えげつない夜のために 第八話 告白は食事の後で

九木十郎

第八話 告白は食事の後で(その一)

 誰も居なくなった教室に一人居残り、本日の授業のまとめをするのは最近の日課だった。

 高校に入学したのがついこの間のことの様だったのに、いま俺のガクランの詰め襟には最上級生のバッジがはめ込まれている。

 いつの間に、という気分である。

 そして早いものだな、とも思った。

 高校に入学したのはついこの間のような気がするのに、もう最終学年である。しかも三年生に進級してから「これから一年は受験の年」と無駄に尻を叩かれて過ごしたが、気が付けばもう年末の方が近い季節になっていた。

 共通テストを目の前にして、皆あくせくヒイヒイ言いながら日々を過ごしている。その一方で俺はといえば、まぁある意味平常運転。それでも受験生として二年生の頃よりはそれなりに勉強時間を増やしてやっている。

 決して怠けている訳では無いが、身を粉にして頑張っているという表現にはほど遠かった。どちらかと言えば、定期考査の為のテス勉にちょっと色が着いたくらいのガンバリ様で、これで必死などと言ったら本気でやっている人達に申し訳ない。

 希望する進学先の合格ラインは軽くクリアしているから、後は日々の反復を怠らなければ問題ないレベルなのだ。

「なんだ山倉。まーた居残ってんの」

 ぼんやりと物思いに耽っていたら、唐突に声が聞えて振り返った。教室の入り口に女生徒が一人立っていた。また門井すみえだ。

「別に俺の勝手だろ」

「確かにアンタの勝手だけどさ。別に放課後の教室で受験勉強する必要ないんじゃない?家でやりゃいいでしょ。或いは図書館とか」

「誰にも迷惑はかけてない。それに家に帰ったところで親は帰ってくるの遅いし、食事の支度が出来ている訳でもないし」

「自分の食事くらい自分で作んなさいよ。っていうアタシも面倒くさくって、よくサボるんだけどもさ」

 そう言って彼女はカラカラと笑っていた。

「何の用なんだよ」

「別に。ぽつーんと独り寂しくお勉強していらっしゃる山倉洋太郎さまが、お話相手を欲しているんじゃないかしらと、ちょっとばかり気を利かせて差し上げたダケのことでございますですよ」

「邪魔するだけならとっとと帰れ」

「冷てぇなあ。ちょっとくらいアタシとお喋りしたって、バチは当たらないと思うけどなー。

 だいたい山倉は頭イイんだから、カリカリ勉強しなくったって受験楽勝でしょ?大学のランクあと二つは上狙えるのに、って担任はアタシに愚痴ってたよ。しかも当てつけて『ちょっとはヤツを見習え』なんてお小言くれやがるしさぁ」

「何か相談事でもあるのか」

「ふふ。素っ気なく見えても振った話に乗ってくれるところは好き。まぁちょっと聞いてよぉ、さっき数学のスクラッチはげのヤツがさぁ」

 聞き返したお陰で始まったのは、各教科の教師からハッパを掛けられている事に対しての愚痴だった。どうやら彼女の成績は、彼女が希望する学校の合格ラインすれすれを超低空飛行しているらしい。すれすれと言ってもラインの上側ではなく下側からのギリギリで、「あと少しなんとかしろ」というのが担任を含めた全ての教師の総意であるようだった。

「ランク下げるか、なーんてお話も出てくるし、正直面白くない」

「門井が頑張ればいいだけの話だろ。或いは安全策とってランク下げるとか。大学なんて何処でも一緒だ」

「はいはい、学力によゆーがあるお方はご返答もよゆーでございますなぁ。アタシはA大がいいの。そもそも山倉はなんであんな二流大学がいいの。アンタなら担任の言うとおりT大やK大だって狙えちゃうでしょ。勿体なくない?」

「家から通えて学費も安いからだよ。最初は大学に行くつもりも無かったけれど、親や担任にも説得されちゃったからね」

「高卒で働くつもりだったんだ」

「勉強なんて大学に行かなくても出来る」

「大学は勉強するダケのところじゃないと思うよ」

「そうか?」

「そうよ。そうでないとアタシが困るし」

「何だって?」

「何でもない」

 そして勉強に苦しんでいるだの、壁があって乗り越えられないだのなどと、何やらよく分らないアピールを手振り身振りまで交えて、唐突な独演会を繰り広げ始めた。つらつらと様々な「苦心惨憺」が彼女の口から飛び出てくる。たかが受験勉強によくこれだけ話すネタがあるものだなと、妙なところで感心した。

 やがて半時間ほど経ったろうか。門井はただ一方的に喋りまくっていたが、ネタが尽きたのかそれとも喋り疲れたのか、「あんまり邪魔しても悪いから」とようやく話を打ち切った。どうやら気が済んだらしい。邪魔していると思って居るのなら、もっと早く切り上げて欲しいものだ。

 別れ際にも何か言いたそうにして口籠もり、明らかに惑っている様子があるものだから、「言い忘れたコトでもあるのか」と訊ねた。だが「別に」と素っ気ない返事があるだけだった。怪訝に思わなくもないが問い質すのも野暮だろう。

 結局言いたいコトだけ言って、門井は「じゃあね」と言って帰って行った。愚痴こぼす相手を求めてやって来たのだろうけれど、居残っていた俺をガス抜き要員にするのは止めて欲しい。彼女には彼女の友人も多いのだし、気心知れた相手の方が気兼ねもなかろうに、何故と思うのだ。

 窓の外には夕闇が迫っていた。校舎内を見回っていた教師に「まだ残って居たのか」と言われ、教室を追い出された。やれやれ、続きは家に帰ってからするとしよう。学校を出ると町は一足先に夜に落ちていて、まだ青さの残る空にはポツポツと星が瞬き始めていた。


 朝のホームルームで、最近不登校の者が散見されると言われた。

 試験も目前となってナーバスになるのは判る、勉強に限らず悩み事があるのなら遠慮なく申し出てくれ、保健室でも校医の先生がカウンセリングをやっているから、それを利用するのも手だ、とか何とか。

 この時期に不登校だからといって何か問題があるのか。むしろ最後のまとめに忙しくて学校に行く暇も無いだけじゃないのか。誰かに相談して解決するなら悩みはしないだろう。

「学校に来てこその学生だ。家にこもるよりも、最後のまとめに教師のアドバイスを聞くのも悪くはあるまい。それに悩みは吐き出すダケでも違うぞ」

 などと締められて微妙な気分になる。この担任に悪気はないのだろうが、見透かしたような物言いをされるとアンマリ気分はよくない。

 まるで自分が在り来たりで変化に乏しい、百均で売られている量販品みたいな見方をされているようで面白くなかった。皆が皆、同じように考えている訳じゃあないのだ。

「ウチの担任もさぁ、たまにああいう見透かしたような物言いをするのがカチンとくるよね。悪気は無いんだろうけど、まるで在り来たりで変化に乏しい、百均で売られている量販品みたいな見方をされているようで面白くないわ。皆が皆、同じように考えている訳じゃないわよ。そう思わない?」

「・・・・」

「どしたの、妙な顔して。歯の詰め物でもとれた?」

「いや、俺って自分で思っていた以上に薄っぺらだったんだなと、しみじみと感じてな」

「なーに言ってるのよ。山倉が薄っぺらだったらアタシはどーなるの。ペラペラもペラッペラ、ミクロン単位の極薄仕様よ。装着しているのにも気付きません、てなくらいに」

 装着ってナニを、とは敢えて聞かない。振られたネタにいちいち応えるほど俺も暇じゃないからだ。今日の放課後も、俺は誰も居ない教室で授業の取りまとめをやっていたのだが、何故か門井が昨日に引き続いて此処に居る。

「どういうコトだよ。俺に用事が在るのならとっとと済ましてくれないか」

「そんな邪険にしなくてもイイぢゃん。まぁその、用事が在るというか、無いと言えば語弊があるというか、なんちゅうかその、アレですよ、アレ。ほらもうアレだよ、わっかんないかなぁ」

「アレだけじゃ判らん」

「えーとね、えーとね、そうだよなぁ、言わなきゃ分らんよなぁ。あ、あのデスね、その、タイヘンお忙しいかと存じますが、ソノですね。お勉強を、教えて頂きたくてですね」

「なんだ、そんなコトか。いいよ」

「へ、いいの?」

「俺の分る範疇でなら、だけど。どの教科の、どの辺りが分らない」

「ありがとうございます。教科全般でゴザイマス。ヤバくないヤツが無いくらいで」

「この時期にそれはヤバくないか。ひょっとして昨日やって来たのも、コレを言い出したかったのか?」

「ご明察の通りです。でもホントにいいの?邪魔してない?」

他人ひとに教えるのは自分の復習にもなるからな。どれからやる?」

 俺に言われて「まずはね」と、いそいそと取り出したのは数学と物理だった。分らないところは何処だと訊ねると「分らないところが分らない」と言い出す始末。長期戦になりそうだと密かに溜息を漏らした。手近な机をずらして俺の机と二つ突き合せると、そのまま思わぬ放課後の勉強会が始まった。

 最初はこの日限りのつもりだったのだけれども、「明日もお願い」と言われては断りづらい。そしてズルズルと続くうちに、いつしかコレは俺と門井の日課になってしまったのである。

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