蓮華 ~外伝~

鎌目秋摩

生い立ち

藤川麻乃

第1話 誕生

 バタバタと医療所の廊下を走ってくる音が近づいてきた。

 医師の神座かむくら先生と石川いしかわ先生の「走るんじゃあない!」という怒鳴り声が響いてくる。


 バーン!


 病室のドアが勢いよく開く。

 横になったまま入り口に目を向けた。


「――麻美あさみ!」


「しーっ!」


「……あっ、ごめん」


 麻美は唇に人差し指をあてた。

 ベッドの横に置かれた足の高い小さな籐のかごに、昨日、産まれたばかりの赤ちゃんが眠っている。

 麻美と隆紀たかのりの初めての子どもだ。


「昨日、来られなくてごめんな」


「いいのよ。襲撃、あったんでしょ?」


「うん。高田たかだ隊長は行けっていってくれたんだけど……そういうわけにはいかないだろう?」


「わかっているわよ。私も休んで迷惑かけているんだし……それに、隆紀たちが防衛してくれているおかげで私たち、無事に暮らせているんだもんね」


 うなずいた隆紀は早足でベッドの横に近づくと、かごをのぞき込んだ。

 途端に表情が緩む。


「小さいなぁ……赤ちゃん、みるのは初めてじゃあないけど……やっぱり小さい」


「だよね。私もそう思った」


「……抱いてもいいのかな?」


「もちろんだよ。でも落とさないでよ?」


「当り前じゃあないか……」


 隆紀は憮然とした顔でそういうと、そっと赤ちゃんに手を伸ばした。

 うわー、とか、ひえー、とか言いながら、及び腰になっているのがおかしい。


「軽いなぁ……あっ……こんな小さい手なのに、いっちょ前に爪が生えてるじゃあないか」


「まだどっちに似ているかはわからないけどさ、髪の毛みてよ。その癖毛……」


「あちゃ~、こんなところが俺に似ちゃったかぁ……」


 苦笑いをする隆紀は、まだ薄いフワフワの髪をそっと撫でている。

 愛おしそうな目をしている姿に、麻美はホッとした。

 きっと隆紀は、子どもを愛して大切にしてくれるだろう、と。


「ねえ、名前、どうしようか?」


「うん……最初に考えた名前でいいんじゃあないか?」


「そう?」


「高田隊長も、強くなりそうな名前だって褒めていたぞ」


「強くなりそうって……それって褒め言葉になるの?」


 麻美が軽く睨んだのを無視して、隆紀は頬ずりするように赤ちゃんに顔を寄せた。


「いいんだよなぁ? 今は女の子だって強い子が多いんだから」


 いじり回されたのが不快だったのか、赤ちゃんがぐずり始めた。


「あっ! 泣く……泣くよ! どうするのこれ? 麻美、どうしたらいいんだ? これ……」


 慌てふためくさまが面白くて、しばらく様子をみたかったけれど、それじゃあ赤ちゃんがかわいそうだ。

 ベッドから降りると隆紀から赤ちゃんを受けとってあやす。


「起きて大丈夫なのか?」


「もちろん。疲れているしお腹とかも痛いけどね、動けないわけじゃあないから」


 麻美があやしている横から、指先で頬に触れたり髪を撫でてみたりしている。

 構いたくて仕方がないんだろう。


 麻美も隆紀も、家族の縁が薄かった。

 どちらも両親ともに早く亡くなってしまっている。

 だからなんだろう。

 家族という括りに対する願望が、きっとほかの人たちより強い。


 三日月の印を受けて第四部隊に選ばれ、同じ部隊の隆紀に惹かれて付き合い始めたとき、すぐに結婚を意識した。

 隆紀も同じだったようで、翌年には結婚したけれど、互いの願望が強すぎて衝突ばかりしていた。


 まだ若いというのもあったんだろうか。

 互いに譲ることを知らず、高田にはいつもたしなめられていた。

 少しずつ譲り合い、尊重し合い、たくさんのことを話し合って、今はうまくやっているつもりだ。


「そういえば寛治かんじ熊吉くまきちが、なにか必要なものはあるかって言っていたけど、なんかあるか?」


「え……うーん……まだなにがいるのか良くわからないよ」


「俺も。房枝ふさえさんがさ、子ども用のベッドや沐浴用の道具類はあるから、買わなくていいっていってた」


「そういえば私も言われていたよ。借りられるものがあると助かるよね」


「退院後は手伝いも来てくれるってさ」


 安部寛治と房枝は近所に住んでいる夫婦で、歳が近いこともあり親しく付き合っている。

 安部家では、二年前に男の子が産まれていた。


修治しゅうじのやつはもう通う道場を決めたんだってさ」


「もう? 早いんじゃあない?」


「二人とも畑仕事があるから、早めに通わせるんだって。小幡おばたさんの道場って言っていたよ」


 小幡道場は西区の中でも比較的、厳しく鍛えるといううわさがある。

 泉翔の道場はどこも武術だけではなく、読み書きや計算なども教えるところが多い。

 麻美たちや安部家のように、家でみてやる時間がないと、道場はありがたい場所だ。


 東区や南区などでは、勉強だけを教えるところもあるらしい。

 東区は商業区だから、専門的なことを学ぶ場所もあると聞いている。


「でもさ、うちもきっとそうなるじゃあないか。麻美も復帰するだろう? 寛治と房枝さんに聞いて、良さそうだったらうちも小幡さんのところに通わせようよ」


「早い早い、まだ考えるには早いわよ」


「そんなことないでちゅよね~? 大きくなるのなんて、きっとあっという間でちゅよ~」


「やめてよ、赤ちゃん言葉。ホントにそんな話しかたになったらどうするのよ」


「それもそうか。親になったんだから、しっかりしなきゃあ駄目だよな」


 隆紀はもう一度、赤ちゃんの頭を撫でた。


「じゃあ、あまり長居できなくて悪いけど、俺、もう行くよ。明日もあさっても、顔を出すから。ゆっくり休んでいろよな」


「うん、ありがとう。あっ、名前、いいなら神殿に届け出してきてくれない?」


「俺一人で行ってきちゃっていいのか?」


「だって……決めたなら早いほうがいいと思うし……退院したらなんだかんだで忙しくなると思うもん」


「わかった。じゃあ、このあとすぐに行ってくるよ」


「お願いね」


 麻美は赤ちゃんの手を取り、隆紀に向かって小さくバイバイをしてみせた。


「じゃあ、麻美、それから――麻乃あさの、また明日な」

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