旦那様の真実

 転移魔法は上手く機能したらしい。魔法陣の光に包まれて目をつぶった次の瞬間、気付いたときには旦那様の部屋にいた。


 しかし、そこに旦那様の姿はない。


 カーテンが閉められ、真っ暗な部屋には、昨日以上に研究器具のようなものが散乱しているようだった。暗がりに映る実験部屋は、どこか不穏に感じられる。気を抜くと、三年前のトラウマがよみがえりそうになって、私は急いでカーテンを開いた。


 跳ねる心臓を抑えながら、辺りをみまわす。すると、部屋の奥に扉が一つあるのがわかった。どうやら、内側の扉によって、隣の部屋とつながっていたらしい。ここが、旦那様の自室であることを考えると、この先はおそらく寝室だ。


「……ここにもおられないとしたら、完全に事件ね」


 本当にパーティーに行きたくなくて、逃げておられるのだろうか。貴族の方が行き詰った時に、お忍びで街に繰り出すというのはたまに聞く話だが、旦那様もそのたぐいなのだろうか。


 様々に思いを巡らしながら、扉に手を掛ける。すると奥で、ガタンッと物音がした。


「……⁉」


 思わず一気に扉を開ける。大きな物音に、強盗でも押し入ったのかと焦っていたのだが、目に入ってきたのは、全く予想外の光景だった。


「旦那様………?」


 寝台の横にうつぶせに倒れている人影が見える。寝間着に身を包んだブルーグレーのツヤのある髪の人物。あれはきっと旦那様だ。


 急いで駆け寄って呼びかけるが、反応はない。肩を上下に揺らし苦しそうに息をしている。うつぶせのままではいけないと思い、抱き上げると、布越しに感じられる旦那様の温度は尋常ではない熱さだった。汗が滴り、顔がほてっている。


「すごい熱だわ。すぐにお医者様を呼ばないと……」


 何とか寝台に寝かせ、その場を離れようとすると、旦那様が私の手を掴んできた。


「……まって、くれ」


 うっすらと目を開ける旦那様はとても苦しそうで、私は思わず足を止める。どうやら、誰にも知らせてほしくないらしい。


「そうだ、少しくらいなら、私が何とか出来るかも」


 これでもメイド修業中の身、主の介抱は仕事の一つである。


 今までテルマがやってくれていたことや、イナの看病をしていたシェアンの姿を思い出す。この部屋に何が置いてあるのかは把握できていないので、必要なものはすべて魔法で補った。


 柔らかいタオルで旦那様の汗を拭う。魔法でミニタオルに冷たい水を閉じ込め、額や首元を冷やす。ほんの少し旦那様の表情が和らいだ気がした。


 出来ることをすべて終え、寝台の横に置いたイスに座る。今もまだ苦しそうな呼吸の旦那様を前に、私は思いを巡らせていた。

 身長があるのに対して明らかに細い体。血色の悪い青白い肌。それらを見ていると、とあるシェアンの言葉を思い出す。


 ―「坊ちゃんはもともと体が弱かったんです。今では全く体調を崩さないくらい立派になられましたが、昔はご両親も心配されるほどに病弱でいらっしゃいました」―


「……立派に、ね」


 何だかすべてが分かった気がする。


 私は一つため息をつくと、立ち上がって、旦那様に両手をかざした。


 白銀の光を纏った魔法陣が旦那様の上に展開する。優しい光が降り注ぐと、旦那様はぼんやりと目を覚ました。


 これは簡単な治癒魔法。私は聖属性の魔法使いではないので、完全なものではない。あくまで魔法書を読んで習得した独学のものだったのだが、案外効果はあったらしい。


「度々閉じこもっていたのは、体調が悪いのを隠されていたんですか?」


 私の問いに、旦那様は一瞬目を泳がせた後、観念したように力なく笑った。てっきり、昨日のような氷点下の眼差しを受けるものだと思っていたので、思わず拍子抜けしてしまう。


「……やはり魔法の天才に、私の魔法は通じなかったか」


「……旦那様」


「すまない。迷惑をかけたね」


 優しい微笑みに暖かな声色。昨日とは別人の旦那様に私は思わず、固まってしまう。すると、旦那様は、隠していたことを全て打ち明けてくださった。


 旦那様は幼い頃から体が弱く、何かある度に寝込んでは両親を心配させていた。時には、次期当主である旦那様の将来を心配する声が耳に入ることもあったという。


 そんな声を聞いた旦那様は、体が弱い分、沢山勉強して、次期当主として安心させられるような自分になろうと勉学に励んでいた。


「だが、心配の声はやまなかった。無理をして勉強し続けたからか体調を崩す回数も増えてしまって、勉強している時間より寝こんでいる時間の方が多くなった。結局、両親もまわりの大人も心配を強める一方だったよ」


「だから、体調不良を隠して、研究に励んでいるという嘘を……?」


 私の言葉に、旦那様はどこか寂しそうに微笑んだ後、まだつらい体を起こして、私を見つめた。そして、急に頭を下げる。


「アリシア。すまなかった。婚約者になってから今までのこと。私は君よりも、自分のことを優先してしまった。本当にすまない」


 心からの謝罪する彼に、私の胸は苦しくなった。この人はきっと、今までずっとひとりで戦っていた。皆を心配させないために、誰にも弱みをみせず、強くあろうと頑張っていた。当主たる威厳をまとって、その重圧に一人で耐えていた。


『坊ちゃんは、ただ一生懸命なんですよ』そう言ったシェアンの言葉が脳裏をよぎる。彼女は何となく気付いていたのかもしれない。旦那様の苦しみに。


 それなのに私は、自分勝手に腹を立ててしまった。


 気付けば、涙があふれていた。


「アリシア……?」


「無茶です。さっきみたいに独りで倒れて、誰にも気づかれないままだったら、どうするんですか」


 泣きながら怒る私に、旦那様は慌てていた。本当はこんなにも優しくて、不器用な人なんだ。そう感じながら、私は言葉を続けた。


「これからは、私が側で支えます。辛い時、隠しても無駄ですから」


 私がそう言うと、旦那様は微笑んだ。


 きっとしばらくの間、旦那様の事実は二人の秘密となるだろう。それでも、もうこれからは旦那様を独りにしない。私はそう決めた。

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