緊張の初対面

 オリヴァー様は一度部屋に籠ると二・三日出てくることはない。そう聞いていたのに、今回はわずか一日でのご帰還……。すっかり油断していた。


 メイド修業なんて好き勝手していたことがばれて、お怒りなのだろうか、もしそうだったら今のこの格好はまずい。


「ねえ、イナ。着替える時間はないの?」


「すみません。今すぐ連れてくるようにギルに言われてしまって……」


「……そう」


 どうやら、イナはギルに脅されたらしい。まあ、あの眼光で睨まれたら、ウサギのようにかわいらしいイナは心をへし折られてしまうことが容易に想像できる。


 *


 そうこうしている間に、オリヴァー様のお部屋に着いてしまった。覚悟を決めて、イナに目配せをする。彼女がノックをすると、今回は魔法陣が出現しなかった。どうやらオリヴァー様が私を呼んでいるというのは本当らしい。


「イナです。アリシア様を連れてまいりました」


「入れ」


 端的な返答が返ってくる。イナが扉を開けると、その先には研究道具が立ち並ぶ小さな部屋が広がっていた。その奥に、立派な机に腰かける人物の姿がある。


 ブルーグレーの髪に優しいローズクォーツの瞳。長いまつ毛に白い肌。見目麗しいその容姿は、一瞬で見る人の心を奪ってしまう。オリヴァー様は想像していたよりもずっと線が細く、華奢な体つきで、とても美しい方だった。だが、私と目が合った瞬間にその雰囲気は大きく変化してしまう。


「……新人のメイドを雇った覚えはないが」


 思わずひるんでしまうほどに鋭い眼光。体の芯から冷たくなるような感覚がする。不機嫌そうなギルとはまた違う鋭さを持っている。というか、今現在、オリヴァー様の横に立つギルはウィル顔負けの美しい姿勢を保っていた。


「オリヴァー様。彼女がアリシア嬢です」


 丁寧な口調のギルに違和感を覚えつつ、私は我に返る。今はすぐに挨拶をするべきである。


「イグレシアス侯爵家より嫁いでまいりました。アリシア・イグレシアスと申します」


 出来る限り丁寧なあいさつ、そして、美しいカーテンシーを心掛けた。恐る恐る顔をあげてみるものの、先ほどまでの鋭い眼光に変わりはない。


「……ほう? メイドの修業をしているというのは、戯言ではなかったらしいな」


 どうやら、メイド修業のことは説明されているらしい。自分の口で一から説明する必要がないことにほんの少し安堵する。しかし、気を休められる状況ではない。


 オリヴァー様の表情は変わらない。ただ、当主たる威厳を纏ってたたずんでいる。そこに含まれているのは、怒りなのか嘲笑なのか。私には判断することができない。しかし、どちらにせよ、私の気持ちを伝える必要はあると思った。


「お咎めになられますか? だとしても私は、このお屋敷のために……」


「いや。別に咎めるつもりはない。君が妻としての働きをしっかりと務めてくれるのであればな」


 てっきり否定的な言葉を掛けられると思って、自分の意志を伝えようとしたのだが、それはすぐに遮られてしまった。お咎めなしというなら、それにこしたことはない。だが、オリヴァー様の発言は何だか含みのあるものに感じられる。


「妻としての務め……。それは具体的に決まっているのでしょうか」


 いきなりとんでもない要求をされては困る。緊張した面もちで尋ねると、彼は少し考えた後、こう言った。


「ひとまずは、明日行われる王宮のパーティーに出てもらいたいと思っている」

 

 そういえば、噂で聞いたことがある。年に一度、王宮で開かれている特別なパーティー。たしか、高位の貴族もしくは王国の発展に寄与した大手企業などを、国王がねぎらう為に開催するものだった。両親も毎年出席していたけれど、ホワード家は毎年祝辞を送るだけだと聞いたことがある。


「今年は必ず出席しろと言われている。さもなくば、国からの資金援助を打ち切るとまで脅されていてな」


「……そうだったのですね」


 ただでさえ財政難な状況で国からの資金まで断たれては、たまったものではない。社交の場にはめったに立たないホワード家も出席せざるを得ないというわけだ。


「それに、そのパーティーはパートナーが同伴でないといけないという厄介な決まりがある。だから君には妻として同伴してもらいたい」


「もしかして、そのために突然私に求婚を?」


「ああ、そうだ」


 なるほど、私は結局利用されているだけらしい。はじめからあまり期待してはいなかったものの、いくらか心がかき乱される。別に結婚に夢を抱いていたわけではない。ただ、仲良しな両親を見て育ってきた私には、愛のない結婚がいくらかショックに思えてしまうらしい。


「パートナーが同伴でないといけないというならば、婚約者の立場のまま同伴してもよかったのではありませんか?」


 そんな風に利用されるくらいなら、もっと実家にとって有利な嫁ぎ先を探してもらうべきだったかもしれない。そんな気持ちが芽生えてしまい、思わず口から出た質問だった。ただ、その答えを聞いて、私は質問をしたことを後悔することになる。


「いや。私と君の間には、不仲だという噂が流れているらしい。婚約者のままで社交の場に出れば、即席の関係ではないかという不愉快な陰口が飛んできそうだからな。婚姻を結んだと分かった方が、いくらか都合がいいだろう」


 淡々とおっしゃるオリヴァー様の声が少しだけ遠ざかっていく。その間、私の心は行き場のない想いが支配していた。


 噂の原因はオリヴァー様が私との顔合わせを拒んだから。それなのに、彼は被害者のような言い方をする。自分は今まで一切社交の場に姿をみせず、陰口など聞いたことはないだろうに。私は今までさんざん社交の場で陰口を聞いてきたというのに。


「見て、あの方。婚約者に見限られたという……」

「ああ、聞いたことがありますわ。おかわいそうに」

「けれど、見限られたというのでしたら、あのお方にも問題があるのではなくて?」


 ひそひそと聞こえてくる陰口。クスクスと笑う声。


 よみがえる嫌な記憶に蓋をして、私はオリヴァー様の目を見た。


「わかりました。では、パーティーに備えて準備をしますので今日はこれで失礼します」


 早くこの場を去りたい。そんな風にはやる気持ちを抑えながらも、私の憤りは頂点に達してしまっていたらしい。私は部屋を出る前にもう一度口を開いた。


。妻としての務めはしっかり果たす所存でございます。ですから、今後、私の行動には口を出さないことをお約束ください」


 オリヴァー様に背を向けて、私はいくらか強気な発言に出た。これが失礼極まりないことは、承知の上だ。隣にいるイナは震えながら、オリヴァー様に謝罪の意を示している。


「……お前、失礼だぞ……」


 さっきまで礼儀正しかったギルが声を荒げている。そのまま怒鳴られると思いきや、その後の言葉は続かなかった。どうやら、オリヴァー様が止めたらしい。


「いいだろう。約束しよう」


 そう言ったオリヴァー様の声は、先ほどよりもいくらか穏やかだったような気もするが、このときの私にその理由を考える余裕はなかった。

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