二、『エッグ・ノック』その2

「――さて、と」


 僕はスマートフォンの通話を切ると、コート掛けに乱雑に被せてあった革製の中折れ帽子を被った。


「コレを被れば、探偵に見えるだろう?」

「どちらかというと、子供がサラリーマンの真似をしているように見えます」

「・・・・・・・・・・・・・・・」


 やっぱり、この娘は性格が悪い。

 丁寧な言葉を使っていても、言葉の端々から邪悪なモノが見え隠れしている。


「いや・・・・・・その、潭澤様は容貌が少し殿方よりも淑女に近いもので、決して悪意があった訳ではありません」


 悪かったな、童顔で。

 二十一なのに居酒屋チェーンで酒を注文すると店員に身分証を提示させられる僕のやるせない気持ちが、たかだか十代前半の小娘に分かるか。


 提示させられなくても、ソルティドッグなんか頼むと「背伸びして酒飲んでるくせに、グレープフルーツで割ったやつかよ」みたいな顔して去って行くんだぞ。そしてウォッカなんか一滴も入ってなくて、周りに塩付けたグレープフルーツジュースが運ばれて来るのだ、畜生め。


「・・・・・・名前で良いよ、様も余計だ」


 ふつふつと沸き上がる怒りを押し殺して、僕は彼女に呼び方を訂正させる。これが大人の余裕という奴だ。


「分かりました。では、澪」

「・・・・・・・・・・・・」


 年下から呼び捨てにされた。

 僕は上下関係を気にする人間ではないが、どうも釈然としない。


「あの・・・・・・どうか致しましたか?」

「いや、二十代に突入した直後にジェネレーションギャップを感じて途方に暮れただけだから・・・・・・」

「まあ、それは大変ですね。お大事になさって下さい」

「・・・・・・・・・・・・・・・」


 我慢だ、我慢。咲龗子から礼金を貰うまでの我慢。

 さっきの電話で、咲龗子にカタリナの件を話して彼女に引き渡す手筈は整った。礼金を貰うまでは、なるべく良い関係を築いていたい。


「・・・・・・さて、じゃあそろそろ行こうか」

「何処に行くのですか?」

「富士見台分署。そこに行けば、君の身の安全は保証される」


 そして僕の当面の生活も、保証される。

 富士見台分署は市営図書館の隣――――かつて谷保第三公園と呼ばれた場所に聳え立っている。この富士見商店街からだと、歩いて行くには少し遠い。

 だからこその、クロスバイクだ。


「・・・・・・この市では、一般市民の夜の外出は禁止されているんだけれど僕は警察の下請け――――探偵だからね。僕のくにたちカードの権限なら、深夜でも普通に出歩けるんだ」

 言って、僕は自分の財布からくにたちカードを取り出す。


 まるで商店街のポイントカードみたいな名前だが、要するに自分の戸籍等が記されたIDカードの一種である。市のシンボルである赤い三角屋根の駅舎がバックに描かれたカードの左端に、僕の締まらない顔が刻印されていた。


国立市ここではコレを持っていないと、外出や買い物も出来ないんだ。そこら中にカードのスキャン機能が付いた監視カメラが蔓延っているからね。このカードを持っていなかったり、カードの顔写真と僕が一致しないと、富士見台分署から怖いお兄さんがすっ飛んでくるって寸法さ」

「街の外の人達は、どうするんですか?」

「くにたちカードは国立市でしか発行されていないけれど、顔写真が載ったIDカードはそこら中で普及しているからね。必ず誰もが一枚持っている。国立市に入った時、市内の何かしらの機器にカードをタッチすれば、一時的にくにたちカードに変わるんだよ。駅の改札なんかじゃ、精算した時点でデータがダウンロードされるんだぜ」


 別に自分で開発した訳ではないが、得意げに僕は言った。

 カタリナはそんな僕の得意げな仕草に微塵も興味を示さず、僕のくにたちカードをしげしげと見入っていた。


「このカード・・・・・・堅そうですが、改札機が詰まらないのですか?」

「入れるんじゃなくて、改札機の読み取り機リーダーにタッチするんだよ。あと、このカードでは電車は乗れない。Suicaじゃないからね」

西瓜スイカ・・・・・・ですか。また妙な物で電車に乗れるようになったのですね」


 もしかして、ICカードの改札機を見たことが無い?

 彼女の国では、存在しないのだろうか。


「・・・・・・とにかく、だ。要するに僕のカードがあれば、夜中も出歩けるって事。君のくにたちカードがないのが若干不安だけれど、まあ保護対象を逮捕するほど冷血な奴らじゃあないさ」


 きっと。


「どうして、」


 小首を傾げながら、カタリナは問う。

 その仕草は、どこか人形じみた不自然さを孕んでいた。


「どうして、そのようなカードが必要なのでしょう?」

「そりゃ、安全に暮らすためだよ」


 日本の別名が〝平和大国〟などという時代は、とうの昔に過ぎ去った。


 紛争や災害による難民や移民、世界規模の経済停滞。

 中でも十五年前に起きた最悪島イースト・エンド・ランドの一件や、泥沼化し予想以上に長引いた大地溝帯グレート・リフト・バレー戦線の影響で、軀の中にも外にも物騒な凶器を持った人間が街中をうろつくようになった現代。そんな危ない世界で少しでも安全に生きて行くには、何時でも何処でも犯罪を見逃さない監視カメラと、身の潔白を証明する己の身分が刻み込まれたIDカードがどうしても必要だ。


「カードを持っている事が、安全・・・・・・ですか?」

「家の鍵をポケットに入れて持っている事と変わらないさ。もっとも、家の鍵は閉じるためにあるのだけれど、このカードは開くためにある。閉じる事と開く事が逆になっただけで、自分を守るという意味では同じ代物だ」

「ますます、意味が分かりませんね・・・・・・」

国立市ここでは、〝自分は決して不審者ではない〟っていう証が無いと、暮らせないんだよ。こんな世の中だ。皆、何処か疑心暗鬼になっているのかもしれないね」


 僕は苦笑しながら、カードを財布にしまう。


「じゃあ、ちょっと僕は先に行くよ」


 途端。

 耳障りなブザーが鳴った。


 わざわざ、確認するまでもない。どうせ品物(ブツ)を間違えた間抜けが、銃とナイフを持って返品をしに来たのだろう。


「済まない時間がない。一緒に来てくれ」

 僕は靴を履いて左手で銀色のアタッシュケースを掴むと、右手をポケットの中に滑り込ませた。


「悪いけど、靴は男物しかないんだ」

「大丈夫です。履き物は自前で持っていますから」


 言うと、彼女は自分が入っていた箱を漁って中から一足の革靴を取り出した。

 レース地で飾られた、黒く艶のある革靴。その外見から、とても走る事に適しているようには思えない。不安が募る。


「・・・・・・走れる?」

「百メートルを十秒ぐらいなら」


 十分過ぎる。


「じゃあ、僕が合図をしたらドアを開けてくれるかな。君がドアを開けたら、僕は真っ先に飛び出して階段の下まで行く。階段の下で、合流しよう」

かしこまりました」

 カタリナはドレスの裾をつまみ、安っぽいドアノブに手を掛ける。


「じゃあ、いくよ。三・・・・・・二・・・・・・」


 一、のタイミングでドアが開け放たれた。


 否、ドアが

 間違いなく非常識な事が起きたが、驚愕している暇はない。僕はポケットの中で金属と蜘蛛の巣を連想させるグリップの感触を確かめ、金属部位に開けられた穴に親指を押し付ける。


 目標は、今の衝撃で我を忘れ掛けている痩躯の眼鏡男。両手で構えた拳銃の銃口が、こちらを向く事無く右往左往している。


 僕に気付き、視線が合う。

 震える手で照星をこちらへ向け――


「させはしない――――――んだよ・・・・・・ド素人ホーキーポーキー


 ポケットから手を出すと同時、穴に押し付けた親指に力を込めてナイフブレードを展開。照星を無視し、切っ先を真っ直ぐ痩躯の男へと突き付けた。


「ヒィ――――――――ッ」


 怯んだ瞬間を見計らい鳩尾みぞおちを蹴り飛ばすと、ナイフを筋肉質の男の方へ放り捨て、空いた手でカタリナの手を握って一気に階段を駆け下りる。

 凄く冷たい、手。

 ずっと、箱の中に閉じ込められていたからだろうか。温もりや暖かみというものが、一切感じられない。



 ――僕は今、地獄の底に居る。



 胸がまた、ずしりと鈍い音を上げた。痛みを堪え、僕は階段の下に停めておいた赤いクロスバイクのグリップを握り締める。

 僕の指紋を認証し、ロックが解除される。付けた人間が言うのもなんだけど、ギアとワイヤーだけの単純な構造の中、此所だけハイテク部品ってのは、何ともアンバランスな感じがして具合が悪い。


「自転車・・・・・・ですか?」

「格好いいだろう? ・・・・・・と自慢げに言っても、これはエントリーモデルなんだけどね。でも、その辺のママチャリなんかよりずっと速いよ」

 カゴにアタッシュケースを乗せてゴーグルをすると、僕はクロスバイクに跨がる。


「さあ、荷台に早く乗って。痩せてる奴はともかく、あの筋肉達磨の持っていた銃は、強力なマグナム弾を発射するタイプの銃だ。人間なんか、自転車ごと粉々になってしまう」


 僕の言葉にカタリナは無言で頷き、荷台に横に座って僕の腰に手を回す。

 こういう時、荷台があると凄く便利だ。自転車の二人乗りは法律で禁止されているが、緊急事態。咲龗子一派警察連中もきっと寛大な心で赦してくれるだろう。


「・・・・・・ないな、それだけは」


 こんな所見たら、全力で捕まえに来るだろう。私怨で。

 願うならば、咲龗子の息の掛かった警察官に出遭いませんように。


「じゃあ――――――行くよ」


 ライトを点灯させ、僕はペダルを踏みしめた。

 ペダルが異様に重い。ギアは前は一番重い〝3〟にしてあるけど、後ろはまだ〝6〟。いつもなら、問題なく漕げるはずなのに。

 二人乗りは初めてやるけど、ここまで一人と勝手が違うものなのか。


「あの・・・・・・重くないですか?」

「大丈夫。こう見えても、見た目に反して筋肉はある方なんだ。それより振り落とされないように、しっかり僕に掴まっていて」


 言うと、僕は後ろのギアを〝5〟に変更して、ゆっくりと加速し始めた。後ろの方で先程の二人が何か叫んでいるが、すぐにその声は小さくなった。無駄だ。ママチャリならともかく、クロスバイクに人間が追いつける訳がない。


「昔乗った自転車より、ずっと速いですね。振り落とされてしまいそう」

「記憶、戻ったの?」


 ある程度の速度が出てきたので、僕はカタリナに問いながら後ろのギアを〝5〟から〝6〟に変更する。カチャリ、という小気味のいい音と共にぐん、と自転車の速度が増した。


「わたしに失った記憶はありません。何もかも、全て覚えています。それがわたしの役目ですから」


 まだ混乱しているらしい。


「それにしても日本語、上手いよね。結構前から日本に居るの?」

「今年が西暦何年か存じておりませんので詳しい事は分かりかねますが、わたしがこの日本にやって来たのは一九七〇年なので、少なくとも十年以上は暮らしていると思います」

「一九七〇年って・・・・・・今から七十年以上も前じゃないか」


 当たり障りのない話題を振ったつもりが、とんでもない地雷を引き当ててしまった。六十年以上も姿が変わらない人間など、この世界に居る訳がない。


「七十年・・・・・・成る程、通りで随分と周りの景色が様変わりしたわけですね」

 僕の腹に巻かれたカタリナの両腕が、僅かに強張った。


「ホバーボード」

「え?」

「バック・トゥ・ザ・フューチャーに出てきた空を飛ぶスケートボードですよ。二〇四〇年でしたら、実用化されているのではないですか?」

「正確には、二〇四五年だけどね」


 信号は赤だったが、無視。どうせこの時間は、この辺を走っている車なんて居ないから平気だろう。交差点に交番はあるが、今の時間帯は巡回中で無人だ。


「商品化は、されていないな。でも、世界中に趣味で作っている人が居て、それをインターネットの動画サイトで公開しているよ」

「インターネット・・・・・・とは?」

「コンピューターをネットワークに繋げて、世界中の人達とやりとりが出来るシステムさ。イメージとしては、コンピューターの中に街がある、みたいなものかな」

「成る程、パソコン通信みたいなものですか」


 なんだそれ。


「しかしコンピューターが発達した世界・・・・・・ですか。坊ちゃんもさぞ、喜んでいる事でしょう。もっとも、七十年の月日が流れれば、彼も〝坊ちゃん〟という歳ではありませんが・・・・・・」


 僕がその〝坊ちゃん〟であるかのように、カタリナは僕の背中に顔を埋める。その仕草はとても十四歳ぐらいの小娘には思えず、まるで孫を慈しむ祖母のように思えた。


 まさか本当に、彼女は永い刻を生きて――


「――澪、あなたは探偵なのですよね? この年代の探偵とは、どのような仕事をするのでしょうか」

「昔は違ったけど、今は推理小説とかに近いかな。警察の協力者という名の下働き。もちろん、昔みたいな人捜しもしている。なんなら、その坊ちゃんを探してもいい」


 僕は有り得ない妄想を払うように首を振り、ペダルを強く踏みしめた。

 秋の風を切り裂くように、自転車が滑る。


「とても嬉しい申し出ですが、生憎見ての通り着の身着のままでして、捜査費をお支払いする持ち合わせがありません」

「そりゃ、困った。ならサービスでって言いたいけど、僕も財布の中身、殆どすっからかんなんだ。ここの所、まともな仕事無かったから」


 猫探し。

 犬の散歩。

 パソコン修理。

 着ぐるみの中の人。


 自分で羅列して哀しくなる仕事のラインナップだ。

 ・・・・・・よく餓死しなかったな、僕。


「まあ――――こうして変な奴らに追いかけられるのも何かの縁だし、なるべく金が掛からない事なら、君の願いを一つ叶えてあげるよ」

「願い、ですか・・・・・・」

「別に直ぐって訳じゃない。僕の事務所に直接来なくても、これから会う咲龗子に連絡すればいつでも叶えてあげる。もちろん、依頼料は一切取らない。ただ、君の友人や知り合いに何かで困っている人が居たら、僕の事をそれとなく教えてくれたら嬉しいかな」

「澪の事を・・・・・・ですか?」

「ああ」


 むしろそれが目的だったりする。宣伝は大事だ。

 我ながら、生きていく為とはいえ随分穢れた大人になったものだ。


「願いは――――一つだけ、あります」

「何?」

「青空が、見たいです。ずっと暗い部屋にいたので、久しぶりに青空の下でお日様の光を浴びてみたいのです」



 ――陽の光は、ここでは終わらぬ悪夢。



 ずきりと、胸が痛む。

 あの時噛んだ砂の味が、口腔内で鮮明に思い起こされる。

 僕は強い日差しが嫌いだ。

 あの日の事を厭でも思い出すから。


 けど――


「あの・・・・・・何か拙かったですか?」

「いや、別に。青空を見たい・・・・・・ね。分かった。その依頼、僕が確かに引き受けた」


 僕は無理矢理笑って、請け負った。

 自転車でよかったよ。今表情を見られたら、間違いなく引かれる自信がある。

 年頃の男にとって、子供に引かれる事より辛い事はない。


「ほら、あそこに見えてきた交差点を左に曲がって、さくら通りを道なりに進めば富士見台分署にたどり着く」


 だから、安心して――


 言い掛けた言葉が、爆音によって掻き消される。

 深夜だからとはばかる事無く周囲に響き渡る、常軌を逸した排気音エキゾースト。地面に吸い付くようなタイヤのグリップ音が、迷惑千万な路上ライブのバックコーラスを奏でる。


 ステージライトは、車検を度外視したフォグランプ。ビームライフルのような刺激が、カタリナと僕の側面をチリチリと焦がした。


「見つけたわよ、共。不純異性交遊の代償は、鞭でなく鉛玉できっちり払って貰おうじゃないのッ!!」


 ブレーキを握り左を向くと、さくら通りに立ち塞がる赤いアメリカンなワゴン車から、三十そこそこのバ・・・・・・じゃなかった、女性が後部座席の窓から顔と手と拳銃を出していた。


 運転席と助手席には、先程の筋肉質の男と痩躯の男。どうやらあの女が連中の親玉らしい。


 持っている拳銃は、ワゴン車のフォグランプが強いので正確に判別するのが難しいが、そのシルエットには見覚えがあった。


 Cz85――言わずと知れたチェコの名銃Cz75を発展させたモデルである。細かい違いは色々あるが、最大の違いはCz75では片側にしかなかったセーフティレバー等を両側に取り付け、左右どちらでも操作が出来るようにした事だろう。銃に疎い人間ならば、75と85の区別は一見しただけでは分からない。僕が何故判別出来たかと言えば、昔一度だけ触った事があるからだ。


 突き出したフレームの下に予備の弾倉マガジンが上下逆様に装着されている。アレは予備弾倉サブ・マガジンとしての役割の他に、射撃を安定させる為の補助銃把グリップの役割も果たす。そんな装備があるのは、周囲に対してフルオート機能が搭載されたマシンピストルだけであり――


「カタリナ、これで頭守れッ!!」

「え? ど――」


 状況が把握出来ていないカタリナに、前カゴからアタッシュケースを取り出して押し付ける。


 同時。


!!」


 銃声、いや奇声が響き渡った。

 奇声に混じって銃声と、周囲に薬莢がばらまかれる甲高い音が響く。


 最高じゃねぇかイカれてやがる、この女。

 銃を撃ちながら、銃撃の口真似をするなんて――


「どう、ビビった?」


 ビビる事無く、驚いた。

 普通の市ならともかく、此所は東京都国立市なのだ。


 三多摩地域唯一の行政特区にして、国が進める相互監視社会ネットワーク・コミュニティ試作市街モデルケース。張り巡らされた千を超えるスキャン機能付き監視カメラは常に無機質な目を光らせ、市民はくにたちカードを携行していなければ買い物は疎か外を出歩くことさえままならない。他の市よりも圧倒的に高い住民税と多少のプライバシーを引き替えに、絶対的な安全を手に入れた高級住宅地。


 怖い物知らずの暴力団やマフィアですら、市内に張り巡らされた監視カメラとその先に待っている咲龗子率いる富士見台分署の容赦ない制裁を畏れて迂闊に銃を発砲出来ないこの国立市に於いて、ここまで堂々と銃を使う奴を僕は見たことが無い。

 いや、そもそも幾ら無人とはいえ交番が目と鼻の先にあるこのような場所で――


「今のは全部、外してあげたわ。でも――」


 弾倉脱着マガジン・リリースボタンを押し、通常の弾倉以上に長い弾倉ロング・マガジンをアスファルトへ堕すと、女は補助銃把グリップの代わりにしていた予備弾倉サブ・マガジンを空洞になった銃把グリップへ滑り込ませた。


「次は蜂の巣にするわよ。八角形じゃないのが癪だけど」


 カシャンという、遊底止めスライドストップから遊底スライドが解放された音。もう一度引き金トリガーを引くだけで、再びゲリラ豪雨のような鉛玉の雨が降る。


「・・・・・・なんだか、ギャング映画みたいになりましたね」

「持っている銃がトンプソン機関銃でない事が、悔やまれるぐらいにね。しかしタフだね、君。間近で銃声と銃弾を浴びたってのに」


 銃声が幾らか珍しくなくなったご時世といっても、命の危機が迫る状況であれば昔と何ら大差は無い。こういう場面で全く動じない人間は、状況が理解出来ていない可哀想な人か、僕みたいに慣れきってしまった人間ぐらいだろう。


「これのおかげですよ。凄い鞄ですね、アダマンチウムか何かですか? これに護られていたおかげで、傷一つありません」


 それに、と渡した鞄を僕に向けながらカタリナは言う。


「あの方々は、商売人。商売人は、商品価値が下がるのを何よりも厭います。売り物のわたしを傷つける筈など、ありません。当たらないと分かっている弾を怖がる必要が、何処にありますか?」


 売り物。

 商品。

 ――――彼女も。


「ベクトルは違えど・・・・・・同類って事か――」


 嗤い、僕は握っていた右ブレーキを緩める。


「カタリナ、重いかもしれないけれどその鞄ちょっと持っていて。僕が合図したら、鞄を宙へ打ち上げるんだ」

「仰せのままに」


 カタリナは鞄を抱きしめると、ぴたりと僕の背中に自分の体を預けた。


「振り落とさないように、お願いします」

「向こうが、安全運転を心がけてくれたら――――ねッ!」


 呟くと同時に、地面を蹴ってペダルを踏み込み僕はクロスバイクに命を吹き込んだ。

 目の前の交番は巡回中で出払って無人だし、富士見台分署があるさくら通りは、対向車線と道交法を完全に無視してど真ん中で仁王立ちになるワゴンに塞がれて通れない。


 ならば、目指すは直線。国立駅まで続く大学通りを突っ走る。

 レバーを爪弾き重くする度、ディレーラーが規則正しくギアにチェーンを送る。そのレスポンスが実に心地よい。


 流石はシマノ製、良い代物だ。

 背中に感じる、脅迫行為にも似たフォグライトの熱を帯びた光。

 ペダルを踏み、クランクを回す度に軀が風に溶け込む快感。憚るように冷たい秋風が裂けていき、突き進む僕らに明確な道標ラインを指し示す。


 後ろの方で女が何やら罵声を上げているが、切った風が邪魔をして聞き取れない。

 時速は四十キロを優に超え、もはや常人が思い描く自転車の速度ではない。しかしだからといって、このまま振り切れると思う程僕はおめでたい人間ではなかった。


 クロスバイクといえど、所詮は自転車。スピードで車に敵う事など、有り得ないのだ。

 太いタイヤが、アスファルトを擦る不快音。

 深夜故に、よく響く。


 当分、追い着かれる事は無いだろう。カタリナが居る手前、彼女の安全を考慮して向こうは迂闊にスピードを出せないのだから。


「ねぇ僕の声、聞こえてる!?」

「はい、きちんと聞こえています!」

「じゃあ――」


 深呼吸。

 冷たい風を吸い込み、喉が乾涸らびたように痛む。

 タイミングは、一度だけ。



 ――心臓が、大きく脈打つ。



「カタリナ、鞄をぶん投げて――」



 ――力強く、獣の咆吼のように。



 奴らが痺れを切らして、スピードを上げる瞬間。



!!」



 刹那。

 クロスバイクのハンドルを思い切り切って、本体フレームを百八十度回頭させた遠心力と慣性の法則で弾き飛ばされた僕らを振り切って、主を失ったクロスバイクが、追ってきたワゴン目掛け突っ込んでいく。


 全ては、一弾六十五刹那に満たぬ僅かの間。突然の障害物に反応など出来る筈無く、ハンドルを切り損なったワゴンは轟音を立てて車道と自転車道を隔てるガードレールへ無様に埋まった。

 同時。カタリナの投げた鞄が放物線を描き、宙を舞う僕らの方へと落下してくる。


 間髪入れぬ、銃声。

 重い音からして、先程のCz85が吐き出す九ミリではなく、もっと大型。


「エアバックで視界も定まらないだろうに、フロント硝子からぶっ放すか・・・・・・とんでもない奴だな・・・・・・」


 この鞄をヘコませる威力があるという事は、.50口径・・・・・・いや、それ以上――


「ギャング映画の次は、ハリウッド映画ですか」

「バイクでスライディングするのは、アレのお家芸だからね」

 ギャング映画もハリウッド映画の一つだ、という無粋な突っ込みはせずに僕はカタリナを鞄が転がった地面に着地させる。


 この娘、見た目より二倍程重い。

 着地のタイミングが少しでも外れれば、彼女の重みで腕を骨折する所だった。


「・・・・・・しかし、淑女に対して抱きつけとは大胆ですね。一般論として殿方は大胆な方が魅力的という話もありますが、こうもおおびら過ぎますと魅力どころか、むしろ下品になってしまいますよ」

「品性を気にする程、良い育ちではないから平気さ」

 嘯き、僕は疼く目頭を押さえながら鞄を拾い上げ、中折れ帽の鍔を摘まむ。

 ワゴンのドアを蹴破って現れた、筋肉質の男を眼前に捕らえながら。


「――良いナイフだ、手入れが行き届いている」


 男は銃を構えていない左手で、先程僕が放った折り畳みフォールディングナイフをこちらへ放ってきた。


「おかげで、抜いた時傷口が広がらなくて良かった。雑なやつだと、こうはいかない」

「そりゃどうも。アンタもなかなかとんでもない奴のようだ。サイボーグでもないのに、M500を片手でぶっ放すとは・・・・・・アンタ本当に人間か?」

「人より過分に鍛えているだけだ。それに撃てるだけで、狙いは定まらん。丁度、お前の頭部を粉砕しようと放った銃弾が、その鞄に命中するようにな」


 男は後ろで喚き散らす女を無視しながら冷めた視線で僕の鞄を凝視する。


「その桁外れの防弾性能・・・・・・その鞄、ただの鞄ではなさそうだ」

「ああ、何せ探偵の秘密道具だからな。普通の鞄ではないさ」

「探偵・・・・・・成る程、事調人オプか」


 合点が行くと呟くと、男は銃を構えた右手に、がちりと左腕を添えた。

 右目の機械眼が僕へピントを合わせるように動き、ギア音と共にレンズが細められる。


「俺の名は三八谷みわたに 二十四。悪いが俺達は、お前等公僕の腰巾着たんていを喜ばせる気は毛頭ない。お前を退け、そちらの人形を回収し、自分の仕事を完遂する。運び屋の名誉に賭けてな」


 名誉という言葉に、僕の腹の底から場違いな笑いが込み上げてきた。その笑いを飲み込み、おくび代わりの嘆息を一つ。


「そっちがその気なら、僕も本気でこう。例え鎖で繋がれていようが、餓えて腹ぺこの時は飼い犬だってなかなか怖いもんだって事を存分に教えてやるよ」


 ゴーグルのズレを直す。

 鞄の取っ手に付いたレバーを握り込む。


 途端。閉じ込められた空気が漏れると同時に鞄が開かれ、くぐもったギア音と共に僕へ向けてり出す鈍色のシルエット。



「潭澤 澪――――探偵だ」



 名乗りと共に、黒檀こくたん製の菱形模様の銃把チェッカー・グリップの中央に埋め込まれた、怪物フェンリールを抽象化した金色のメダリオンが光無き夜闇に星の如く輝き、声なき咆吼を上げた。

 星さえ隠す舞踏会ラグナロクに、ドワーフの鎖グレイプニールの束縛は無粋。


 硝煙の匂いが染み込んだ僕の牙が、獲物を目掛けて喰らい付く。

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