白夜の恋人 シロフクロウが紡ぐ奇跡

神崎 小太郎

第一章 夏嵐と白夜の予感

 

 あれは、私にとって、幸せを招く「白夜」だったのだろうか。


 時刻は八時を示し、そろそろ職場へ向かう時間が迫っていた。それでも、過去を思い返すことによるやりきれない虚しさに捉われてしまった。    

 それは、朝日を背にした鳥たちが空へと羽ばたく旅立ちの時刻だ。新たな一日の始まりを告げるひとときは、希望と期待に満ちているはず。その形は八の字に見えて、末広がりだった。


 岐路に立つ自分には希望の叶えられる道筋が迫っている時のように思えた。なぜなら、季節外れの初詣で手にした『末吉』のおみくじから教えてもらったからだ。

 おみくじの場合の『末』は、『末広がりの末』と言って、『後々良くなります』という意味になるらしい。


 これからの自分に少しだけ期待を抱いてしまう。新しい出会い、新しい経験、そして新しい私。それら全てが、未来への道筋を照らしてくれる光となる。こんな私でも、幸せになる権利はあるはずだ。


 今日は気が重くなる仕事の日だ。のんびりと妄想に戯れている暇などはなく、冷蔵庫から牛乳を取り出して口をつけた。そろそろ、気もそぞろに職場へと向かわなくてはならなかった。あかりが消えた我が家を後にするのは辛かった。


「私がいない間、家を見ててね。君がいてくれると心強いんだ!」


 返事も戻らない部屋に幸運の神さまが舞い降りるのを信じて、私はそう言い残して、玄関の扉を静かに閉じた。


 期待と希望を抱いていると言っても、時おり女心に虚ろな夜が訪れて、迷いを生じることがあった。  


 このまま失恋の傷跡を引きずり、女性として耐え忍ぶ人生を選ぶのか、それとも自分の新しい道を切り開くのか。夜の帳が下りて、ひとり寝の世界にひたれば、色々な想いがこみ上げてしまう。


 いつものように、襟元を整え  

 ポケットに手を突っ込んで  

 渋谷のスクランブル交差点で

 私の姿を見つけると  

 小走りに駆け寄ってくる


 黒いスーツ姿が似合う  

 笑顔を絶やさない  

 見覚えのある男だった  

 その速い足取り  

 その笑顔は 間違いなく 

 かつて  心から愛したあの人だ


 あれから三年――――  

 時間の止まったような日々が  

 私の前を涙雨とともに  

 ゆっくりと通り過ぎていった  

 なのに、今でも胸が震えるほど  

 熱い想いが湧き上がる


 突然に駆け抜けた夏嵐のように

 彼はふたりの愛を投げ捨てて  

 私の前から消えたというのに……  

 懐かしさと苦い思い出が  

 胸を詰まらせ息苦しさと共に  

 涙が幾度となくこみ上げてきた


 その瞬間、言葉をつむぐことが

 できなくなった――――


 あなたがいなくても  

 私は元気に生きていると  

 伝えたかっただけというのに……


 その瞬間、言葉を奏でることが

 できなくなった――――

 あなたがいなくても  

 私は健気に生きていると  

 伝えたかっただけというのに……



 三年前のどしゃ降りの夜、私たちはいつも会社帰りに待ち合わせた駅で別れを告げた。彼は新しい恋人と手をつなぎ、私は傘もささずに涙雨に打たれ続けた。それから何回か同じ駅で彼らの仲睦まじい姿を見かけた。

 けれど、三年が過ぎても、彼の笑顔とその別れの瞬間が頭から離れず、悔しさで涙が止まらなかった。


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