第44話 ずっと側に

 師匠の説明を聞いたエレナは、ここに来て自分の想像を超えた話になったためか、困惑した様子で口をパクパクとさせる。


「つまり、私たちの世界もまた、誰かが書いた小説の世界である可能性があるということですか?」


「そう。私も今までその可能性について考えたことは無かった……いえ、おそらくだけど、考えないようにさせられていたのかもしれないけれど、ようはそういうことよ。そして、それを証明するかのように行動している子が、今目の前にいるでしょう?」


「まさか……」


 エレナは師匠にそう言われると、彼女もようやくその可能性について思い至ったのか、驚いた表情で俺の方に顔を向けた。


「エレナちゃんの想像通り、その証拠がノアよ。今の彼と一番長く行動しているのはあなただと思うからわかると思うけど、エレナちゃんも思い当たる行動があったんじゃない?」


「言われてみればそうですね。ノア様は旅を始めた頃から全てを知っているように行動していましたし、なのに戦い方はまるで外側からしか見たことがないようにチグハグで、頭と体が別々なのではないかと感じたこともありました。


 それに、会ったこともない人を好きだと言い始めたり、エリザベート様のことも突然師匠だと言い出したりしてました。てっきり頭がおかしいのだと思い触れないようにしておりましたが、そういう理由だったのですか?」


「確かに会ったこともない人を好きだと言い出すのは私も頭がおかしいと思うけれど、おそらくそういうことだと思うわ」


 何だか流れるように俺がディスられ始めたが、ここで文句を言えば話が進まなくなるため、とりあえず言いたいことを我慢して言葉を飲み込む。


「ということは、ノア様はこの世界が作り物で、物語の世界だと知っているのですか?」


「正確に言えば、物語というよりはゲームなんだが、確かに俺にはこの世界が繰り返されていた時の記憶があるよ」


「ゲーム?」


「簡単に言えばチェスみたいなものだな。エレナもチェスは知ってるだろ?」


「はい」


「チェスはプレイヤーが駒を動かすことで、役割と目的を持って動くことができる訳だが、逆にプレイヤーが動かさなければその場から前に進むことができない。俺たちはそれと似た世界の登場人物であり、プレイヤーと呼ばれる別の世界の人間が動かすことで、俺たちは動くことができるんだ」


「なるほど。つまり、チェスの駒に一人一人のストーリーがあって、その駒を動かすことで全体的な物語を作るという感じなわけね」


「正解です」


 師匠は相変わらず理解が早くて助かるが、エレナは段々と話が複雑になってきた為か、言葉を発することなく瞳を彷徨わせていた。


「もっとわかりやすく言うのなら、人形遊びを思い浮かべてみろ。お前も人形で遊ぶ時、その人形に名前や家族、どんな性格でどんなシチュエーションなのかを簡単にでも考えて遊ぶだろう?つまり俺たちはその人形で、別の世界のプレイヤーというのが、お前のように人形で遊ぶ人たちだと思えばいい」


「な、なるほど。え、ということは、私たちはただの人形ということですか?」


 ここまでの話をある程度理解したことで、自分がその人形であったことに思い至ったエレナは怖くなったのか、自身の体を抱きしめながら僅かに震える。


「な、なら私は何なんですか?本当に生きてるんですか?今も誰かの手によって、自分の意思とは関係なく動いているのでは。本当に私は……エレナなんでしょうか…」


「確かに過去の俺たちは、プレイヤーや別の誰かの手によって操作されるだけの人形でしか無かった。だが、今は違う。俺たちはすでに本当の自由を手に入れた。もう誰かに操作されることも、自分の意思と関係なく動くこともない。お前はお前だよ、エレナ」


「ほ、本当ですか?」


「現に俺は、その記憶を基に自由に動けているだろ?それに、この話をエレナや師匠に話せたことが何よりの証拠さ」


「確かにね。もしこの世界がまだ誰かによって操作されているのであれば、ノアが自由に動くことも、ましてや世界の根幹に関わるこんな話をすることもできないわね。エレナちゃん、ノアの言葉は信じても大丈夫よ」


「よ、よかったです」


 自分が本当に自分自身なのか、よほど不安だったらしきエレナは目に涙を浮かべると、小さく声を漏らしながら泣き始める。


「あらあら。泣いちゃったわね」


「寧ろこれが普通の反応だと思いますよ?師匠があっさりしすぎなのかと」


「ふふ。これでも長生きはしている方だし、色々と経験もしているからね。ちょっとやそっとの事じゃ泣いたりしないわ」


「ちょっとやそっとのレベルを超えた話だったと思いますけどね」


 師匠のあっさりとした反応を褒めるべきか呆れるべきか、逆に俺の方が反応に困ってしまうほどではあるが、それもまた師匠らしいと思ってしまうのは、やはり過去の付き合いが長かったせいだろう。


「さて。ここからは私も知らない事だからノアに尋ねるけど、何故あなただけがこの世界の秘密を知っているのかしら。それを詳しく教えてくれる?」


「いいですよ。それはですね、俺がこの世界の基となったゲームの主人公だったからです」


「主人公?」


「いや、本当ですよ?そんな痛い子を見るような目で見ないでください」


 俺が主人公だったと言った瞬間、師匠はまるで頭の可哀想な子でも見るような目を俺に向けて来るが、俺はすぐにそれを否定した。


「主人公というのは、つまりあの主人公よね?」


「はい。物語に出て来る主人公です」


「ごめんなさい。もっとわかりやすく教えてくれるかしら」


「そうですね。この世界が物語でもあったということは、師匠も理解されてますよね?」


「えぇ」


「なら物語を作る時、作者はどういう順番でその作品を作ると思いますか?」


「そうね。人にもよるかもしれないけれど、大抵はどういう世界なのかという世界観からかしら。その後に世界観にあったキャラを決めていくわね」


「仰るとおりです。まずはファンタジーなのか恋愛なのか、所謂ジャンルというものを決めます。次にどういう世界観なのかを決めて、その後はその作品の主人公がどういうキャラなのかを考えるでしょう。年齢や性別、そして性格や過去の背景、家族構成や行き着く未来など、様々なことがその主人公を軸として物語が考えられ、他のキャラも作られていくのです」


「……なるほど。つまりこの世界はあなたを軸として物語が進んでおり、私たちというキャラが生み出されたということね」


「正解です。そして、この世界が他世界との繋がりを切られた時、主人公であった俺にはいくつかのギフトが与えられました。その一つが、この世界に関する過去の記憶の全てです」


「そういうことだったのね」


 師匠はようやく俺の主人公という言葉の意味を理解したのか、納得したように頷くと、今度はスッキリしたように笑った。


「ノアのお話はよくわかったわ。私としても、とても面白い話が聞けて楽しかった」


「それはよかったです」


「なら、あとは興味本位で聞くのだけれど、ノアは私のことを師匠と呼んでいたわよね?つまり、本来の物語での私の役割は、主人公であるノアの師匠だったというわけね」


「はい」


「私はその物語でどうなったのかしら」


「死にました。と言っても、実力で負けたというよりは、魔法が封じられ、俺を庇って死にました」


「そう。なら、価値のある死に方はできたということね」


 自分が死んだと聞かされたにも関わらず、師匠はどこか満足そうに笑う。


 これは俺の推測でしかないが、師匠は半魔族として人々から蔑まれ忌み嫌われて来たことで、自分の存在価値が分からなくなっているんだと思う。


 だから俺や群れから捨てられたケルベロスの子供を拾っては育て、自分が何かの役に立っていると思いたかったのだろう。


(本当に、可哀想な人だ)


 こんなにも優しくて、どれだけ嫌われても人が好きな師匠は、しかし半魔族というだけで人に嫌われながら成長してしまった。


 その結果、師匠はいつからか人の役に立って死にたいという考えが強くなり、自己犠牲というものが彼女の心の奥深くに根付いてしまったのだ。


「師匠、俺はあなたをこの世界で死なせるつもりはありません。俺があなたを嫌い否定するこの世界を変えます。だから、ずっと俺をそばに居させてください」


 俺は座っていた席から立ち上がり師匠の近くで膝をつくと、彼女の美しい手を取り、誓いを立てる騎士のようにそっと口付けを落とす。


「ふふ。まるでプロポーズみたいね」


「師匠が望むのであれば、俺はそれでも構いませんよ?俺はどんな関係であれ、師匠の側にいることを望みますから」


「うーん、そうね。ノアの言葉は嬉しいけれど、今はまだそういう関係は望んでいないわ。お互い……というより、私がまだあなたのことを何も知らないもの。それに、あなたはまだ幼いし、なにより他に好きな人がいるのでしょう?雰囲気からわかるわ。だから、もしそういう関係になりたいと思ったら、私の方からプロポーズするわね」


「わかりました」


 俺が師匠に抱いているこの感情を恋愛感情なのかと聞かれれば、俺は特に迷う事なく否と答えるだろう。


 この感情は恋愛感情というよりも敬愛や師弟愛に近く、かといって恋愛感情より軽いのかと言えばそれもまた断じて否だ。


 俺が師匠に向けているこの感情は、意味は違えどあの子に向けているのと同じくらいに重く、このどうしようもない依存と独占欲に満ちた黒い感情をあの子や師匠が知れば、確実に俺から逃げてしまうだろう。


 だから、この感情はなるべく隠さなければならない。


(感情を隠すことは得意だからな。特に問題ない。まぁ、彼女たちに手を出そうとした奴は、例え誰であろうと容赦なく殺すけど)


 そんな黒い感情を隠しながら師匠に笑いかけると、彼女も美しい薔薇のように笑い返してくれる。


 この先、俺の師匠に向ける感情が恋愛感情へと変わるのかはまだ分からないが、エレナが言うには人の感情に絶対など無いらしいから、もしかしたら感情も関係も変わるのかもしれない。


 それはそれで幸せだろうなと思いながら、その後も俺は師匠の手を優しく握り続けるのであった。


 なお、俺と師匠が互いに手を握り微笑みあっている間、エレナは羨ましそうにしながらこちらを見ていた。






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