ギル

 ホワード家のお屋敷は現在、深刻な人手不足に悩まされている。広いお屋敷に見合わないほどに使用人は少ない人数で仕事を分担している。そのせいで、定期的に屋敷の中で人が倒れているほどに、事態は深刻である。つまり、この屋敷の使用人たちは疲弊しているのだ。


「現状、イナもボロボロになっているわけだし、みんな休みが必要だと思うの。私がメイドになっていくつか仕事を請け負えば、そうした休みも実現できるかもしれないわ」


「そのために、メイドの仕事を修行なさる、ということですか?」


 私はメイドとしての仕事が仕込まれているわけではない。長年の憧れと自分なりの研鑽は積んできたものの、それだけはきっと不十分だ。だからこそ、シェアンたちプロのメイドに鍛えてもらいたいと考えた。


「私に教えることで、多少の負担は生じてしまうかもしれない。でも、人件費のかからない人手が得られると思えば、いい考えだと思わない?」


「……お気遣い痛み入ります。アリシア様。ですが、奥様となられるお方にそのようなことはさせられません」


 シェアンが申し訳なさそうに目を伏せた。きっとこれが正常な反応だ。普通、当主の妻となる人間に、屋敷の雑用を喜んで委託することはありえない。

 ただ、これが私のやりたいこと。ここで食い下がるわけにはいかなかった。


「私ね。使用人だって、家族みたいなものだと思うの。毎日顔を合わせて、言葉を交わす家族みたいに大切な存在。彼らが頑張ってくれるおかげで私たちは笑顔に暮らすことが出来るもの」


 お父様は私の『メイドになりたい』という夢に賛成はしてくれなかった。でも、それはお父様がメイドという職を下に見ていたからじゃない。実家では定期的に使用人をねぎらうホームパーティがもたれていたし、両親はいつも使用人たちの感謝を口にしていた。


「自分の立場に驕って、人に感謝できない人間になってはいけない」というのは、幼少の頃から私たち兄妹がお父様に言われてきた言葉。私はそんな風に使用人を家族のように大切にする考え方が好きだった。


「家族が痛みをおぼえていたら、助けになりたいと願うのは自然なことでしょう? そこに身分だとか、立場は関係ない。私は新しい家族の助けになりたいの」


「……ですが」


「大丈夫。何かあったら私が全部責任をとるわ。怒られるのは私だけよ」


 いたずらを考えた子供のように笑ってみせると、シェアンは仕方ないといったように困った顔で笑った。


「そうだ。せっかく修行するなら目標が欲しいわね……。あ、そうだ。オリヴァー様の専属メイドを目指すっていうのはどう? 当主に認められるのが最終目標ってことで」


「目標としては妥当かもしれませんね。ですが、専属メイドは大変ですよ? 仕事量は多いですし、坊ちゃんは結構手厳しいですから」


「だからこそよ。高い目標を掲げて頑張るの」


 やる気に満ち溢れた私を見て、シェアンが孫を見守る祖母のように優しく微笑む。暖かい彼女の雰囲気に包まれて、私も思わず微笑んだ。


 シェアンは淹れくれた紅茶を差し出すと、もう一度イナの様子を見に行くと言って部屋を出ていった。

 私の修行は明日からシェアンを中心とした先鋭部隊によって行われるらしい。今日は、屋敷についたばかりなのでゆっくりしていいとのことだ。紅茶を飲みながらほっと一息をついた後、私は屋敷の中を見て回ることにした。


 初めに、食堂や大浴場などこれからの生活にかかせない場所を見て回り、出会った使用人の皆さんには挨拶をしてきた。優しく迎えてくれる人ばかりで安心した半面、皆疲れの色が見え、一段のこの屋敷の労働状況が不安になってしまう。回っている間にすれ違った使用人の数が片手で数えられるほどだったことを踏まえても、人手不足というのは否めない。


「私一人が入っても戦力になれるか分からないけど、このまま見ているよりましよね……」


 輿入れ先は思っていたよりも課題が山積みかもしれない。ため息をつきながら廊下を歩いていると、見覚えのある場所に来ていた。


 三階の奥にある部屋。オリヴァー様の自室だ。知らない間に来てしまっていたらしい。


「お前、だれだ。見ない顔だな」


 どうやら今回は先客がいたらしい。ホワイトベージュの髪の青年がこちらを睨んで立っていた。タキシードに身を包んでいるものの、いくらか着崩れているため、淑やかな印象はない。


 屋敷の者の顔を知っているということは彼もおそらく使用人の一人だろう。当主が引きこもっているからか、身だしなみに気を使っていないのかもしれない。


「イグレシアス家から嫁いでまいりました。アリシア・イグレシアスと申します」


 不機嫌な様子から判断するに不審な人物認定を受けていそうなので、丁寧に挨拶をする。すると、彼は、なぜかさらに不機嫌な顔になった。


「……へえ。お前が例の」


 気を損ねることをした覚えはないが、どうやら私は嫌われてしまっているらしい。彼は小さく舌打ちをした後、こちらをもう一度キッとにらんだ。


「俺は、アイツの仕事の補佐をしてる。ギルだ」


 アイツというのはおそらくオリヴァー様のことだろう。こんな治安の悪そうな人が秘書だなんて、オリヴァー様はもしかして極悪組織のトップのような威厳を持っているのかもれない。この屋敷に来て、まだ見ぬ自分の夫の想像がどんどん更新されている。


「残念だけど、オリヴァーには会えねえよ。こうなったらしばらくは出てこない」


「そうみたいね。さっきシェアンに教えてもらったわ。でも、そう……。秘書であっても入れてもらえないのね」


 威嚇されっぱなしというのは気が引けるので、「一番近くにいる人でも無理なのね」と哀れむような目を向けてみると、案の定、ギルは突っかかってきた。


「うるせえ。いつもこうなったら一人になるんだ。だれも部屋に入ったことはねえ。この魔法陣を破壊でもしない限りは無理だ」


 ギルが扉に拳を当てるように近づけたことで、魔法陣が出現する。


「破壊したことのある人はいないの?」


「いるわけねぇだろ」


「……そう。ではますます興味がわくわね」


「は?」


 解くことが出来るものがいないということを考えると、この魔法陣はおそらく、オリヴァー様お手製のもの。どんな魔法も物理攻撃も効かないという話ではあるが、所詮は人間が作ったもの、綻びは必ずあるはずだ。


 私は魔法陣の前に両手をかざし、意識を手のひらに集中させていった。


「お前、何する気だ。何しても無駄だぞ」


 ギルが何かをしゃべっているが、聞こえないふりをする。


 下手に攻撃魔法などを繰り出して騒ぎを起こしても厄介だ。とすれば、先ほど試したような透視系の魔法が良いだろう。とりあえずオリヴァー様がどんな人物か確認できればそれでいい。


 手の平に集まった魔力を解放する。すると、三つの大きな青白い魔法陣が三次元的に重なって展開され、光を放った。


 先ほど試した魔法よりもさらに上級の魔法。これなら、きっとはじかれることはない。ただ、今回も少しばかり難航した。こちらを押し返すような強い反動が手のひらに返ってくるなか、魔法陣を通した視界は真っ白になっていた。


 ここで折れてはさきほどと変わらない。より一段と魔力量を増やし弱点を探っていく。すると一つ発見があった。


「……なるほど。映像の配列を乱して、見えなくしているってわけね」


 恐らく、本当は透視魔法によって中の様子が見えている。しかし、その映像を形成するピクセルの配列が乱雑にされているので、真っ白に見えていたらしい。


 私はもう一つ小さな魔法陣を展開し、配列を元に戻していった。

 

 すると、見えたのはなんとも不思議な光景。


 研究用の道具らしきものが散らばっているなか、部屋の中に人の影らしきものは何も見えなかった。


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