怪しい雲行き

 カオスな家族会議は何とかお兄様によってまとめ上げられ、私は無事、ホワード家に輿入れすることが決まった。今日はその当日。私は涙する家族に見送られ、馬車でホワード家に向かっていた。


 ホワード家は、王国の外れにある山の中にあるらしい。研究業を生業とし、代々王国の発展に寄与してきた侯爵家であるホワード家。しかし前侯爵夫妻も現当主のオリヴァー様も、社交の場はあまり好まなかったためか、ホワード家に関しては様々な憶測が飛び交っている。


『研究に取りつかれた引きこもり貴族』・『狂気的な研究者一家』など異名は様々である。一部では、新種の瘴気を開発する度、使用人を次々に魔獣化させ、実験動物として利用しているなどというひどい噂まで出回っているという。


 そんな噂の絶えないホワード家へ向かう道中、私はお兄様との会話を思い起こしていた。


「アリシア。本当によかったのか?」


 家族会議を終え自室に戻ろうとしていた私を、お兄様は呼び止めた。普段、私を『アリー』とよぶお兄様のなれない名前呼びに、私は少し緊張した面持ちで振り返る。


「ホワード家はなにかといわくつきだ。わざわざ、そんな得体のしれないところに嫁がなくてもよかったんじゃないか?」


 立派な侯爵家でありながら、少なからず悪い噂を持つホワード家。それを心配しているのか、お兄様の表情はひどく複雑そうだった。


「そうですね。ですが、お兄様も知っているでしょう? 私は婚約者に見限られた令嬢として、かなり有名らしいんです。今回を逃せば、私は間違いなく婚期を逃してしまう。それに、正式に嫁いだことが知られれば、我が家にとって不名誉な噂も消えるでしょう? この結婚を辞退するわけにはいきませんわ」


「……そうか」


 お兄様はそうつぶやくと、廊下の窓の外を見つめた。日が沈んだばかりの空は、赤と紫のグラデーションで彩られており、どこか神秘的に映る。そんな空を眺めながら、お兄様は静かに話を続けた。


「ホワード家は研究者一族だ。屋敷の側にはその研究施設もある。私は少し心配だったんだ。三年前のこともあるし、本当は何か思うところがあるんじゃないかと思ってな」


「……お兄様」


「杞憂だったか?」


 優しく、そしてどこか痛ましそうな表情。お兄様はいつだってそうだ。普段はお茶らけているのに、こういう時は頼れる兄の顔をする。


「私は大丈夫ですよ。お兄様」


 大切な兄に心配をかけていてはいけない。私はなんてことないようにほほ笑んだ。


「大好きな家族と離れるのはやはり寂しいです。それでも、ずっと家にこもってだらだらと時間を過ごす毎日は我慢ならない。だからこそ家の外でやりたいことをみつけたいんです。今の私にあるのはそんな前向きな想いだけですよ」


 私が笑顔を向けると、お兄様は先ほどよりも穏やかな表情で、私を応援していると言ってくれた。


 *


「アリシア様。到着しました」


 馬車の馬を率いていた従者が振り返って私に声を掛ける。どうやら、知らぬ間に目的地に到着していたらしい。馬車の扉が開かれて、広がった視界に初めての世界が飛び込んでくる。しかし、私は思わずその光景に目を見張った。


「……これは、魔界?」


 鬱蒼した森の中。古くも立派なお屋敷がそびえたっている。しかし、その外装は所々痛んでおり、剥がれ落ちそうになっている外壁がどこか不穏な空気をかもしている。空は黒々とした雲が覆い、雷鳴が響き渡っていた。いまいちな天気のせいで辺りは真っ暗であるのに、屋敷の明かりは灯っていない。本当に人が住んでいるのか不思議なほどである。


「おかしいですね。あちらの使用人が迎えに出てくるという手はずになっていたはずですが……」


「迎えが来るどころか、人の気配がまるでないわね」


 馬車を降りた私は、従者と二人、困惑しながら不気味な屋敷の方を見つめていた。そうしているうちに、私はお父様が言っていたことを思い出した。


 ―「ここ数年で大規模に使用人のリストラが行われたようだ」


 大規模なリストラが行われたということは、この広いお屋敷を少数の使用人たちで回しているのかもしれない。


「もしかしたら、こちらの対応まで手が回っていないのかもしれないわね」


 迎えが来ないのならば、こちらから向かう他ない。決心を固めようと、もう一度、屋敷の玄関に目を向ける。聞いたことのない獣の鳴き声が響き渡る中、私は息をのんだ。


「手持ちの荷物はあまりないし、ここから先は私が一人で行くわ」


 ここまで連れてきてくれた従者にお礼を言い、私は屋敷に向かって歩みを進めた。馬車がもと来た方へ走り去り、私は不気味な屋敷の前にとうとう一人きりになる。近づいてくるにつれて迫力を増すお屋敷は、まるでどこかの魔王城なのかと思わせるほどである。屋敷の前にある、門扉の前に立つとより緊張感が高まった。


 苦しいくらいに跳ねまわる心臓を落ち着けながら、大きな門扉の前に立つ。細工が施された金属製の扉は所々錆びていて、風に吹かれるたびにキイキイと音を立てている。


 ここを抜けなければ、屋敷には入れない。意を決して、取っ手に触れてみると、体中を電流が駆け巡る感覚が襲った。


「………っ⁉」


 どうやら、屋敷のセキュリティーのための魔法が施されているらしい。年季が入っていることに気をとられて、完全に油断していた。番をする使用人などを立てていなくとも、一応屋敷の安全性は保っているということだろうか。とはいえ、屋敷に入れないのでは困る。どうしようかと考えていると、目の前に一羽のフクロウが降り立った。


「……オマエハ、ダレダ。ナンノタメニキタ」


 ギギギ……と機械音がしそうな動きで、フクロウは私の方を見た。真っ黒な瞳でこちらをじっと見つめてくる。屋敷の守護獣か何かなのかもしれない。戸惑いと恐怖の中、私は今できる最大限の範囲で丁重にあいさつした。


「私、イグレシアス伯爵家次女、アリシア・イグレシアスと申します。この度、ホワード家に嫁ぐことになり、参りました」


 恐る恐る顔をあげると、フクロウはバサッと翼を広げ飛び上がった。柔らかな羽根が舞う中、門扉がギイイイッ……と音を立てながら開く。フクロウが玄関の大扉の上にある飾りにふわっと着地すると、玄関の明かりが灯る。それを引き金としたかのように、屋敷の中の明かりが一斉に灯り始めた。今、この瞬間についたというよりは、門をくぐることによって私に見えるようになったという方が正しいのかもしれない。


「……これも魔法?」


 門扉をくぐらなければ、中の様子が分からないようになっているのだろう。恐らく一種の雲隠れ的なもの。こんな魔法は初めてだ。はじまりから高度な魔法を目の当たりにし、私はこの家が王国の頭脳ともいえる研究者一族の家であることを再確認した。


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