証拠集め③


「そいつ、カメラ持ってなかったか?」まだ喫煙部屋にいる別の三年が部屋の中から声を上げた。

「変なもの撮ってねーだろうな?」


 さくらは首を横にぶんぶん振った。


 野球部員の一人がさくらを指差し、「俺も持っているところ見ました」と言うと、応じるように他の部員が「たぶん、先輩のファンすぎて写真撮ろうとしたんじゃないすか?」とおべっかを加える。


「写真を撮るのはいいが、隠し撮りはいかんな。さっきはあまり見られたくない格好だったし」


「確認しとけ」喫煙部屋の三年が言う。

「よくない写真なら削除しねーと。あとで別に撮ってやるからそれでいいだろ」


 さくらは鞄を胸元で抱きしめた。さすがに動画で撮影していたことに気づかれたら怪しまれるし、なによりせっかくの証拠が消される。


「俺が確認します」康二が一団を押し退けてさくらの前に立った。

「女の子のカメラなんで、やっぱあれじゃないすか、プライベートとかあるじゃないすか。同じクラスの俺なら、別に少しくらい見られてもいいだろうし」


 さくらにも康二自身にもよくわからない屁理屈だったがとにかく他の部員に見られるわけにはいかない。


「スマホのほう」彼は他の部員に見えない角度で、小さな声でささやく。「スマホのほうだせ」


 彼女は頷いてポケットからスマホを取り出した。ロックを解除し、写真アプリを開く。こちらのほうは万全だ、万が一見られた時のために適当なフォルダを作っておいた。


「何も写ってないす」


 後ろから覗き込んできた生田に見せる。犬や猫の写真が並んでいる。


「確かに。女の子の写真って感じだ」


「大丈夫そうっすね」言いながらさくらにスマホを返す。

「じゃ、そろそろ練習じゃないすか? もうグラウンドいかないと」


 受け取りながら、彼女の視界の隅で凛太郎がフェンスをよじのぼりかけていたのが見えた。彼はいざとなったら何をするつもりで、その後はどうなっていたのだろう。康二は康二で、さくらがクラスメイトではないことは後日に必ずバレる。そのあとはどうするのだ? 想像するだけで胸が締め付けられる。何か、今のうちにここで自分にできることはないのだろうか。少しでも彼らを助けられるような行動は何だ? 何がある? 何をすれば役に立てる? ……やはり、結局は自分がここを離れることだろうか?


 彼女は震える手でスマホを操作し、胸ポケットに入れた。康二はそれをじっと見ている。そうして、


「もう練習だから。また来週」やさしく彼女の肩を押した。


 さくらは頷いて、ゆっくり踵を返す。震える足で何とか一歩目を踏み出したところへ、


「待てよ」さきほどの3年が声をかけた。


「どうしたんすか? 山崎先輩と鳥飼先輩。生田先輩も写真見ましたけど、問題なかったっすよ」


「カメラだよ。スマホじゃねぇ。俺が見たのはカメラだった」


 山崎は窓から外へ出て、ゆっくりと離れるさくらの道を塞いだ。


「カバンの中見せろ」


 伏せている彼女の顔を覗き込みながら、煙草の臭いをさせる。臭いと早鐘のような心臓で息が詰まる。


「先輩、そりゃまずいっすよ。無理矢理はまずいっす。女の子の鞄ですよ」


「だまってろ!」


 耳元で叫ばれて彼女の肩が跳ねた。


「こいつがもしあれの写真撮ってたら部活どころじゃねーぞ! せっかく監督が黙ってたのが水の泡だ。中体連も出れなくなる。……おい、鞄の中見せろ」


 さくらは固く鞄を抱いて動けない。自分でも全身が震えているのがわかる。立っているのもやっとだ。呼吸が早くなって、真夏の暑い日だというのに歯が鳴りそうだった。汗とも鼻水ともつかないものが鼻の先からじわりと抱きしめた鞄に染みていく。熱と恐怖と浅い呼吸で頭がぐるぐるする。


「それ見せろ。さっさとしねーと」


「どうなるの?」


 彼女の目の前にいる3年生の奥から、被せるように声がした。


 山崎が振り返る。さくらの涙で滲んだ目に声の主がぼんやりと見えた。はっきりと顔が見えないが、西海高校の制服を着た女生徒だ。


「私の妹泣かさないでくれる?」


「はぁ? ……チッ……高校の先輩ですか。こっちの問題なんで。ほっといてもらえますか」


「聞こえなかった? 私の妹なの。泣かさないでくれる?」


「……うるせーなぁ」女生徒の襟を掴んだ。「先輩だろうと女だろうと、うるせえ奴は黙らせたくなるんすわ! ほっといてもらえますかねぇ!?」


「つかんだわね。警告よ。すぐに手を放して」


「うるせぇ!」


 さくらには何が何だか分からなかった。まず、鈍い音がした。女生徒を掴んでいた山崎が右側に崩れ、それからまた音がして、奇妙な声を出しながらうずくまった。


「そっちが先だからね。これ、正当防衛だから」


 地に臥した山崎を睨みつける。そうして空を見上げ、一拍置いて叫んだ。


「凛太郎!」


「ハイっ」


 頭上から声がした。まだ少しかすんだ目を向けると、フェンスの上から今にも飛び降りそうになっている凛太郎が見える。


「おそい!女の子泣かせるな!」


「すいませんでしたっ」


 フェンスのてっぺんで頭を下げるという、頭が高い謝罪が行われた。


 見ていた部員たちの一部がどよめく。


「おい、あれ『タマつぶし』じゃないか」


「高校空手部の、おとこ女の?」


「そう……黒川華月……」


「『タマつぶしの華月』だ……!」


 華月に睨まれ、喋っていた部員は震え上がった。


「失礼なこといわないでくれる? あなたもボールを潰されたりバットを蹴り折られたくないでしょ?」


 ごくりと息を呑む音が聞こえた。


「じゃ、もう私たち帰るから。二度とこの子に関わらないこと。わかった?」


 返事を確認せずにさくらの手を引いて歩き出す。


 歩きながら、「さくらちゃん、そこの角をまがったら走るよ」と小さくささやいた。


 部室棟の角を曲がる。


「走れる? 高校の校舎まで走ろう!」


 さくらの手を引いて、華月が走る。まだ十分に足が動かないが、必死についていく。駐車場を横切って、何とか野球部員たちの視界から外れた。そのまま中学校校舎を通り抜け、高校の校舎までたどり着く。


 普段からあまり運動をしないさくらは、息もえだった。肩を揺らしながら、涙と汗を拭く。夏の熱気のせいでいつまでも汗は引かないし、涙も止まらない。顔も借りた制服もすっかりぐしょぐしょになっていた。


 華月は心配そうに彼女の背中を撫でた。


「大丈夫? 何もされなかった?」


 声が出ないので、首を何度も縦に振った。


「よしよし。まったく凛太郎め、女の子をあんな危ない目に合わせるなんて。またあばらを折ってやろうかしら」


 前に華月が言っていた「凛太郎は脇腹が弱いから狙うといいよ」とはまさにそのままの意味だった、と気付いて少し可笑しくなった。脇腹をくすぐるとか、その程度のことだと思っていたら。涙と汗はまだまだ出続けているが、気持ちが少し落ち着いた。


「あいつも逃げ切れたみたい」


 華月が自分のスマホを見せてくれた。


 メッセージアプリに凛太郎とのやり取りが表示されている。


『逃げ切れた たすかった さくらちゃん無事?』という表示の直前に、着信を示す電話マークが何個も並んでいる。彼が必死になって姉の助けを呼んでくれたのだろう。


「あ、ありがとう、ございます」まだ息を切らせていたが、とにかくお礼を言いたかった。「ごめ、ごめんなさい、わたし、失敗して、……はぁ、はぁ、ご、ごめんなさい」


 言っているうちにまた涙が出てきた。


「わたし、いつも、役立たず、で、ごめん、なさい」


 もっと役に立ちたかった。前に潜入したときみたいに、証拠品を見つけたり、いい情報を聞いたりして役に立ちたかった。でも調子に乗りすぎた。自分だけでなく康二や凛太郎も危険な目にあわせてしまった。結局彼らも疑われてしまうかもしれない。華月に至っては暴力沙汰まで起こさせてしまった。中学生と違って、高校生は退学になることもある。もしそんなことになったらどうしよう。自分のせいで華月が高校に行けなくなる。わたしのせいでお姉さんの人生が変わってしまう。どうしよう。どうしよう。


「ごめん、ごめんなさい……」


 もう喋ることもできないくらい涙があふれてきた。自分の失敗のせいで誰かが迷惑をする。不幸になる。


「大丈夫。さくらちゃん役に立ってるよ」


 俯いているさくらの両肩に華月が手を乗せた。


「大丈夫。なるようになるよ」


 そのまま背中に手を回して、優しく抱いた。彼女の涙は、いつまでも止まらなかった。


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