第32話 魔術世界の掟
俺達の来訪を歓迎する神父。
彼は、優しい笑顔で固められた顔を下へと向けて、お辞儀する。
その礼はメイドである真矢さんのものとは少し違い、余裕のあるゆったりしたものであった。
「冴島さん、この人が?」
隣に立つ冴島さんに尋ねる。
すると、彼女は頷く。
「うん、この眼鏡の人。表の顔はこの羽根宮教会の神父。でもその裏は、緑崎市内の魔術関連の情報を裏で操り、秘匿する為に協会から派遣された監視者。名前は
「ははは。冴島さん、それでは私が悪者みたいじゃないですか。私は確かに監視者ではありますが、本職はちゃんと神父です。最近だって、ここで結婚式を挙げたばかりんですよ?」
冴島さんの言葉にご冗談を、といった感じで返す羽根宮神父。
彼のほほ笑みは心からのものだとは思うが、ハッキリ言って妙に気持ち悪い。ずっと笑ってるセールスマンとか、ずっと笑顔な宗教勧誘のおばちゃんとか、そういった類のものだ。
「へー。珍しいこともあるんですね。こんな教会で結婚式だなんて」
「珍しいですよねー。ここ最近では結婚しても式を挙げない人が多くなっているらしいので、正直油断をしてました。ですがまあ、良い笑顔が見れて良かったですよ。それから”こんな教会”って言うのはやめて下さい、心に刺さりますので」
胸を押さえ、神父は苦笑いする。
悪い人......ではなさそうだ。
「まあそんな話は置いておいて。......彼ですか? 貴方が管理している一般人というのは」
視線とともに話題が移る。
優しかった神父の表情は急に静まり、針のような視線がツンと俺に突き刺さる。
「–––––––ッ」
その鋭い目に、俺は一瞬だけたじろぐ。
睨まれているわけではない。神父の表情は怪しくも優しいものだ。
だが、背中に銃口を突き付けられるような、そんな気味の悪い気分になる。
「はい。彼です」
冴島さんが頷き、答える。
「なるほど。では、貴方の名前は?」
質問が生ぬるい音色と共に投げかけられる。
俺は謎の威圧感や緊張感を覚えながらも、その質問に対して恐る恐る口を開いた。
「......南、弘一です」
「南 弘一......では、南さんと呼ばせていただきます。お互いにお見知りおきを」
再び頭を下げる神父。
その行動に対し、俺も咄嗟に頭を下げる。
「い、いえ、こちらこそ、どうも」
......ビビっているのか、地味に反応がぎこちない。
足も妙に震えるし、瞼は小さく痙攣している。
神父はそんな俺を目にして「フフ」と声を漏らす。やはり見抜かれていたようだ。
「そう緊張なさらず......と言っても、流石に難しいですね。ですので、ご自分のペースに合わせてもらって結構です。気楽、にはならないかもしれませんが、しんどくなることはないでしょうから」
「......はい。なるべくそうできるようにはします、神父」
よろしい、といった感じの顔をすると、神父は視線を冴島さんに戻す。
「では、前置きはこれぐらいにして早速本題に入りましょう。内容はもちろん、お隣にいる南 弘一さんについてです」
神父の目が細くなる。同時に顔から笑顔が消える。
「冴島さん。貴方、どういうおつもりですか?」
冷たい声。
容赦の無い威圧。
強い言葉じゃないのに、神経に響くような口調と声色。
それが、教会の中で小さく木霊する。
俺は隣にいる冴島さんに目を向ける。
そこには、先程までの軽い感じだった彼女は無く、真剣な顔で神父に対峙する女性がいた。
神父は続ける。
「魔術師の世界は、言わば無法地帯といったところです。一般の世界では罪なことが、この世界では罪にはならない。むしろ、それで魔術が発展するのならば是非ともやるべきである。慈悲、人道、道徳......それら人の心が存在しない社会、そして業界、そして世界。それが魔術世界です。ですが、そんな世界にも数少ない掟がある。それが、魔術、魔術師という存在の秘匿。......当然、それはご存じですよね?」
「知ってますよ、そんなこと。魔術と魔術師、もしくは魔術に関連するもの。これらが世に広まることで発生する一般社会の混乱。それによる差別。それによる戦争。もしそんなことが起こってしまった場合、魔術の発展に害が出るかもしれない。だから神秘の秘匿は絶対。もし一般人にバレたら、殺処分して魔術の情報とその掟を守る。私、れっきとした魔術師の家系なので、子供の時からそう教育されてます」
説明を返す冴島さんに、神父は眼鏡を光らせる。
そしてくいっと指で眉間のフレームを上げ、口を開く。
「......それが分かっていながら、どうして彼を放置しているのです? 掟を知らない独学者でもないでしょうに。何故、そのようなことを?」
「色々とあるんですよ、こっちにも。端的に言うと、私は南くんにちょっとした借り、というか恩があって。だから殺すわけにいかない。一応、恩人ですから」
「ほう。恩人ですか、それはそれは。ですが......だとしても、制裁対象ものですよ、それ。私も協会の監視者なものですから、それ相応の対応をしなければなりません。そうなれば、冴島さんの命もいただくことになる......それでも、彼を殺せませんか?」
「無理ですね。そうなっても私は彼を殺しませんし、殺されるつもりもない。徹底的に抗いますよ、私。それでも......やります?」
冴島さんは拳を握る。
視線はギッと神父へと向けられ、背中からは殺意が湧き出ている。
空気が凍り付く。
緊張が蔓延する。
感覚としてはまるで戦争前夜。
引っ張られた糸は、今にも千切れて弾けそうだ。
「–––––––」
俺はゴクリと喉を鳴らす。
正直なところ、今からでも背を向けてここから逃げ出したかった。
だが、もう手遅れだ。
1秒か、2秒か、3秒か。
俺が今から一呼吸するだけで、恐らく争いが始まってしまう。
故に、もう、逃げられない......
–––––––しかし、そんな空気の中で1人「フフ」っと鼻を鳴らす者がいた。
「いいやいいや。やめましょう、そんなこと。これじゃあお互いにメリットがありません」
突如、神父はそう言いだした。
晴れる緊張。
温厚を取り戻す空気。
冴島さんもその言葉と空気感を前に、握っていた拳を開いた。
「自分から言い出しておいて、それ?」
意味不明だ、と口にする冴島さん。
神父は首を横に振る。
「いやいや。何故なら私、戦闘力皆無ですので。やったとしても返り討ちですよ。そもそも、魔術師というのは戦う者ではありません。あくまで、研究者ですので。......冴島さんが彼をちゃんと管理しているなら問題ないでしょう。それに今は、掟なんかよりも重要なことがある」
「自分から南くんのことについてを今回の話の本題って言っておきながら?」
またもや意味不明だといった感じで冴島さんは言う。
正直、俺も意味不明である。
「いいえ、確かに彼は本題ですよ。ですがあくまで本題の内の1つ。冴島さんがどういった理由で彼を生かしているのか、それについて知りたかっただけですよ。大丈夫、まだ他話題は沢山あります」
一体何が大丈夫なんだか。神父の考えと行動は中々に読めない。それはまさに、真矢さん以上だ。
神父はそう言うと、祭壇前から離れ、横壁に埋め込まれた扉をガチャリと開く。
「付いてきてください。それについては中でお話しします。–––––––ついでに、あれの調節もしましょう。色々あって、ガタもきているでしょうから」
怪しく優しく、気味の悪い笑みを溢す神父。
彼の言葉に「......はい」と冴島さんは口にする。
そして、後ろに立つ真矢さんに視線を送る。
「–––––––」
その視線に対し、真矢さんは小さく一礼。......どうやら、何かしらの指示を送ったようだった。
神父は「どうぞ、中へ」と言い、扉の先へと消えていく。
それに続き、冴島さんと真矢さんも扉へと向かって歩き出した。
当然、俺も彼女達に付いていこうと思い、松葉杖で床を突き鳴らしながらその背中を追う。
すると、扉の前で真矢さんがくるりと振り返り、俺の前に立ちふさがった。
「申し訳ございません。南様はこちらでお待ちになっていてください」
そう言いながら頭を下げる真矢さん。
俺は「え?」と声を漏らし、「なんでですか?」と続けて尋ねる。
「理由は......言えません。込み入った事情がございます」
「込み入った事情って......俺に言えない事情とか、そんな」
納得がいかない。そう口にするが、真矢さんは「申し訳ありません」と答えるばかり。
そんな中、扉を開いた冴島さんが口を開く。
「南くん、ごめん。ちょっと色々とあるからさ、待ってて。ほら真矢。ジュース渡して」
冴島さんの命令に真矢さんは「はい」と返事をする。
そして、懐にしまっていたオレンジジュースの入ったペットボトルを取り出し、「水分補給にどうぞ」と俺に突き出した。
咄嗟のことだったので、俺は反射的にそれを片手で受け取る。
「ちょっと、俺はまだ納得して–––––––」
「申し訳ございません。それでは」
強引に話を切り、彼女は俺に背中を向ける。
そしてそそくさと冴島さんと共に扉の先へと行ってしまった。
「–––––––」
1人。沈黙。静寂。
俺は、祭壇の前で1人、置いて行かれてしまった。
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