二
一階フロアを見下ろしていると、二人の子供がちょこちょこ並んで歩いてきた。あれはまさか。
僕は興奮して声をかけそうになる。
もっちーとマリ・ガガだ。
手を繋いで一階センターコートから北側のコーヒーショップの方へ歩いて行く。ほかに北にはスーパーマーケット、飲食店、生鮮食品市場がある。バーガーショップ『マクエラルド』、ドーナツショップ『ミスターダビデ』フライドチキン店『フェンタッキー』あたりに行くのかもしれないな。
僕は慌ててエスカレーターを階段一個飛ばしの要領で、一階まで駆け降りる。
センターコートに降り立つと、バレンタイン会場に違和感を覚えた。
あのチョコレートの仮面の入ったガラスケースが割られている。やはりチョコレートの仮面はここから奪われたんだ。
生け花のオブジェの赤いリボンも消えていた。
今は女子二人組を助けないと。
一階のドーナツショップ『ミスターダビデ』に二人はいた。良かった。無事に会えた。
誰もいない店舗で二人はドーナツをセルフで盆に運んでいる。
「あ、ウダガワやん。どこ行っとったん?」
もっちーは僕のことを覚えていた。さすが、しっかりした小学生だ。手招きして一緒に中央のテーブルに着くように指示してくる。僕は駆け寄ったけれど、椅子には座らなかった。
「呼び捨てはやめてくれよ」
「お兄さんが迷子になったから、もっちーと探してたんですよ」
マリー・ガガがにやける。もっちーよりはましだが、それでも少し腹が立つ煽り方だ。
「心配してくれたんだ」
僕は愛想笑いする。
「はぁ? 心配なんかするわけないやん。どうせタバコかトイレやろ」
心外だ。僕はタバコは吸わない。それより、ずっとここに留まるのは危険だ。
「行こう。ここは危ないから」
さっき仮面の不審者が飛び降りたバレンタイン会場の真裏に『ミスターダビデ』は位置している。
「なんや、落ち着きないな。ちょっとは座って落ち着き。ウダガワもドーナツ食べへんのん?」
僕は仕方なくもっちーの向かいに座る。
マリー・ガガが純白のポーチから財布を取り出してゴールドカードを見せた。
「もっちーの言う通りよ。お金は気にしないで。支払いは済んでるのよ」
「これ、君のお母さん名義なんじゃ?」
「まぁね。緊急時は使用してもいいんじゃない? 今、誰もいないみたいよ。それでも、無銭飲食は気分的に嫌だから、ちゃんと支払っておいたの」
緊急時なら何をしても許されるのかもな。ふとマリー・ガガの高級そうな腕時計が目につく。白の革ベルトにピンクの縦長の文字盤だ。今、時刻はどうなっているんだろうと思って覗き込む。
「お兄さん、気軽に触らないでくれる? これ、海外ブランドなのよ」
「いくらするんだ」
「一、十、百、千、でしょ? 万、十万、百万。あ、百万まではいかないわね。十万でしょ。えーっと、もっちー、わたし前に何円って言ったかしら」
「四十六」
「そうそう、四十六万円よ」
生意気にそんな高級な腕時計を。聞くんじゃなかった。今は、そんなことはどうでもいい。驚きの発見があった。マリー・ガガの腕時計の針も止まっている。
二時十分。
「今何時か分かるか?」
僕の問いにマリー・ガガは薄茶色の長い眉をへの字にした。
「変な文字盤だって思ってるんでしょ。数字ぐらいちゃんと読み取って欲しいわ」
縦に伸びている特徴的な文字だが、二時十分から動いていない。
「もっちーのは?」
「うちのも二時十分や。ウダガワうだうだ言わんと、落ち着きって。大人は今のところあんた一人なんやから、しっかりしてくれな困るねんで。モールの出口、鍵かかっとって出られへんねん。北西、北東、南東、南。全部見て来たで」
「じゃあ外を見たんだな?」
僕の問いにもっちーはシュガードーナツを頬張り拒絶する。こほんとマリー・ガガの咳払い。今の質問はタブーか何かなのか。
「一階の出入り口から見た外の様子は、普通の景色に見えましたけどね。駐車場は怖い感じでしたけど」
「暗かった?」
二人とも押し黙る。僕は慎重に言葉を選んで続ける。
「入れないって感じがしたよな?」
もっちーがドーナツを
「行ったら死ぬで。たぶん」
マリー・ガガは目を伏せており、ドーナツには手をつけていない。
「どうしてそう思うんだ?」
「デリカシーなさすぎ。直感や。うちら二人どんなけ怖い思いしたと思ってんねん」
急にもっちーは声を上げて泣き出した。人がいない分よく響き渡った。有線放送の明るい曲でももっちーの声は掻き消えない。確かに子供二人で、あのどこと繋がっているのか分からない吸い込まれるような闇と対峙したのなら、夜も眠れなくなるだろう。あの闇に飲み込まれかけたか。おそらくあれは、近づいてはいけない類の境界線だ。あの先は黄泉の国だろう。
待てよ。
もしかしてもっちー、マリー・ガガ、まさくんの三人も雷で死んだのか。いやいや、まさくんはさっき仮面の不審者にやられた。ということは、まさくんは二度死んだことになるのか?
「もっちー、落ち着こう。泣いても解決できないんだ。僕も三階から一階まで見回ったんだ。時計も全部止まってる」
どうすれば泣き止んでくれるんだろうか。
心配になったが、誰も困らないのではないだろうか。反射的に泣き止ませないといけないと思ったが、それはここが公共の場だからだ。人の目がなくなった今、ここは公共の場ではなくなった。大声を心配する必要はない。
マリー・ガガがドーナツを一口かじる。それからもっちーの食べ残したドーナツと一緒にお盆ごと下げて、返却口に返す。残ったドーナツは燃えるゴミに捨てた。マリー・ガガが座りなおすのを僕は待った。
「わたしたちは、このモールから人が消えた理由をこう考えました。わたし、もっちーの二人は雷に打たれて死んだと。だから、ここにはわたしたちしかいない」
もっちーの泣き声が悲鳴のように甲高くなる。マリー・ガガはもっちーを抱きしめる。
「やっぱり僕だけじゃなかったのか。雷に打たれたのは」
「お兄さんはあのときどこへ」
「あのときって」
「まさくんがいたでしょ。あの子と二人、お兄さんは消えてしまったじゃない」
「いやー、僕は屋上で倒れてただけなんだけどな」
微妙に話が食い違っている。だが、あの一瞬の雷では誰に当たったのか分からない。僕の記憶もさだかではないのだから。
「お兄さんがここにいっしょに閉じ込められてるってことは、雷に打たれたからで間違いないでしょ?」
「それなら、時計が止まった理由も分かる気がする。あ、でも、この店の時計も止まってるのか」
「時間も空間もでたらめなのかもしれないのよ」
本当にそうだろうか。仮にそうだとしても、何かルールみたいなものはないのだろうか。
『雷に打たれて僕らは死んでしまった』からこのモールで地縛霊のように縛られることになった。というのがオカルト的な解になるだろう。僕は霊や超常現象を信じないので、あまり死んだという実感が沸かなかった。そもそも、雷が人間に当たる確率は低い。確か、百万分の一と聞いたことがある。ただし、死亡率は七十パーセントぐらいあったはずだから、当たるとかなりまずい。まぁ、当たったからこうなっているんだが。
ほかにこの現状を説明できる解はないだろうか。腕を組んで考える。
「みんな同じ夢を見続けている。とかどうだろう。集団幻覚とか、集団ヒステリックとかも考えられるかも。僕らは雷で精神的なショックを受けただろう?」
「あほちゃう」
もっちーが急に泣き止み、僕の膝を足蹴にする。どうして僕を批難するときだけ、そう元気なのか。
服の袖で涙を拭って席を立ったもっちーは、ドーナツの入ったショーケースに向かう。
「一人でうろついたらだめだ。そうだ、大事な話が」
もっちーはレジから回ってドーナツのおかわりをした。
「ウダガワ説を信じたるわ。夢なんやったらいっぱい食べとかんと、もったいないし」
さっき残したのは誰だ。
何にしても、死んだことを証明するのは、死んだ人間側から証明するのは難しい。逆に僕らが今生きていると証明することができるのは、自分の脈拍と血ぐらいだろうか。現時点で、僕らは生きているはず。
僕は仮面の不審者がいないか隣の店、向かいの店を順に見回す。相変わらず人の気配はない。もう一階に来てから五分から十分経つ。
「なぁ、落ち着いて聞いて欲しい。ここには人殺しがいる」
もっちーに睨みつけられた。もっちーが手に取ったはちみつドーナツはまだ彼女の口には入っていない。
「ここは危ないんだ。それ、持ってていいから。少し歩こう」
僕はマリー・ガガならまだ聞き分けがいいだろうと思って目で訴えるが、本気にはされなかった。
「あらまぁ。それは驚きね。でも、もう少しマイルドにおっしゃって? 変なおじさんがいるとかそういう言い方でもよくてよ。わたしたちまだ二年生なんだから」
二人してにやにや笑う。こういうときだけ子供だ。
一階に殺人鬼がいると意識すると、背中に視線が突き刺さっているような気がしてきた。左隣の店はカフェで、右隣はバーガーショップ。テーブルの下や椅子の陰に隠れて近づかれでもしたら気づかないだろう。それに、店舗の向かいは生鮮食品市場で、大きく視界が開けている。さっきまさくんを襲ったあいつが、のんびりお買い物なんてするはずはないと思う。いつ正面切って走って来るとも限らない。
「もっちー、頼むよ。ここは危ないから」
「どこやったら安全なん? うちら閉じ込められてるんやで?」
「それは、どこが安全かなんて僕にも分からないけど、隠れられる場所を探すとか色々あるだろ。とにかく移動しないと。このモールには殺人鬼がいるんだよ」
「へー、誰殺したん? うちらすでに……」
死んでるんやろ? とはさすがに言えないようだった。もっちーは目を真っ赤にしてやけくそでドーナツを口に放り込んだ。早食い競争なら一位を狙えるスピードだ。
「死んでるのに殺されるとどうなるんだ」
独り言で発したつもりだが、まさくんの複数の遺体を思い浮かべてしまい、また吐き気がしてきた。もっちーに汚いものでも見るような目で見られた。
夢か確かめるために頬をつねってみる。痛い。死後も生前の記憶を保持し、五感もそろっているものなのか。
「とにかく、死ぬのは嫌だろ? 痛いし」
これにはすんなりもっちーも頷いた。どんな言い訳で論破されるのかと身構えたが。
「痛いのは嫌や」
「私も」
「僕もそうだよ」
「え、ウダガワも? 何も感じなさそうやのに」
どこをどう見てそう思うのか聞きたい。
もっちーの手をマリー・ガガが取ってエスコートする。死んでも親友ってか。
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