兎と亀とホウライの伝説

芽福

第1話 富士の麓にて

「ねえ、ウサギさん!もう少しゆっくり歩こうよ!お空はこんなにも綺麗なのに」

「もっと早く黙って歩けよ、このクソ狸」

「そのクソ狸って呼び方、やめて欲しいな。ボク、そういうの気にしちゃうんだけど」

「全部お前のイタズラのせいだ。そんな事を口に出す権利がお前にあんのかよ」

二人...いや二匹は、大きな山の麓を歩いていた。一匹は、砂とれきの地面とは対照的に真っ白で美しい毛並みの兎。体には何も身に付けていない。

「まっ、待って。僕もう疲れた!」

そして早足で進む兎を小さな足で追いかける、薄茶色の地面よりも少し茶色く、そして薄汚れた、小さな狸。古ぼけた笠をかぶり、水が入ったひょうたんと、竹を編んで作られた軽食の入ったちいさな箱を二つずつ腰に提げている。

「なんでそんなに急ぐんだよう。急いだって、ホウライは逃げやしないのに」

「急がなきゃ、おばあさんの命が逃げてくかもしれないんだぞ?てめえのそういう危機感のなさが嫌いなんだ」

「さっきからおばあさんおばあさんって。そんなに好きなの、あの人間のこと」

「ああ、大好きだね!悪いかよ!」

「ひっ!急に止まってどうしたのさ!さっきまで顔もあわせてくれなかったのに」

「黙れ。急ぐぞ」

「だったらさ、せめてこの荷物、持ってくれない?もうへとへとだよ」

「あ?まだ麓だぞ。先は長い。こんなところでへこたれてんじゃねえ」

標高、実に4000メートル越え。二匹は、その頂から立ち上る煙を目指して歩いていた。真剣な眼差しで早歩きをする兎は、沈黙を貫いたまま歩いている。しかし、

「せめて好きな食べ物とか教えてよ」

「てめえの狸汁」

「因みに、甘いものとかは」

「全部嫌い」

「何も身に付けてないの?さみしいもんだね」

「おまえみたいにボロ笠かぶるよりマシだ」

後ろからついてきている狸は、性懲りもなく会話を続けようとする。

「ねえねえ、あのおばあさんってさ」

「黙れ」

「あのさ...」

「黙れ」

一度沈黙が訪れれば十秒経たないうちに喋りかけてくる狸に、元々高まっていた怒りが、更に蓄積されていた。

「毛並み、凄く綺麗だね。もしかしてそのおばあさんに毎日洗われて...」

「だーーーーーー!わかったわかった!おばあさんのこと、教えてやるからもう黙れ」

「やった!じゃ、そのお話とこのひょうたん、交換しよ?君、すごく早歩きだから、ついてくの大変で」

「色々おかしいだろうが。お前は荷物持ち兼、雑用。しかも俺の情報をやるってんだから、ありがたく聞け。あと、話している間も休まず歩くからな」

「わかった。君が話し終わるまでの辛抱なら、少しがんばるよ」

「なんで荷物交換できる前提なんだよ...。まあいい」

兎は、だーー!と叫んだときに振り向いて狸に向けていた足を山頂方面に戻し、咳払いをして過去を語る準備にはいった。

「そう、あれは一年と少し前のこと。俺が亀との徒競走に負け、群れを出ていってしばらく経った頃のことだった...」

兎が感慨に浸りつつ語ろうとしたので、狸は素直な感想を口にする。

「ええ、そんなところから?長いよ」

歩いていた兎が振り返り、きっ、と狸のことを睨む。急に止まったので二人の顔が急接近し、狸はその顔面からの強い圧力を肌で感じ取ったが、兎はすぐ、不貞腐れた顔になって前に向き直った。

「じゃあもういい。お前なんかに語る言葉はないもんね!」

「うわー、拗ねちゃった。子供かな?」

「少なくともお前よりは大人だよ!」

「そっかあ。ならさ、なおのこと荷物を持っておくれよ。だって、こどもに全部荷物を持たせる大人なんて、聞いたことないよ?それに、僕はその方がはやく登れると思うな」

兎は拗ねた顔から一変、青筋を立てて拳を握りしめる。だが、狸の意見の正当性に対する反論も持ち合わせておらず、悔しさ混じりの顔で感情を爆発させた。

「あーもーー!!わかったよ、持つよ!てめえのためじゃねえ、これはおばあさんを一刻もはやく助けるためだからな!覚えとけよ!」

「はいはい、おばあさんのためね。じゃあまず、このひょうたんから...えっ」

肩にかけていたひょうたんの紐を外し、兎に手渡そうとした狸の目に突如として映ったもの。それは、真っ白な兎の体表に突如としてあらわれた、赤い点だった。

「雨、じゃねえよな」

すぐさま兎も違和感に気付き、肩を拭った。

「生き物の、血...?」

兎が空を見上げるとそこに、一匹の雉が飛んでいる。しかし、右にふらふら、左にふらふらと飛んだかと思いきや、急に姿勢を持ち直してバタバタと飛んだりと、その様相は違和感に満ちていた。その軌跡の真下に、ポタポタと赤い点が連なる。それを見た兎は、急に真剣な眼差しになった。

「おい、クソ狸。この血を辿るぞ」

「ええっ、山頂をまっすぐ目指してたんじゃなかったの?」

「いいから急ぐぞ!...誰かが怪我してるかも知れねえ」

「そんな、誰かの気を遣ってる場合?僕らだって大ケガするかも、うわっ!」

兎は狸が渡そうとして居たひょうたんを奪い、続いて軽食をいれた竹かごを強引に狸の肩から外し、そして狸の手をぎゅっと握った。

「これで荷物はおあいこだ。気張ってついてこい。遅れるんじゃねえぞ」

「えっ、どっ、どういうこと、兎さん?兎さーん!!!」

雲ひとつない青空に、狸の叫び声が響き渡る。そして、すこしだけ時は遡り、富士山の反対側。彼ら二匹とは別の目的を果たすために富士の麓を歩く、一人と一匹が居たのだった。

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