六本松修学館②

 今日の最後の授業のあと、振り向くと晶の隣に居た凛太郎は購買へ走っていてすでに姿がなかった。この塾には夕飯を食べ損ねた生徒向けの購買があって、『南蛮ベーカリー』のメロンパンは大人気商品である。凛太郎は姉に頼まれてよく南蛮ベーカリーの各種パンを買わされている。姉のパシリなど彼の性格的に断ってそうなのだが、貴重なお小遣い源になるため渋々やってるらしい。


「晶くん」


 晶は閉じていた目を開けて声をかけてきたさくらを見た。


「今日はずいぶん静かだね。悩みごと?」


 さくらは眉を八の字にして心配そうな顔で言う。榛菜にはちょっとした衝撃である。多少は心配もしているだろうが、好奇心の方が強いはずだ。いかにも「興味なんてありません、ただあなたが心配です」的なアプローチを仕掛けるとは。少し前には友達を作れずに教室の隅でしょんぼりしていたあの子が。彼女も大人になったな……と一人置いてけぼりにされた気分になった。


 晶はそんなさくらに気付いてるのかどうか、「ああ、心配させたならすまない」と返事した。


「実は小学校のときの同級生と会ったんだけど、ちょっとトラブルがあったみたいで。どうしたものかと考えてた」


「そんなに気に掛けるなんて、仲が良い友達だったんだね」


「うん。彼も実験と本が好きで、市立総合図書館でよく会うから仲良くなった」


「そうなんだ。どんな本読んでたの?」


「僕はそうでもなかったけど、友人はミステリー物を読んでたみたいだ」


「わたしもミステリー好きだよ! シャーロックホームズとか」


「そう? 彼もシャーロックホームズは好きだと言ってたな」


「やっぱり! 同じシャーロキアンが困っているなら力になりたいな」


 相当強引な会話誘導だ。ミステリーが好きなら当然シャーロックホームズも知ってるはず。「アニメ好きなの? ドラえもん見たことある? わー気が合うね!」と言ってるようなものだ。となりの榛菜はヒヤヒヤしている。


「それは有難いけど、今回は山岸さんには向かない話だと思う。煙草、吸う?」


 話が変わってきた。


「……吸わない、かな」


 急な話題転換に、さくらも流石に話を広げられない。


「まぁそうなるな。彼は本当に熱心なシャーロキアンで、ホームズの真似をして煙草の吸い殻や灰がどのようになるかという研究を自分でもやってたんだよ。ほら、ホームズは自分で煙草の灰に関する論文を発表しているだろう? 最近はイギリスで現代版ドラマ「シャーロック」が放送されて、そこでも現代のホームズが煙草の研究をブログに公開した、と言うエピソードがあるんだけど、それを日本版として真似たんだな」


 これはホームズ信者シャーロキアンのようだ。さくらは言ってみればエセシャーロキアンで、単純にシャーロックホームズが好きなだけである。本来『シャーロキアン』と言う言葉は、ホームズを実在の人物として扱ったり本格的な研究をしたりする熱狂的なファンを指す。


「ただ、中学生がそんなことをやって学校が黙ってるわけがない。彼は停学になってしまった」


「停学? それだけで?」さくらは驚いて声が大きくなる。


「そもそも中学校で停学なんてあるの?」榛菜は榛菜で驚いている。停学や退学は高校や大学でしか行われないものだと思っていた。


「『自宅謹慎』という名前の停学だよ。彼の学校は私立中学だから、そのあたりは割と匙加減さじかげんが効くのかもしれない」そこで晶はまた思案顔になった。「気になるのは、何故彼の研究がバレたのか、なぜその停学期間が1ヶ月と長いのか、なんだよ」


 一般的に、義務教育である中学校に停学や退学というものはない。公立だろうと私立だろうと義務教育を停止することはできないのだ。ただし、何事にも例外はあるもので、他の生徒や教員に被害が出るもの、目に余る行動を繰り返すものは学校の裁量で『停学扱いじたくきんしん』にすることはできる。


「煙草を吸ったと言うわけではなくて、火をつけて観察し、出来上がった灰や吸い殻の変化を写真に撮ってアップロードしただけ。仮に実際に吸っていたとしても、それでそんなに長い停学になるものなんだろうか」


 晶は再び目を閉じてつぶやいた。


「なにか、もっと理由がある。彼も急いでいたので聞きそびれてしまった。それが妙に引っかかって……」


 事件っぽくなってきた。そして榛菜の予想を覆して案外簡単にしゃべってくれた。さくらの表情が心なしか明るくなったような気もする。


 凛太郎が戦利品パンを抱えて帰ってきた。


「あれ、二人はまだ残ってるのか」戦利品を鞄におさめながら晶に声をかける。「お前もまだ帰らないのか?」


 晶が返事をする前にさくらが口を挟む。


「黒川くんも知ってる人? 晶くんの悩みのタネの同級生」


「ああ、例の話?」榛菜に視線をやると、彼女は同意するようにうなづいた。「健流たけるのことだろ? もちろん知ってるけど、俺はあんまり話したことないんだよな。たまに謎掛けをして、こいつを石化させるんだ」


 どうやら晶とその健流は図書館や実験での交流だけでなく、謎掛け遊びをしていたようだ。小学校の頃、凛太郎にとっては晶の突然の探偵ポーズは見慣れた光景だったのかもしれない。


「今回は違うみたいだよ」


 さくらは晶の同意を確認して、凛太郎に先ほどの一部始終を話した。


「へえ、あいつが煙草をねぇ? 見かけによらないな」


「吸ってはいないようだが。僕としては、ブログに煙草の写真を上げただけで停学というのは行き過ぎだし、しかも1ヶ月は長すぎると思ってる。実際にそういう例はあるんだろうか」


「……なさそうだね」ひとしきりネットを調べた榛菜が言った。「バブー知恵袋でも二週間が最長みたい」


「僕もその記事くらいしか見つけられなかった。それだって何度も注意されたのに吸うのを止めなかったので停学になったと書かれてる。その記事の真偽はともかく、他の記事と合わせて考えても1ヶ月は長すぎる。何か別の理由があるはずなんだが、思いつかない。もし山岸さんが煙草に詳しければ、煙草に関わる知識が得られるかと思ったんだが」


「……協力できなくてごめんね」流石に苦笑いだ。


「身近に煙草を吸う人がいないから、どうにも行き詰まっていた。煙草が関わってて、長期の停学になるようなことってあるんだろうか。吸う以上に問題になること。栽培したとか、密売したとか、密造したとか」


「待て待て、それこそあいつがやるとは思えないぜ」


「僕もだ。それに実際に彼がやったのは煙草の研究をブログにアップしたことだけ」晶は肩を落としてため息を吐いた。「謎だ」


 榛菜の身近にも喫煙者はいない。もっとも近しい喫煙者は母方のおじいちゃんだが、匂いに敏感な彼女の近くでは全く吸わないし、彼女自身も興味がないので知識もない。ただ、煙草の知識こそないが、彼女にはひとつだけ思い当たるものがあった。一度、そのおじいちゃんが寝煙草をして職場のソファを焦がしたのだ。おじいちゃんが指導する学生が偶然見つけなかったら大惨事になっていたらしい。


「火事になったんじゃない?」


 榛菜の言葉に晶は振り向いた。


「火事。そうだ。煙草が関わるもので、かつ生徒自身や教員に被害が出る可能性がある。それなら停学の可能性はあり得る。……でも」


 晶はいったん呼吸を整えて榛菜へ顔を向けた。


「さすが白崎さんだ。でも、正直なところその可能性は低い気もする。彼のブログを見てくれないか」


 そういって取り出したスマホには、写真と文字がびっしりで隙間がほとんどないウェブサイトが表示されていた。掲載されている写真はいかにも飾りっ気がなく、光源もまちまちで統一感がない。シャーペンや消しゴムが写り込んでいるものまであって、いかにも中高生の机の上といった感じだ。後半はベランダで撮影したと思われるものが大半になった。匂いがバレたので撮影場所を変更したのだろう。


「この写真。見てもらうと分かる通り、自宅で撮影したものだ。彼は自宅で煙草に火をつけていて、部屋でもベランダでも吸ってはない。もちろん学校でも吸わないから学校の失火に関わることもない……はず……だが」


 晶は自分で自分の推理に疑問を投げる。


「……だが、疑惑をかけられたとしたらどうだろう。つまり冤罪えんざい。煙草の研究をブログ上でおこなっている彼の言い分を聞かずに教師が勝手に決めつけていたとしたら。


 中学校で煙草の火事なんて結構なニュースだけどそんな話は聞かないから、内々ないないで処理できるけど教員たちにはバレてしまうような規模だった。その上で何か証拠が残ってしまう状況だったとしたら。これなら1ヶ月の停学もあり得るのかもしれない。結果から逆算すれば十分検討すべき内容だ」


「事件だね」さくらが言う。


「彼がもし冤罪を受けたのなら、手助けしたい」


「お、少年探偵団再びか?」凛太郎が茶化す。


「どちらかというと弁護団みたいなものになると思う」晶は苦笑する。「とにかく、まずは本人に話を聞かないといけない……けど」


 そのまま晶は探偵ポーズで目を閉じる。


「けど、どうした?」


 凛太郎の問いに目を瞑ったまま返事する。


「もし冤罪だったとしたら、あんなにあっさりとしてるかな……」

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