02 赤い瞳の男





「……い。おい、大丈夫か」


 肩をゆさぶられ、メアリは目を覚ます。

 湖の淵で、いつのまにか眠ってしまっていたようだ。


 天界では、眠気や空腹を感じることはない。

 慣れない感覚にうっそりと目を開けると、メアリを心配そうに覗きこむ男の姿が目前にあった。


 赤髪に、赤い瞳。

 男の珍しい見目にぱちぱちとまばたきし、ようやくメアリは状況を把握する。

 人間の若い男性に、揺り起こされたのだ、と。


「……あっ、あの、」

「身体が冷えてる。はやく上がったほうがいい」

「は……、はい」


 促されるままメアリは、薄霧のかかる湖岸に上がった。

 すると男ははっとした様子で、目をそらす。


「着替えは?」

「え? あり、ません」

「……とりあえず、羽織っとけ」


 そう言って男は、自身の上着を差し出してくれた。

 自分の格好を見遣って、メアリは赤面する。

 ワンピースが濡れたせいで、素肌が透けて見えていたのだ。


「家はどこだ? 家まで送る」


 メアリが上着を羽織ったのを確認して、男は言う。

 それが男のやさしさだということはわかったものの、メアリの家は天界。さすがに送ってもらうことは、できない。


「い、家は、その、帰れなくて……」


 メアリが言うと、男は眉根を寄せた。

 数秒の思案をへて、男はメアリが抱える複雑な背景を想像し、ふかくは聞くまいと決めたようすだった。


「……見かけない顔だが、どこから来たんだ?」

「えっと、あっちのほう……かな?」

「魔物の巣窟の山を越えてきた、と?」


 メアリが適当に指さした先は、魔族が築いた魔窟まくつのある山だった。

 メアリはあわてて、かぶりをふる。


「ちがっ……あの、ちょっと、わかりません」

「まさかきみ、魔族じゃないよな?」


 赤い瞳でジッと見つめられ、メアリは戸惑う。

 「あの、あの、」と言葉を探していると、男がぷっとふき出した。


「ははっ、冗談だよ」


 ふいな笑い顔に、メアリはきゅんと、こころが跳ねた。


(び、びっくりした)


 メアリが人間と話をするのは、初めてだった。

 これほどこころが戸惑うのも、初めての経験だった。


「じきに大雨になる。こんなところにいたら、海まで流されるぞ」

「そ、そうですね」

「帰る家がないなら、いったん村に来るか」

「村?」

「あぁ、ふもとの村だ。

 どうせ今日は皆、高台の避難所で夜を過ごすだろうからな」


 話によると男は、この山の麓に住んでいるらしい。

 大雨のたびに川が氾濫するので、村人は今日は高台の避難所で過ごすようだ。


「靴は?」

「く、靴は……ありません」

「……背中に乗って」


 天界から着の身着のままで降りてきたメアリは、靴も履いていなかった。

 メアリがおずおずと背中に乗ると、男はひょいっと立ち上がる。


「俺は、コーザだ。麓の村で、牧畜や農業を手伝っている」

「わ……わたしは、メアリです」

「メアリ。良い名だな」


 メアリをおぶったまま、男は山を下る。

 コーザは20代の後半で、赤い髪と赤い瞳をもつ、背の高い男だった。


 コーザは、メアリの事情について追求しなかった。

 赤い瞳という変わった見た目のせいか、赤子の頃に捨てられたこと。村の老人に拾われ、そのまま育てられたこと。

 自身のことや村のことを淡々と語りながら、コーザは山道を下っていった。

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