第17話 豊穣の夜

 豊穣の儀が終わり、肌寒い夜が始まった。あらかじめ王城に持ち込んでおいた衣装に着替え、ハルヴェルはホールへと足を進める。その足取りはここ数日で最も強かだが、同時にどこか震えをにじませていた。

 心をはやらせるのは、ルアンが聞かせた予言。心を怯えさせるのは、リディエラが口にした拒絶。今晩人々の前で追及しようとはさらさら思っていない。しかし、「普段通り」でなくなるのも嫌だった。リディエラが日中に姿を見せなかったことも尾を引いている。もしかしたら、二度とその存在を知らしめる機会は無いのではないか。今この瞬間、何者かによって秘されているのではないか。

 何より、リディエラがそれを甘んじてしまいそうなのが怖かった。豊かな髪を千切られても、白い指を切り落とされても、リディエラは何かのためにその身を捧げてしまいそうだ。やけに生々しいその予感は、ハルヴェルの心に濃い影を落とし続けている。


 ホールの扉が見えてきたところで、その中がやけに騒々しいことに感づいた。


「少々よろしいでしょうか?」

「ああ」


 扉を守る騎士に引き止められ、ハルヴェルは先を促した。まだ若いせいか、兜の下でわずかな混乱と緊張が揺れている。恐らく彼も直前になって聞かされた身だろうと見当を付けながらも、ハルヴェルは訝しんだ。曰く、急なことだから気にせず楽しんでほしい、と国王から伝言があったと。それを入場する貴族全員に伝えねばならない若者の心労と言ったら、額に汗が浮かぶほどだ。ゆえに、分かった、とハルヴェルは短く終わらせた。国王から何らかの知らせがある、その事実だけで心臓が大きく脈打つ。

 祖父母と合流し、開けられた扉から足を踏み入れた。ぐっと明度を増した光景に目を慣らし、最後に王族が入場するのを辛抱強く待つ。階上の扉が開いたところで、王族を見るために顔を上げた。目に映ったのは――六人。


 六人。


 ハルヴェルは、止まりそうになる呼吸を何とか促した。

 驚きを微塵もにじませない祖父母と共に、眼前へ参る。


 果たして、リディエラは「普段通り」いた。今日は茜色のドームラインに身を包み、マリーゴールドが満開に咲いたボンネットで顔をやや隠している。

 先回と異なり、ハルヴェルと視線が交差することはなかった。それでも、ハルヴェルの胸中には一時の安堵が広がる。リディエラがまだ生きていることに、我ながら信じられないほど安心した。それがリディエラにとっても良いことなのかは分からない。だとしても、あの日嬉しいと流してくれた涙が、ただ消えたいだけの感傷だとは思えなかった。


 それを上塗りしていくのは、別の一驚。


 ハルヴェルは、さりげなく数え直そうとした。存命の王族は五人だ、国中の人間が知っている。しかし数えるまでもなく、これまではいなかった存在が一人、被食者のように紛れていた。


 黒髪黒目の、青白い肌をした男児。背丈はハルヴェルの腰ほどしか無い。隣で堂々と立っている第二王子とは対極的に、今にも泣きそうな顔でリディエラのドレスの裾に小さな手を添えている。触れては離し、弱く掴んでは放し、王女を見上げては視線を落とし、ととにかく落ち着きがない。無理矢理この場に連れてこられただろうことは、一目瞭然だった。


 ダグラクスは目もくれない。第二妃は心配をにじませているが、それも微々たるものだ。無関心を装っているリディエラだけが、子供の心情に寄り添っていた。


「サンドルトか。よく来てくれた」

「お招きいただき……」


 幸甚に存じます、とハルヴェルが口にした瞬間、だろうか。


「……!」


 怯えきった王子が、はっとしたようにハルヴェルを見上げた。

 リディエラの体が揺れたのは、踏み出しかけた弟を止めるためか。


「ハルヴェル、久しいな。昼も来ていただろう、感心なことだ」


 二人の身じろぎに気づいているのかいないのか、ラインヴィルトが口を開いた。いついかなるときも崩さない秀麗な微笑みで、ハルヴェルを呼んだ。言葉通り、顔を合わせるのはあの日以来だ。リディエラとの離別を実現させたことは、ちっとも悪びれていない。まるで、全ては劇中の出来事だとでも言いたげだった。終幕を迎えるために必要不可欠な場面であり、役者はそれに従うべきだと。


 本当は、問い詰めたかった。どういうつもりなのかと、ハルヴェルは尋ねたかった。あのように国王を招かず、リディエラをなじることもせず、静かに警告すれば済んだのではないか。なぜ、ハルヴェルとリディエラを表層へ引き上げたのか。

 大したことはしていない、話していただけだ。それも、詮索していたのは最初の頃だけ。月の満ち欠けや花の盛期、そういう他愛も無いことを語らってばかりだった。互いに指先すら触れていない。隣とも正面とも言えない位置で、時たま目を合わせ、逸らしていただけだった。

 言い逃れできる状況だとは言わない。ただ、なぜ事を荒立てたのだと、ただ。


 一通りの入場と挨拶が終わったところで、ダグラクスは皆を黙らせた。注目が集まったのを実感してから、そのしわがれた声を張り上げる。その表情は全くもって誇らしそうではなく、断じて望まぬ行為をしているようだった。


「今日は知らせがある。皆察するところだろうが、王室に三人目の男児が生まれた。体が弱いゆえ、皆の前に出る機会は少なかろう」


 その濁った碧眼は、息子をぎょろりと見下ろした。それだけで、小さな体は悪魔を恐れるかのように縮こまる。


「あ……あ、ウィリエス、です……」


 その声は、夜風にかき消えてしまいそうなほどか細い。黒炭のような瞳を涙に溺れさせ、まるで母にするかのごとくリディエラの影に隠れようとした。にも関わらず背中から軽く押し返されたのは、姉の手がそれを許さなかったからだ。はく、と吐き出された無音は、姉を呼ぶ言葉だったのか。


 貴族一同は礼を取った。それに紛れながら、ハルヴェルは第三王子の存在を危惧してしまう。ここにいるほぼ全ての人間がその登場を望んでいないのは、場の空気からして否定しようがない。第一王子派にしても王女派にしても、新たな王位継承権保持者は扱いに窮するところだろう。そして、邪魔になりこそすれ取り込んだところでうまみが無いのも明らかだった。

 通常、王族の披露は別で祝賀を設ける。それを豊穣の夜に合併した理由は、冬に恐れを成したというだけではないだろう。病弱だからという王の言葉からも、ウィリエスが血縁者にさえ疎まれているだろうことは想像に難くない。お手つきで生まれた手違いの王子、この表現こそ言い得て妙だ。


 ウィリエスの紹介は手短に終わった。お喋り雀がそこかしこで湧きながら、一年で最後の夜会が本格的に幕を開ける。冬に入れば食べられないだろう、まだ水分がたっぷりと残る果物。暖炉とろうそくの火は鏡に反射し、高い天井までも赤々と染め上げる。寒風に関わらず窓が多少開いているのは、焦げ臭い煙を逃がすため。そのせいで、夏なら見える満天の星は薄闇に食われている。


 リディエラは、やはりホールの角で人だかりを形成していた。その中には王女派筆頭のドッグヴァイン辺境伯家の姿もあり、ガルベンは自信に満ちた態度で王女の側にいる。

 ――ハルヴェルはかぶりを振った。もし自分が、と考えるのは愚の骨頂だ。王女と信奉者ではなく、リディエラとハルヴェルとして会うことに価値がある。少なくとも、二人がいた世界は現実だ。虚構で共にいて、一体何の意味があるだろうか。

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