悪役令嬢に成り代わったのに、すでに詰みってどういうことですか!?

タヌキ

すでに詰んでる……。1




 私の人生ってなんだったんだろう?


 ふと、薄れゆく意識の中でそう思った。夜のアスファルトに鮮血が広がっていく。


 先程まで渡っていたはずの横断歩道に私はなぜか寝そべっていた。私を中心に大きくなる血溜まりは、道路の端の白線にも広がって、次第に視界が朱で埋め尽くされていく。


 このまま目を閉じたら、死んでしまうのでは無いか、そう思うぐらい体が冷えて寒い。体温が血と同時に流れ出ているからだろうと冷静に考えると、恐ろしくて涙がポタリと零れた。


 ……まだ……まだ私は、何者にもなれていない。

 ただの事務員で終わるつもりなんてなかった、業績を上げて課長になる夢だってあったし、恋人を作って家族になる夢だってあった。


 どれもこれも、まだ夢見ているだけで、そうなる努力はしていなかったけれど、何者かになりたいと言う信念だけはあったつもりだ。


 目を開けていられないほどの睡魔に襲われて瞼が勝手に下りてくる。


 意識下でどれだけ拒否しようとも、逃れられずに死は勝手に訪れる。


 その事実が悲しくて、悔しくて、それでも無理をして目を開けているよりも、瞼を閉じているときの方が今際の際の心地よい安息を感じられる。ただ、その安息も、死にゆく体の寒さだけは消してくれない。


 …………これじゃ、私……何にも……。


 最後の最後に願ったのは、自分以外の何者かになりたいと言うことだった。





「クラリス様……お目覚めになられましたか?」


 誰かが、私の顔を覗き込んでいる。しかし視界に霞がかかっていて人物の判別は出来そうもない。それに部屋が真っ暗だ、深夜なんじゃないだろうか。


「食料の配給が到着しました、簡素ではありますがお食事をご用意できます」


 ……配給……そんな戦時中みたいな事を言われても困る。

 それに深夜に届く配給ってどんな…………?


 夢かなぁ…………。


 変な夢だと思いながらもう一眠りと考えて目を瞑り直す。それから布団を手繰り寄せて、また眠りの海へと落ちていこうと体の力を抜く。しかし、ぼんやりと明かりが灯って、まぶたの裏側まで明るくなり眠りを妨げる。きっと私に声を掛けている彼が、懐中電灯でも、私の目に当てているのだろう。


「あまり睡眠ばかり取られていますと、衰弱してしまいます。せめてスープだけでもお召し上がりください」


 話しかけられているうちに、段々と脳が働いてくる。日常的には有り得ない会話に、妙な危機感が働いておちおち眠っても居られなくなり、少しイラつきながら目を開けて、上半身を起こす。


 ……まだ、眠いんだけどなぁ。


「おはようございます。クラリス様」


 目をこすって、今まで声をかけてきた人の方へと視線を移すと、奇妙な緑色の髪をした青年だった。ちなみに私を照らしていたものは懐中電灯ではなく、ランプだったらしく、暗闇の中でも彼の顔ははっきり見えた。


「……え、ぅ……ど、どちらさん?」

「……?」


 ハッとして喉に触れる。


 ……声、私の声!こんな華奢な声だったか?合唱だったらソプラノを担当していそうな軽やかで柔らかい声だ。


 自分の記憶では、私の声は褒められたものじゃなかったはずだ、少しダミ声が混じったような決して綺麗ではない声であったはずである。


 私が混乱していると、青年も状況を飲み込めていないようで、小さく小首を傾げている。彼は少し緊張していて、何か返さなければと思ったらしく、しばらく視線をさまよわせたあと、口を開く。


「……ヴィンスですが、えっと、お食事を」

「が、外国の方?」

「い、いえ、我々同じ、アウガス国に所属していますが」

「あ、あら」


 ……き、聞いたことないなぁ……身に覚えが無い国名だ。というか、この人も知らないし、なんならここはどこ?


 仕事に行くか、自宅で休むか、そんな選択肢しかない私が、なぜ見知らぬ場所で見知らぬ人に起こされているんだ。


 ……昨日は……えっと……そうだ、たまの金曜日、次の日が休みだと言うことに私は浮かれていた。

 浮かれて、コンビニでビールを買った。ついでにビーフジャーキーも買った。


 それを片手にぶら下げながら歩いて、家の前の横断歩道をいつものように、押しボタンを押して渡って…………。


 さあっと血の気が引いてくる。


 ……そんな馬鹿な。


 きちんと思い出せば記憶は鮮明に蘇る、クラクションも鳴らさずに突っ込んできたトラック、衝撃、そして私は…………。


「死んだ……のか」


 あの時、死の間際に思った通り、やはり事故の直後に死んだらしい。その時に感じた無念が今も心の中にありありと残っている。


 胸が苦しくなるほどの衝撃的な記憶に思わず顔を俯かせる。


「クラリス様?お加減か悪いのですか?」


 ヴィンスと名乗った彼は、私の背に触れ、とても心配そうに顔を覗き込む。

 彼の優しげな黒い瞳が心配そうに揺れていて、その本当に不安げな表情になんだか申し訳なさを覚える。


 俯いて落ちてきた私の髪は少し傷んでいるけれど、柔らかいブロントで、毛先の方だけ軽くカールがかかっている。


 死んだ、のは、仕方ない……なんて思えるほど踏ん切りのいい性格では無いけれど、今どうやら、それより考えなければならないことがある。


 じゃあ……これは一体誰だ、ということだ。


「あ、あの、ヴィンス?」

「はいっ、どうかされましたか」

「私は……だれ?」

「……」


 鈴がなるような優しい声、か細い手、金髪の髪。

 先程、クラリスと私は呼ばれていた。

 この身体的特徴、そして名前には、どことなく既視感があった。


 よく考えればヴィンスの名前も聞いたこと、いや、読んだことがあるような気がする。


 何だこの気持ち、どこか懐かしいようなそんな気持ちを彷彿とさせる、モヤモヤした気持ち。


 ヴィンスは、また戸惑ったように視線をさまよわせて、やっぱりとても心配そうに口を開く。


「クラリス・ド・バイアット様でございます。ですがもう、この名前でお呼びすることは出来ないのです。公爵家からも離縁され、アウガスで、罪人となった貴方様は……もう」


 痛ましいと言わんばかりに、ヴィンスはそこで言葉を切って目を伏せた。


 クラリス・ド・バイアット、公爵家、アウガス。


 ……罪人。


 それが今の私?

 

 昔、小学校の図書館に、あまり人気の無い児童文学があった。友達がくすなく本の虫だった私はその頃、数多くの本を読んでいた。


 とくに魔法やファンタジーに興味があったわけではなかったけれど、暇な休み時間には、本を読むしかやる事が無かった。

 私は、仕方なくその本を読んでいたと思う。


 設定は一風変わった本だったけれど、内容は王道で、王子様に平民の少女が恋をして結ばれるもの。


 主人公の名前はララ。彼女が魔法書を見つけて、それから成り上がる学園ファンタジー。


 タイトルは分かりやすく『ララの魔法書!』だった。


 そのヒロイン、ララの敵対する悪役令嬢として登場するのがクラリス・ド・バイアットだ。

 金髪碧眼にお嬢様口調、生粋の貴族であり、王子の婚約者。


 ……と、確か、物語の終盤では……クラリスはララを嵌めようとして、失敗する。この世界で禁忌とされている呪いの力をララが使ったと見せかけようとしたのだ。


 あれ、ちょっと待って、ヴィンスはさっきなんて言った?

 確かクラリスは、ララへの罪のなすりつけに失敗し……そして。


「私って、もしかして、幽閉されてる?」

「……そのような状況である事は確かでございます」

「お……おぉ」


 予想外の展開に思わず変な声が漏れた。



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