トマス様とディアナ様

 オリヴァー様の母―ディアナ様と、父―トマス様は政略結婚だった。侯爵家の嫡男であったトマス様の元に、子爵家の三女であったディアナ様が嫁いできた。この結婚は双方の親が決めたもの。研究者一家の血筋らしく研究にしか興味がないトマス様と、研究に微塵も興味がなかったディアナ様は、初めの頃、全くかみ合わなかったのだという。


 そんなぎくしゃくした二人を、シェアンは当時とても心配していた。


「使用人たちでこっそり計画を練ったりしたのですよ? 旦那様に演劇鑑賞のチケット二枚をお渡ししてみたり、街へお買い物に行った際、ディアナ様に旦那様へプレゼントを選んでみてはと提案してみたりもしました。けれど、なかなかうまく行かず……」


「……それは大変だったでしょうね」


「はい。ですが、それも今となっては楽しい思い出ですよ」


 嬉しそうに話すシェアンを見て、何だかこちらまであったかい気持ちになる。


「すれ違い続けたお二人でしたが、やがて思いが通じ合うようになられました。そのきっかけが『刺繍』なんですよ」


 ある時、トマス様が研究所の出張でしばらく屋敷を離れたことがあった。その際、準備を手伝っていたメイドに頼んで、ディアナ様はこっそりトマス様のスカーフに刺繍をなさったという。


「赤いアネモネの花をモチーフにした刺繍でした」


「赤色の? それって、もしかして」


 シェアンが微笑んで頷いて見せる。

 

 昔どこかで読んだが、赤いアネモネの花言葉は『きみを愛する』。そして、ディアナ様はスカーフとともに「これは私の想いです」と書いた小さなメッセージカードを忍ばせたという。


 きっと、彼女は少しずつトマス様に惹かれていたのだろう。


「旅先でそれを見たトマス様は、お仕事を投げ出して帰って来てしまいましてね。ディアナ様に目いっぱい叱られた後、お二人は仲良し夫婦になられたんです。そんなこともあって、ホワード家では刺繍の入ったスカーフは特別な意味を持っているのですよ」


「このお話は、もちろん旦那様も知っておられるのでしょう? それなら、私なんかが大切な思い出を汚してはいけないわ」


 旦那様にとって私はこの家を守るために都合がよかったいち婚約者。それに、先ほどは怒りに任せて失礼な態度をとってしまったし、印象は最悪だろう。そんな私から刺繍を受け取っても、旦那様はきっと喜ばれない。それに今は旦那様のことを想った刺繍など施せる気がしない。


 しかし、俯く私に、シェアンは優しく声を掛けた。


「汚すなんてことはありません。きっかけはどうあれ、お二人は夫婦になられたのです。アリシア様だって、このまま坊ちゃんと疎遠なままでは過ごしにくいのではありませんか? 別に愛の言葉を伝える必要はありません。アリシア様の素直な想いをのせてくださいな」


 今の私の素直な気持ちは何だろう。思いを巡らせていると、とある花の名前が頭をよぎる。以前読んだとある図鑑に載っていた花。意味はたしか……。


「なら、私はこのお花にしようかしら」


 私が決めた花の名前を聞いて、二人はまたしても顔を見合わせて微笑む。イナは先ほど以上に張り切って、指導してくれた。


 テルマ観察のかいがあって、簡単な裁縫は何とか行える。ただし刺繍は初めてだった。魔法でなら簡単にできる気がするが、きっとそれでは意味がない。イナの教えのもと、シェアンに見守られながら、一針一針丁寧に縫っていく。


「やはりアリシア様は筋がいいですねぇ。先ほど教えた方法をもう習得していらっしゃる」


「シェアンさんもそう思われますよね? 私も先ほどからもう指導しなくてもいいんじゃないかって思えてきています」


「褒めてくれるなんてうれしいわ。でも、イナ。まだ目を離さないでいて。失敗したくないの」


 いつの間にか刺繍にのめり込んでいた。旦那様のことを想いながら、針を通していく。ジャボとも呼ばれる真っ白なスカーフが、刺繍によって彩られていく。

 作業が進むにつれて、私は自分の素直な気持ちに向き合うようになっていた。


「完成!」


「「おめでとうございます。アリシア様」」


「あとはこの刺繍を旦那様がどう受け取るかってことね」


「同じ花でも様々な花言葉がありますし、込められた気持ちがちゃんと届くかどうかは受け取り手に寄りますからね。アリシア様。どんな意味を込めたのかあとでじっくり聞かせて下さいね」


 イナがほんのり頬を染めて言う。どんな意味を想像しているのやら。対するシェアンは落ち着いていた。


「大丈夫。きっと伝わりますよ」


 完成した刺繍入りスカーフは、明日の夕刻、着替えの時に何も言わずに差し出すことに決まった。私によるものだということは、わざわざ言わないでほしいという私の想いに答えてくれた形だった。


 刺繍の後は、被服室の隣にあるドレスルームで明日のドレスの試着をした。ビビットカラードレスもあれば、淡いパステルカラーのドレスもあり、種類も様々なドレスが立ち並ぶ。好きなものを選んで構いませんと言われ、随分迷ってしまった。


 結果、私が選んだのは淡い紫色のドレス。腰元には白のレースが重ねられていて、高貴な中にふんわりと優しい印象を与えるものだった。

 当日、ヘアセットを担当するのはイナは、ドレスの雰囲気に合った髪型を研究してありますからと、やる気に満ち溢れている。


 突然の嫁入りで、ここ二日だけでも様々なことがあった。不安も憤りもあったけれど、このお屋敷の使用人たちの優しさに救われている。明日の準備に奮闘するメイドたちを前に、私は感謝でいっぱいになる。


「……明日、頑張ろう」


 このとき、そう意気込んだ私は、明日が大変な一日になるなんて、欠片も思っていなかったのだった。

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