まる。


(どうして……?)


 ルチアは両手で自身の身体を強く抱き寄せる。想い人ではない男に初めてを捧げた身体を。


(嫌じゃ……なかった……)


 自分の中の大切なモノが書き変えられていくかのような、そんな感覚。


 今はまだ動揺の方が大きい。しかしそれも、時間の問題なのかもしれない。


(んっ……♡)


 今夜もまた、ルチアはヒスイに抱かれるのだろう。

 そう考えるだけで、淫紋が発動していないのにも関わらず、身体は疼き始めている。


 不思議なことに、罪悪感は薄かった。



「さぁ、できたよ」


 数十分後、ヒスイが料理を持ってくる。


「ルチア?」

「え? あ、すみません。少しボーッとしてしまって……料理、楽しみです」


 心ここに在らずだったルチアは慌てて気持ちを切り替える。


 異世界の料理に興味があるのは本心だった。


「ご期待に添えるかはわからないけどね」


 遠慮がちにそう言って、ヒスイはルチアの前に食事を並べる。


 まずは、大きな鍋から白くてツヤツヤした粒々の塊が茶碗へ盛られて差し出された。


「これは……えと、ライス、でしょうか?」

「そうだよ。知ってるんだね」

「あまり食べたことはないですけどね」


 セラトネル大陸の主食はパンだが、場所によっては米を食べる文化も存在した。

 しかしそれはとてもではないが質の良いモノとは言えず、現にルチアもいい印象を持ってはいない様子で苦笑いする。


「でもこれ……なんだか、いい香り……」


 食欲を掻き立てるような甘い香気が漂ってくる。ひとつひとつが粒だって輝くような見た目も、ルチアが知っているそれとは乖離していた。


 それもそのはず、この米はアオイが改良を重ねることで日本栽培のものへ限りなく近づけた特製品である。


「そのライスにこれをかけて食べてみてほしいんだ」

「これって、まさか生の卵……?」

「その通り。これこそ異世界ニホンの伝統食。TKG(卵かけごはん)さ」


 ふふんと得意そうに鼻を鳴らすヒスイ。

 

「ダ、ダメですよそんなの! 生の卵なんて食べたらお腹を壊してしまいますよ!?」


 卵は火を入れて食べるのが基本だ。生なんて食べられたモノじゃない。


 しかしヒスイが持っているこの卵もまた、日本のそれと同等の品質を保っている——アオイの努力の結晶のひとつである。


 ヒスイにとっては、朝ごはんの定番。子供の頃から毎日のように食べてきた大好物だ。


「大丈夫大丈夫」


 笑いながらお椀に卵を割って、ルチアに差し出す。


「ほら、見てみて?」

「あれ……?」

 

 その卵もまた、ルチアの知っているものとはまるで異なっていた。

 卵といえば濁った白身に薄い黄身で、鼻をつくような嫌な匂いがしているのが普通だ。しかしこれは黄身が夕日のように鮮やかなオレンジ色で、ツンとする匂いもなく、高い鮮度を窺わせる。


「ほ、本当に食べられるんですか?」

「もちろん。なんなら俺が先に毒味しようか」

「い、いえ……それには及びません……!」


 ここまで言われたら教会の人間としては信じないわけにはいかない。

 

 それに何より目の前の未知への興味は大きいものだった。


「この卵をライスにかけるんでしたね?」

「うん。真ん中にね」

「はい……!」


 緊張しながらも丁寧にライスの上に卵を流しかける。


「次はこれ」

「これは?」

「醤油っていう調味料だよ」


 小さなビンに入った黒いソースは、ルチアにとっても完全に初見だった。


「えと……簡単に言うと豆などの穀物を発酵、熟成させたモノ……かな?」

「ハッコー、ジュクセー?」

 

 知らない言葉の連続に思わず首を傾げる。


「あー、えっとー、まぁいいや。とりあえずかけてみてよ。美味しいから」

「は、はい……では……」

「さっと一周、円を描くようにね」


 言われた通りに醤油を回しかける。

 まろやかな旨みのある芳醇な香りがふんわりと鼻腔をくすぐった。


「最後に軽くかき混ぜるんだけど……ごめん、ちょっと待ってて」


 テーブルに置かれた2本の細い棒状の食器——“箸”を眺めてポカンと静止しているルチアに気づいて、ヒスイは急いで厨房へ戻る。


 完全に日本かぶれな生活を送っているヒスイの普段使いはもっぱら箸だ。

 セラトネル大陸においてはスプーンやフォークが主流というのをすっかり忘れていた。


「はい、どうぞ」


 スプーンを持ってきて、ルチアに手渡す。それを握ると、恐る恐るご飯をかき混ぜた。


 トロッとしたオレンジを纏った白米をゆっくりと口へ運ぶ。


「————っ!!」


 瞬間、瞳を瞬かせるルチア。1回、2回と咀嚼を繰り返し、喉を鳴らして飲み込んだ。それから数秒の間固まって、卵かけごはんを見つめていたかと思うと——


「おいしい……! こんなに濃厚で旨みの強い卵、初めて食べました! ライスも信じられないくらいふっくらとしていて、口の中で噛むたびに甘みがじんわりと染み出してきて……おいしいです!」


 ——口元を押さえて、興奮気味にそう言ってくれた。


 ヒスイはホッと胸を撫で下ろす。


 実のところ、受け入れられるかどうか一抹の不安を抱いていた。

 生の卵というのはやはり、この世界の人にとって抵抗が大きい。ソクボ村の人間にも受け入れられてはいない。


「それは良かった」


 それでも、自分が大好きなメニューだからという理由でヒスイは卵かけごはんを選んだ。


 喜んでもらえたことが、たまらなく嬉しい。


 ルチアはあっという間に卵かけごはんを食べ切った。


「…………………〜っ」


 空になったお椀を見つめて、なぜか居た堪れなさそうにモジモジとしているルチア。


「……おかわりする?」

「は、はい……! いいんですか……!?」

「実は他にも色々と作ってあるんだけど、どうかな?」

「ぜ、ぜひ、いただきますっ」


 意外と食いしん坊なのだろうか。それとも昼まで寝ていた分の反動か。とにかく、たくさん作っておいて良かった。そんなことを思いつつも、土鍋からライスを盛り直す。


 それから味噌汁や卵焼き、作り置きしていた野菜の漬け物などを追加で出してあげたり、卵かけごはんにネギや削り節をトッピングしてあげると、それはもう嬉しそうに全て平らげてくれたのだった。


 



——————



卵かけごはんは料理です()


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