模範解答と採点基準②

 晶は顔を前に向けたまま、さくらが拾ってきた証拠品を健流の前に差し出した。


「見てくれ。


 友達が西海中に忍び込んで拾ってきてくれた。あの顧問が捨てたゴミ袋のなかにあった。燃えた形跡がない、ただちぎり取られただけの煙草のフィルタだが、煙草を吸わない人間が見たら吸い殻と変わりない。僕も最初は気付かなかった。歩道に捨てられてた吸い殻と見比べてやっと気付いたんだ。


 ここで、これはボヤではなく放火であると判断した。『煙草を捨てるのに困っている不良生徒』でもなく『隠れて喫煙する不良教師』でもない、第3の容疑者が存在する。


 そいつは『ちぎり取られたキャメルのフィルタ』が吸い殻に見えることに気付いていた。


 そいつはかつて両切りのキャメルが存在し、いまだに根強いファンがいることに気付いていた。


 そいつは隠れて煙草を吸っている顧問を観察し、両切りキャメルのファンであることに気付いていた。


 そいつは顧問がちぎったフィルタを昼食のゴミと一緒に捨てているのに気付いていた。


 そいつは出火原因がキャメルの煙草だと特定されれば、あの顧問が一番に疑われるということに気付いていた。


 だからそいつは、彼を犯人に仕立て上げるため、両切りのキャメルに火をつけてあのゴミ箱に捨てた」


 健流は証拠品を受け取らなかった。晶はそれを小さなジップロックに入れて鞄にしまった。


「しかし、そうなると目的はなんだろう? あの顧問がボヤを起こしたことになって、誰が得をするのか?


 例えば、野球部員達が顧問に恨みがあって偽装したとか? 可能性はあるが、教師は数年前から学内で煙草を吸えなくなっている。つまり現役の生徒達は監督が煙草を吸うところを基本的には見かけないし、フィルタを取ったキャメルを吸っているなんて気付けない。仮に気付いていたとして、恨みを晴らす以外のメリットがない。顧問が不祥事をすれば彼ら自身が中体連にも出れなくなるし、大好きな煙草をお目溢めこぼししてくれるゆるい顧問は彼らにとっても都合がよかったはずだ。


 そう、奴は生徒達の煙草を見逃していた。


 それだけでなく、部活内でのいびりやいじめも容認していた。


 僕らが西海中学に行ったときに一ノ瀬という野球部員に会った。会った、というよりは絡まれたというべきか。ときに、煙草の匂いがする彼が一人で僕らに絡んできた」


 二人とも前を向いたまま、お互いの顔を見なかった。晶は健流の言葉を待つつもりだった。また強い風が吹いた。二人の疲れた、芯の熱い体を撫でる風が消えるまで待った。彼の言葉はなかった。


 晶は少しくちびるを湿らせて、再び口を開いた。


「彼はいじめの被害者だったんだ。彼自身は煙草を吸っていないのに、一人で喫煙者たちの代わりに後始末をしていた。


 芳香剤や消臭スプレーでなんとかかんとか部屋の匂いを誤魔化して、先輩達のアリバイがあるタイミングで、彼が一人で捨てさせられていた。時には持ち帰らされることもあったのかも知れない。仮にバレても見られるのは彼一人。見つかっても野球部全員でシラを切って、トカゲの尻尾になるのは彼一人。たまたま部室棟近くの歩道を歩いていて『自分が処理した吸い殻』を拾って眺めている他校の生徒が『もしかしたら学校の教師にチクるかもしれない』と怯えるのも、一ノ瀬ただ一人。それが野球部員のだ。


 そして彼だけが練習に遅れたり外されたりしているのを見ても何も言わない顧問。不自然だろう? 実情を知らないとそうはならない。奴は教職にあるにもかかわらず、喫煙といじめを黙認していた。


 第3の容疑者はそれが許せなかった。そうだな? 健流」


 返事はない。今度はよりいっそう強い海風が吹いた。


「お前はボヤを起こして注目を集め、顧問が煙草を吸っていること、野球部に煙草が蔓延していること、そして何より、しごきを通り越したいじめがあることを学校に訴えようとしたんじゃないか。


 一ノ瀬と交友があったお前は、彼が喫煙者でないことを知っていた。一ノ瀬は先輩たちのを……」


 晶は喫茶店での一幕を思い浮かべる。凛太郎が言っていたではないか。さくらが制服につけた煙草の匂いを『俺がしておくよ』。煙草の匂いがするからと言って、本人がその匂いを付けたとは限らない。もし動機が「一ノ瀬を助けること」を含むのであれば、一ノ瀬が喫煙者では助けるどころか巻き込んでしまう。この事件を起こしたことが、一ノ瀬自身が煙草を吸っていない何よりの証拠だった。


「……をしていただけだ。犯人として疑われるはずはない。非喫煙者である彼は安全だ……だから実行に移した」


 まだ返事はない。もう強がってもいないだろうな、と晶は自分の足元を見ながら思った。


「しかし思い通りにはならなかった。


 最初の誤算は、ゴミがたいして燃えずに簡単に鎮火されたこと。お前としては近隣住民やら警察やらが騒いでくれた方が人目が集まったのに、清掃員がすぐに気付いてボヤで終わってしまった。しかもバケツで水をかぶせたからフィルタがついてない両切り煙草の燃えかすは跡形あとかたもなく洗い流されてしまった。本来なら警察がきちんと調べて出てくるはずだった、顧問を追いやるはずの証拠が消えた。


 ふたつめの誤算は、学校側が教員を犯人にしたくなかったということ。教師がボヤを起こしたら器物損壊か、悪ければ失火罪で刑事罰になるし、関係者や保護者にも説明をしなければならない。学校そのものへのダメージも大きい。素行の悪い生徒がボヤを起こしたなら、学校の裁量で収めることができる。学校も名前を守りたいから、できれば生徒に泥をかぶせたがった。


 次の誤算は顧問。奴は自分が原因でないことを知っているから、野球部員を強く疑った。普通なら実際に煙草を吸っている連中が吊し上げられるだろう。しかし犯人にされたのが、なんといじめられていた一ノ瀬だった」


 友達が深く息を吸ったのがわかった。


「お前はそれを知って慌てただろう。煙草を吸っている部員か、あわよくば顧問を犯人に仕立て上げたかったのに、本当は助けたかった相手が濡れ衣まで着させられようとしている。だからその日のうちに自首をした。なんのことはない、お前は誰かを庇ったんじゃなかった。本当に、ただ自首をしたんだ。お前がいた嘘は『僕はやってない』だ。犯人の誰もが言うやつだな。やれやれ」


 晶は、ゆっくりと健流を見た。彼が落ち着いているのか確かめたかった。


「お前は一ノ瀬の真意がわからなかった。メッセージで言っていた『僕にもよくわからないこと』だ。なぜ甘んじて濡れ衣を着せられたのか。反論はしなかったのか? それとも何か理由があったのか? もしかしたら、彼も喫煙者だったのでは? このまま他の教師に野球部の喫煙やいじめを伝えていいのだろうか? 


 彼に連絡を取ればすぐにわかることだが、この一件以来避けられるようになってしまった。まぁ当然ではある。お前のせいで彼は放火犯にされかけたし、野球部内での立場はずっと難しいものになっただろうから。お前は迷った挙句、一先ずは真実を胸に秘めた。お前が伝えたかった、本当の真実を。


 幸いというか何というか、煙草研究のブログまで持っていたものだから実験の不始末でああなったと言ってうまいこと教師を丸め込んだ。なぜ炎天下のグラウンドでそんなことをやったのかとか、そもそも学校でやる必要がないだろうとか、そういう諸々を含めて学校を納得させた。その結果が1ヶ月間の自宅謹慎。まぁ納得の結果だろう。退学にならないだけマシだ。義務教育の特権だな」


 健流はまだ何も言わない。しかし彼の胸が大きく膨らんだりしぼんだりしていることが、彼自身を雄弁に語っている。


「メッセージで言ってたな。『晶くんの客観的な意見が欲しい』。お前、まだあの顧問を犯人にできないか考えていたんだろう。僕がうまいことして、お前の冤罪を晴らすなんてシナリオに期待して謎解きゲームをしたんじゃないか? まったく。そんなに都合よくいくわけないだろう」


「……いつから気付いてたんだい」


 ようやく聞けた友達の返事は、蒸した空気とは逆に乾いていた。


「気付いてたってわけじゃないが、はじめから怪しいとは思ってた。お前、あの書店で言ったこと覚えてるか? 『原尞の新刊が待ちきれなくて買いに来た』と、塾が始まる前の夕方頃に言ってきたんだ。まるで僕を待ち伏せていたかのように、夕方頃に。自宅謹慎中にも関わらず待ちきれないのなら、何故午前中に買いに行かない? その方が生徒の目も避けられるし、早く読めるのに」


「……やっぱり、君にはかなわないよ」


 疲れた笑顔が降参の意思を表していた。




——『火を付けたのは誰か』採点基準——


三井みつい健流たけるが犯人だと見抜いた(配点20)

⬜︎根拠を持って放火であると推測した(周囲に火種がない、ボヤを起こす者が存在しない、など)。

⬜︎放火犯が好む対象物ではないことに気付き(周囲にモノがないため延焼しない、燃えにくい金属のゴミ箱を狙ったなど)、単純な放火ではないと推測した。

⬜︎定期的に警備員が巡回しており、部外者の犯行は難しいと推測した。

⬜︎ゴミ箱が利便性より安全性を優先した場所に犯人によって移動されたと推測し、放火の可能性を疑った。

⬜︎健流が吐いた嘘に気付いた(これまでの発言、メッセージログの中から「僕はやってない」の部分を指摘できた)。

 以上を二つ満たしていれば加点。

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