第3話 恋に落ちた時 1/3

「私、アリサとならちゅーできると思う」


 マコがそんなことを出し抜けに言い出したのは、高校二年の秋頃だった。

 高校生活にももう十分に慣れ、そしてシーズン的にクリスマスを意識しだす頃のこと。

 休日に一緒に出掛けている最中、マコはそんなことを口にしたんだった。


「え、なんの話?」

「だーかーらー! アリサとならちゅーできると思うって言ってんの!」

「何一つ情報が更新されないんだけど……」


 マコの話に脈絡や筋道がないなんてことはいつのもこと。

 ただそれにしても、あまりにも唐突なことで私は返答に困ってしまった。

 別にそれまで、特段そういった話をしていたわけでもなかったし。


「なに? マコ、私とちゅーしたいの?」

「うーん、したいというよりできる、だよ。アリサは違う?」

「いやまぁ、できるかできないかで言われれば……」


 普段と変わらず私の腕に抱きついているマコを見下ろし、その顔をまじまじと見る私。

 化粧は濃いけれど文句のつけようがない可愛さで、柔らかそうな唇は確かに魅力的に映った。


「なに悩んでんのさ〜。こーんな可愛い女の子とならできるでしょ? てかむしろしたいでしょ?」

「自己肯定感えぐ。うらやましー」


 答えあぐねた私にぷんすかと唇を尖らせるマコ。

 私がそう茶化して返すと、尚更ぷりぷりと眉を吊り上げた。


「まぁでもそうだね。私、マコとならできると思う」

「だーよねー!」


 怒っているマコも可愛いけれど、あまりからかっても可哀想だから素直に答えてあげる。

 するとマコはすぐに機嫌を直して、ニコニコと明るく笑った。


「じゃあ、はい。ちゅう〜」

「だ、だからってしないよ……!」


 唇をタコのようにすぼめてちゅぱちゅぱと迫ってくるマコ。

 私はそんな彼女の顔面を慌てて手で押さえて抵抗した。

 期せずしてアイアンクローみたいになってしまって、ぎゃー!と悲鳴が飛んでくる。


「なんでよ! できるって言ったのに。アリサの嘘つき!」

「いやいや、実際するかどうかは別の話でしょ、普通。てかどっちにしたってこんなところじゃ……」

「ははーん。アリサはムードを大事にするタイプってことだね? ちゃんと二人きりになれるところでならしてくれるってわけだ!」

「だから実際するかは別の話だってば!」


 ニヤニヤとなんだか意味深にそう言うマコに、私は咄嗟に顔面を掴んでいた指の力を強めた。

 大した力じゃないはずだけれど、またぎゃー!と大袈裟な声が上がる。


 私はただ、こんな道端で、誰が見てるかわからないところでできないって言っただけだ。

 それは相手が誰だったとしても同じこと。

 この時の私はまだ、マコのことをただの親友以上には思っていなかったから、尚のことだった。


「アリサ、ギブギブ! もう許して〜」

「そのタコみたいな口を引っ込めたら、ね!」

「もうしてないよぉー!」


 仕方なしに手を放してあげると、マコは化粧崩れたぁと呻いた。

 別に言うほど崩れてはいない。何をしたってマコはいつも可愛かった。


「化粧直したいし、どっか入ろ? あ、私カラオケしたーい!」

「そうやって暗がりで私を襲うつもりじゃないでしょーね」

「違うよ!」


 慌てて首をブンブンと振るマコを疑い深く睨みつつ、けれど私たちはその通りにカラオケに向かうことにした。

 カラオケに行くくらいのことは、私たちの放課後の寄り道の一つとしても定番だ。

 駅の近くにあるカラオケ屋さんは価格が安くて、高校生の懐にとても優しいから、という理由が大きい。


「でさ、アリサってちゅーしたことあるの?」

「やっぱり!」

「ち、違う! そういうんじゃなくて!」


 カラオケの個室に入ってしばらく二人でいつものように歌い合った後のこと。

 入れていた曲が途切れた隙間で、マコは先ほどの話題を蒸し返した。

 咄嗟に両手で唇を覆うと、マコはきゃんきゃんと喚いた。


「襲わないから! ただ単純な恋バナ……? 別に普通でしょ? こういう話するのは」

「ま、そうか……」


 マコに強引に手を離された私は、仕方なく平常に戻って頷いた。


「で、あるの? ないの? どっちなの?」

「な、ないよ、そんなの。私に彼氏がいたことないの、マコが一番知ってるでしょ?」

「だーよねぇ。ま、私もしたことないけどさ」


 そうやって微笑むマコは、どこか安堵したように緩んだ表情をしていた。

 まぁマコの方が遥かにモテるので、私が先を越すなんてことはそうあり得る可能性じゃない。


 マコは当然というか、モテる。すでに何度も告白されたことがあることを私は知っていた。

 私もマコほどではなくても告白された経験は一応あったけれど、でも同じく誰にもOKをしたことはなかった。

 私はともかく、マコは比較的ステータスの高い男子だって告白してきていたのに、全く興味がなさそうだった。


「さっきからなんなの? やたらとそれにこだわって」

「いやね、どんなものなのかなぁっていうちょっとした興味だよ。最近みんな、そういう話題多いしね〜」

「まぁ、最近カップル成立率高いしね……」


 近頃のクラスの話題を思い返すと、そんなマコの言うことにもちょっと納得できた。

 二年にもなれば人間関係にもだいぶ色々あって、誰が誰を好きだとか、誰が誰と付き合ったとか、その類の話題は尽きない。

 加えて翌月はクリスマスがあるとなれば、雰囲気は浮き足立つというものだった。


 となれば、そういった経験がない身としては、年頃の女子としては、興味がそそられてしまっても仕方ないことではあった。


「なんていうか、別に男子と付き合いたいとは思わないけどさ。でもこう、ちゅーくらいは経験してみたいなって、思ったりしない?」

「まぁ気持ちはわからなくもないけど。でもだからって好きでもない人とするってのもなんか違うでしょ?」

「それはそうなんだけどさぁ〜。でもこう、ねぇ?」


 ねぇ、と言われても。ただ、言わんとすることはわかる。

 華の女子高生としてのもどかしさというか、なんというか。

 だから、真剣に悩む風を見せるマコに、私はポロッと言ってしまった。


「じゃあいっそのこと私たちで練習しとく? なんて────」

「それだ!」


 私の失言をマコは聞き逃さなかった。

 食い気味に声をあげて身を乗り出す。


「私アリサのこと好きだし、アリサも私のこと好きでしょ? ならありだよね! 好きな人とすればいいんだよ!」

「いや、それは好きの意味が違うんじゃ……」

「じゃあなに? アリサは私がそこら辺の好きでもない男子とちゅーしてもいいって言うの?」

「いやだから、それとこれとでは話が……」


 一気にペースを持って行かれて、それにあまりの迫力に、私はたじたじになってしまった。

 ただ、こうやって迫ってくるマコの唇を見た時、それをどこの馬の骨ともしれんやつに奪われるのはなんか納得いかないと、そう思ってしまって。


「きゃっ!」


 その気持ちが油断につながったのか、私は押し寄せてくるマコのせいでソファにひっくり返ってしまった。

 体勢を崩した私をマコは見逃してくれなくて、すぐさま身を乗り出して覆い被さってくる。


 私の足の間にマコの膝が入り込み、頭の横には手をつかれて、真上にきた顔からはブリーチのしすぎで痛んだ金髪がカーテンのように垂れ下がってくる。

 すぐそこにある瞳がやたらに綺麗に見えて、とても口の中が渇いた。


 わーわーきゃっきゃしていた空気は一瞬でどこかに行って。

 モニターから流れるCMの音だけが響く静寂は、私の心臓の音が聞こえていないか心配になった。


「お、襲わないって、言った……」

「襲ってなんか、ないよ。でもさ、ムードは悪くない、よね?」

「ばか……」


 私たちは友達、親友で。それ以上のことはなかった。

 お互い恋人がいたことはなくて、それは二人でいるのが一番楽しいから、というのが私たちの見解だったけど。

 でもだから、私たちはお互いこそが一番だった。

 それでもこれまでのは私は、こんなこと想像もしていなかったのに。

 どうして死にそうなほどに緊張しているのか、わからなかった。


 これはお試し。練習。ただそれだけ。

 特別は意味なんてないってわかっているのに。


「じゃあ、しちゃうからね? い、いいよね? 後から怒らないよね?」

「べ、べらべら喋らないでよ。どこいった、ムードは」

「だってなんだか緊張しちゃって。アリサのそんな顔、私今まで────」


 もう限界だった。こうしていることも、待つことも。

 それに、私はマコの顔を見る余裕なんてなかったのに、こっちはバッチリ見られてるのも我慢ならなかった。


 だから、だから私は。

 ここへ来てヘタれるマコの頭をぐいっと引き下ろした。


 触れたのは一瞬。でも、その味を確かめるのには十分で。


 マコが慌てて飛び起きたことで、私たちのファーストキスはすぐに終わった。

 合わせて起き上がってみると、マコは自分の髪でくしゃっと口元を覆って私から顔をそらした。


「アリサに襲われたぁ」

「お、襲われた言うな」


 そっぽを向いたままポツリと声を上げるマコに、私もまた力なく反論する。

 お互い相手の顔を見られず、でも気にはなって、横目がチラチラ僅かに交差する。

 さっきとはまた違う妙な沈黙が流れた。


「それで、感想は?」


 しばらくして口を開いたのは、やっぱりマコだった。


「私の唇を奪った感想は?」

「か、感想って……今マコが飲んでるオレンジジュースの味が、した……」

「はあ!?」


 私が素直な感想をこぼすと、マコは途端にこちらへガバッと振り向いて眉を釣り上げた。

 かと思えば目が合った瞬間、すぐさま我に帰ってまたそっぽへと向き直ってしまう。


「っ……!」


 目が合った一瞬、その光景が脳裏に焼き付いて離れなかった。

 顔を真っ赤にして、目を潤ませていたマコの顔が。


「そっちだって、アイスティーの味させてたくせに……ばか」


 そっぽを向いても、耳も首も真っ赤なマコ。

 私がいつ彼女に恋をしたのかといえば、きっとこの時なんだ。




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