第6話 きつねの火遊び:6

 俺が落ち着きを取り戻したのを見計らって、源吾郎叔父はこれまでの事をかいつまんで話してくれた。元より源吾郎叔父も両親も俺の素行については気にしており、妖狐の血が濃い源吾郎叔父が密かに探りを入れていたのだという。

 そしてあの日、俺が分身を使って大学をサボっているのを目撃した源吾郎叔父は、サクッとヤコという妖狐の少女に変化して接近し、俺の様子をじかに見ていたとの事。これまでヤコとして奢ってもらったお金を源吾郎叔父は返してくれた。そういう事は予想外だったので、正直な所俺も少し戸惑いはしたけれど。


「ちなみに政信君。あのヤコって娘の変化は、君専用にカスタマイズした物だったんだ」


 ヤコの姿に変化した事について、源吾郎叔父はそう言ってドヤ顔で笑った。何だよ専用カスタマイズって。プラモデルじゃねぇだろ畜生。源吾郎叔父はそんな俺の苛立ちを知ってか知らずか、なおも説明を重ねる。


「普段はよく宮坂京子の変化を使うんだけど、政信君相手だと俺の変化だと見破られる危険性があると思って控えたんだよ。若かった頃に、あの姿で同人ドラマを作った事とかは初音ちゃんに教えていたからね。あの子を通じて君が知っていた可能性もあるかもしれないし」


 俺の姉の事を引き合いに出した源吾郎叔父は、ほんのりとその面に笑みを浮かべていた。初音姉さんは源吾郎叔父に懐いていたし、源吾郎叔父も姉さんの事を甥姪たちの中でも特に可愛がっていたと思う。姉さんは源吾郎叔父に似た面立ちだから、一緒にいれば兄妹のようにも見える位だ。

 源吾郎叔父と姉との関係について思いを馳せている間にも、叔父は言葉を続けた。娘である静香の方を見やりながら。


「それにね、宮坂京子の変化した姿はなんだ。ちょいとやらしい事柄に足を突っ込むのかもしれないというのに、娘にそっくりな姿に変化するのは道義上よろしくないだろう。そもそもマサ君は静香の顔を知ってるし」


 そこまで言うと、源吾郎叔父はふっと微笑んだ。自分の変化が愛娘に似ているという事の何処に笑う要素があるのか俺には解らない。だが、源吾郎叔父の笑顔は父の顔だった。


「マサ君。もう本当に、びっくりするくらい私にそっくりだったんだよ!」

「ははは、先輩も思わぬ所で娘が父親に似ているって知って嬉しいんじゃあないんですかぁ。あ、でも京子ちゃんは清楚なお嬢様って感じだったけど、静香ちゃんは元気いっぱいなだったから、そこは違うかぁ」

「嬉しいと言えば嬉しいけれど……」


 雪羽兄さんに話を振られ、源吾郎叔父は何とも複雑な表情を浮かべていた。


「どうして静香が宮坂京子に似ちまったのか、それが父親としては気になるんだよな。もしかしたら、玲香さんと付き合ってから静香たちが産まれるまであの姿に変化する事が多かったから、そう言うのが娘にされたのかなって思ったりもするんだよ」

「よく解らんけれど、オカルトチックな話だなぁ」


 源吾郎叔父も雪羽兄さんも、半妖と妖怪だからオカルト方面の存在なのではないか。俺は心の中でツッコミを入れていた。口に出す余裕も元気も無かったのである。


「ゴローさん。別に静香が宮坂京子に似ているのは、特段おかしな事でも何でもないわ」


 ドアが開くかすかな音の後に、凛とした声が室内に響く。聞き覚えのある声の主は、俺たちの方に歩み寄っていた。

 声の主は玲香さんだった。源吾郎叔父の妻であり、静香の母親に当たる女狐である。荒事を担当していたのか、ほっそりとした身体を包むのは灰緑色の戦闘服である。オレンジがかった三尾と同じ色のショートボブが歩みと共にかすかに揺れていた。血と汗の匂いを香水代わりに振りまきながらも、その表情はあくまでも揺らがない。

 掛値なしに玲香さんは美貌の妖狐だった。それも所謂女狐という言葉が伴う妖艶さや魔性めいた美しさとは違う。野獣のごとき猛々しさと気高さ、そしてそれゆえの神々しさ。そんな美しさを玲香さんは纏っていたように思えた。

 玲香さんは俺たちに微笑みかけると、そのまま言葉を続ける。


「元々静香の顔立ちや身体つきはいちかお姉様にそっくりなのよ。いちかお姉様はゴローさんの、三花お義母かあ様の妹だから、似ていてもおかしくないでしょう?」

「ああ確かに。その通りだね玲香さん」


 の名を口にした玲香さんの言葉に、源吾郎叔父はまず驚き、それから納得したような声を上げていた。そんな夫の様子を眺めながら玲香さんは言葉を続ける。その笑みはいたずらっぽい物に変化していた。


「それにね、ゴローさんの変化した宮坂京子は、若い頃のいちかお姉様にそっくりなのよ。ゴローさんも仔狐の頃からいちかお姉様と交流があったみたいだから、女の子に変化するイメージの中に、お姉様の姿があったとしてもおかしくないわ」

「あはは、あの変化は最初は急ごしらえで作ったものだと思っていたけれど、まさか叔母上の姿に影響を受けていたなんてなぁ……やっぱり玲香さんは気付いていたの?」

「ええ。何度か姿を見るうちにね」


 源吾郎叔父は若干照れているように見えたが、それでも玲香さんと楽しげに言葉を交わしている。この二人はやはり夫婦であり、心が通い合っているのだ。俺は唐突にそう思った。


「政信君がいずれは妖怪化するであろう事は、初めから解りきっていた事だったんだ」


 場の空気が収まったのを見計らい、源吾郎叔父がぽつりと呟いた。

 そしてその呟きは、俺にとっては衝撃的な物だった。妖狐としての力を思うがままに振るう事。それは家族のみならず親族にも隠しおおせていたと今の今まで思っていたからだ。

 そんな俺の表情の動きを見やりつつ、源吾郎叔父はにんまりと笑った。狐が狐につままれた表情になるのか、と。しかし冗談を飛ばした次の瞬間には、叔父はもう真面目な表情を浮かべていた。


「俺たち半妖が……人間と妖怪の血が入り混じった存在がどちらの生き方を選ぶのかにはばらつきはあるさ。だけどな、それでも妖怪の血が濃いかどうか、妖怪の因子が強いかどうかは赤ん坊の頃から大体見当がつくんだよ。

 そうだな、妖狐の場合だったら尻尾がバロメーターになるわな」


 源吾郎叔父はそう言うと、背後にある尻尾をこれ見よがしに揺らした。雪羽兄さんが迷惑そうに顔をしかめたり、静香がどさくさに紛れて尻尾を触ったりしていたが、源吾郎叔父は完全にそれらをスルーしていた。


「妖狐の半妖の場合、生まれつき尻尾が生えている子は人間よりも妖狐の血が勝っているんだよ。両親が人間として育てたとしても、いつか必ず妖狐の気質が覚醒し、妖狐として生きる事になるんだ。この俺のようにな!」


 声高に告げる源吾郎叔父の顔には、喜色に満ちた笑みが広がっていた。

 源吾郎叔父が異形らしい異形であった事は、もちろん甥である俺も知っている。何せ生まれた時には既に尾は三本もあったのだから。その上誕生して間がない頃は人面狐とでも言うべき狐と人の融合したような姿だったのだという。

 もっとも、源吾郎叔父の両親である祖父母はそんな源吾郎叔父をナチュラルに受け入れ、人間として育てたのだそうだが。

 そしてその源吾郎叔父が妖狐としての生き方を選んだのは紛れもない事実だ。現に妻である玲香さんは純血の妖狐であるし、二人の子供たちは半妖ながらも源吾郎叔父よりも妖狐の血が濃い事には変わりないのだから。人型を取っている静香だって、本来の姿は母親と同じく狐姿らしいし。


「そしてこれは、政信君にも関係ある話なんだよ。君も尻尾を生やして生まれてきたわけだし、しかもいつの間にか二尾になってるじゃないか」

「私なんかまだ一尾なのに、マサ君の方が二尾になるなんてなんかずるいかも」

「こら静香。お父さんが政信君に大切な話をしている時に割り込むんじゃあないよ」


 拗ねたように口を尖らせる静香に対し、源吾郎叔父は軽く注意を始めた。愛娘に上目遣い気味に睨まれても、臆せず平然としているではないか。


「それにね、尻尾が先に増えたとか何とかで、政信君をずるいとか生意気だなんて言うのは筋違いだぞ。幸一郎も二尾だけど、そんな事は言わないだろう? 

 それと、五十足らずで四尾になったお父さんが言うのもアレだけど、早く尻尾が増えれば良いって言う物でも無いんだよ。こういうのは個狐差こじんさもあるし、そもそも二本目が生えるのは百歳前後と言われているから、静香は一尾でも焦らなくて大丈夫なの。良いね?」

「うん。お父さんがそう言うのならそういう事にしておくね」


 源吾郎叔父の言葉に、静香はそう言って大人しく頷いた。素直に納得したというよりも、父親の長話を受け流すための方便ではないかと思うのは勘繰り過ぎであろうか。

 ともあれ、源吾郎叔父は今一度俺の方に視線を向けるのだった。


「少し話が逸れてしまったが、ともかくマサ君の気質が妖狐の側に傾いている事は、うんと昔から、それこそ君が赤ん坊だった頃から気付いていたんだよ。もちろん、誠二郎兄さんだって解っていたはずさ。誠二郎兄さんは俺が異形の姿で生まれ、そしてそのまま妖狐として育っていくのを目の当たりにしていたんだからさ。誠二郎兄さん自体は人間に近いけれど、自分の子が末の弟のようになるって事も覚悟していたんだよ。玉藻御前の血の濃さを、兄さんは知っていたからな」


 源吾郎叔父は、そこまで言うとふっとため息をついた。ややあってから口を開いたのだが、その表情は何処か遠くを見つめているような虚ろな物だった。


「兄姉たちは人間の血が勝っているけれど、その子供たち、俺にとっての甥姪たちの中には先祖返りを起こして妖狐の血が強く現れる子がいるかもしれない。そんな仔狐がいた時に、妖狐の先達として教え導くのがこの俺の役目――母上は、三花お祖母ばあさんは俺が若い頃にそう言っていたんだ」


 そうか。未だ遠い目をしている源吾郎叔父を見据えながら、俺は口を開いた。


「だからゴロー叔父さんは、今ここにいるって訳だな」


 俺の言葉に、源吾郎叔父はゆったりと頷いたのだった。

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