第39話 水の精霊王ルートにも裏設定!?


 ふいに現れた平民モブ村娘が、まさか自分のことを知っているとは思わなかったのだろう。攻略対象ヴォディムのデフォルトである「穏やかに凪いだ表情」が崩れ、微かな驚きの色が浮かぶ。


 微笑を湛えた形の良い薄い唇と、涼やかな切れ長の目、そこに輝くサファイアの瞳はそのままに、柳眉が僅かに跳ねた程度の変化ではあったが。それでもゲームを知る者ならば、驚きを隠せないほどの反応と言える。


『ワタシを知るか、虹のあるじに魅入られし娘よ。確かにワタシは、水の精霊王ヴォディム。ただ形留めぬ水の化身なれば、それすらも仮初のモノだろうが』


 表情を持つ彼に残念感を抱いてしまうレーナではあるが、別段彼のアンチではない。ただ、美しさを計算し尽くしたスチルに描かれた彼は、崩れないアルカイックスマイルが常だったのだ。だからそんな彼のデフォルト以外の表情は、世界観を損ねる異物として捉えてしまう。そんな意味での落胆があった。


 とは言え、目の前に立つ彼を改めて見れば、周囲の暑苦しい景色すら清涼に見えるほど、透明感ある美貌の主ではあるのだ。


『なぁーによぉ? あんた、あたしの子孫の気を惹いといて、こんな水男に見惚れてんのぉ? あり得ないわぁ』


 プチドラが、クスクスと笑いながらレーナの元へフワリと宙を舞って来る。


「え? あり得ない」


『え? ――ちょ……』


 リュザス一筋でゲームを攻略し続けたレーナだ。推し違いのからかいは断固拒否の構えで、すんっと冷めた否定の言葉が出た。逆に、ふざけ混じりの質問を持ちかけたプチドラが、レーナの答えに慌てた素振りを見せる。


(総キャラと世界観を愛するパッケージ推しとは違って、わたしはリュザス様一筋なのに、もぉ)


 平穏な平民モブ・オブ・モブ村娘生活を脅かすものは、例えそれが言葉遊びのようなからかいだとしても捨て置くことは出来ないのだ。リュザス探しの旅に出るため、メインストーリーや、聖女へのフラグと成りかねないものはどんな些細な事でも、徹底拒否の構えだ。


(攻略対象なんて、絶対に関り合いたくない相手なのよね)


 既に、そのうちの2人に懐かれており、更にいま1人には誘拐されて、絶賛逃亡中だ。それでもレーナは、モブ人生を諦めてはいない。


 だから「あり得ない」発言は、モブとして身の程をわきまえた、トップカーストを遠慮した奥ゆかしい発言のつもりだった。


『我が主への傲慢な物言い……到底看過出来るものではないノネ!』


 だが、そう捉えない者も少なからず存在した。レーナらが飛び出してきた穴から、気色ばんだゾイヤが飛び出してくる。


 表情は、剥き出しの牙とギロリと鋭い光を放つ瞳で流石に理解することが出来た。


「なんで怒ってんのーーー!?」


『やっぱりこうなったぁぁぁーーー! レーナってば、ヴォディムを虚仮こけにされて、彼の眷属のゾイヤが黙ってるわけないでしょーーーっ』


 自分を卑下した上に怒られたレーナは意味が分からないが、プチドラは予想がついたらしい。慌てた様子でエドヴィンの頭の影に隠れる。


『あぁっ、もぉっ! あんたが大真面目に空気を読めない答えを返すからっ……。あたしのせいじゃないからねっ!』


「ご先祖様、今のは貴女の物言いも良くないと思うぞ」


「だよなっ! レーナが エドの気を惹くようなマネ、するワケないじゃん。おっかしぃコト 言うんだからさぁ?」


「アルルク……お前、わざと言ってるな?」


「しーらねっ」


 レーナを置き去りにした会話が交わされるが、怒気も顕わな青龍に睨み付けられた彼女は、悠長な会話に加わることなどできない。


 非常に気になることを言われている気はするが、加われない。巨大な龍に睨まれた今、リュザス探しの旅に出る前に人生終了に直結しそうな危機に肉迫しているのだから。


(きっと、とんでもない誤解をしてるのよね?! なんとか弁解しなきゃ!!)


 怯む気持ちに飲まれそうになるが、ここで諦めたらそこで推しの居る転生人生が終了してしまう。「わたしのリュザス様への情熱はそんなものなの!?」と強く念じて、レーナは自分に喝を入れる。


「悪気なんて無いのよ! 気に障ることがあったんなら御免なさい。精霊王さんに相応しいのは、彼と同じくらい煌めかしい、あなたみたいな化身やヒロインしか有り得ないでしょ? わたしみたいな平凡村娘はお呼びじゃないってことなのよ!」


『なんだと? それを早く言うが良いノネ』


 レーナの必死の主張に、ゾイヤの態度は驚くほどあっさりと軟化した。


『そうかそうか、我はヴォディム様に相応しく、煌めかしいまでに美しいのかノネ! お前、見処があるなノネ!』


 しかも、分かりやすく上機嫌になったゾイヤは、長い胴体の先、後脚の後ろの先細りして行く辺りをフリフリとリズミカルに上下させる。


 黒い地面に打ち付けられる度に、ビッタンビッタン音が鳴って、足元の岩盤が砕かれているが、敢えてそれに触れる者は居ない。


(ヴォディムが大好きなのね。ゲームでも水の精霊王ヴォディムと、彼の力の化身ゾイヤは、いつも一緒に居たものね。スチルでは必ずヴォディムに巻き付いたり、背後から顔を出したりして描かれてたけど……)


 前世の記憶を思い起こし、現実と照らし合わせて感慨に耽っていると、ふと――心を過る違和感があった。


 それにしても、これは懐きすぎではなかろうか――と。


(乙女ゲームでの「水の精霊王ヴォディム」ルートは、全てに寛容・全てに無関心な彼とヒロインが結ばれて、最後に仲睦まじいスチルが描かれるけれど……。そこにも、2人をくるりと長い胴体で取り囲んで、ヴォディムに頬を寄せたゾイヤが居たわ)


 あれはもしかすると、ヴォディムを巡る、ゾイヤとヒロインの戦いの幕開けを意味していたのではないだろうか。


 龍の表情は読み取りにくい。動きがあってはじめて理解できているレーナだ。ならば、あのスチルのゾイヤの気持ちは、見守るなどといった穏やかなものでなく、ライバル認定したヒロインに、最愛のヴォディムの一番の座は渡さないと闘志や敵愾心、嫉妬に満ちたものであってもおかしくはない。


 いや、むしろゾイヤの反応を見る限り、ほぼ後者で確定だろう。


 あのエンディングは、ハッピーエンドに見せてはいるが違うのだ。攻略対象を巡るヒロインとゾイヤの最愛の座を掛けた争いの勃発……或いは、小姑の居る苦難の生活の始まりを意味する意味深な裏事情を示唆していたのだ。


(火龍ファルークだけじゃなくって、こっちまでとんでもない裏事情があるなんて!? 現実って、乙女の夢を壊すものなのねー……)


 再び、ゲームではっきりと描かれなかった乙女ゲーム要素としては全く重要でない『裏設定』が、今この世界に実在する自分たちの前に明らかになったのだった。

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