第27話 肉屋の使いの使い

「料理長に訊いてみるわね。怪我をしているから無理をしないで座っていて」

「えっ、あ……」


 デボラはサッと土のついた鶏肉を元の布でくるむとそれを抱え、呆然としたままのシェリーとトムを井戸に置き去りにして屋敷の裏口に向かった。


 裏口は厨房のすぐ横なので、トムも元々ここに配達をする予定だったのだろう。彼女がドアをノックするとすぐにコック見習いのピーターが「はいはい……」とドアを開け、そして目の前の光景にビックリ仰天して後ろに飛びすさった。


「でっ、デボラ様!?」

「あらピーター、ちょうど良かったわ。ねえこれ、土がついてしまったの。でも洗えば食べられるわよね?」

「え、え!? なんで!? え!? ……りょ、料理長~~~!!」


 彼にとってはあまりにも予想外すぎるデボラの様子と言葉。即座にキャパオーバーした可哀相なピーターは、走って料理長のヴィトを呼びに行く。小さな目を大きく丸くしながらヴィトが裏口までやって来た。


「なんだなんだ。また何か始めたのかデボラ様?」

「肉屋の使いの子が、そこで転んでお肉を落としてしまって。お肉に土が付いてしまったの。でも土くらいすぐ洗えば取れるから別にダメにはならないでしょう?」

「……」


 唖然としたヴィトの口が一旦閉じた後、奇妙な形に緩んだかと思うと豪快に吹きだした。


「ぶはっ、アハハハハ!! それで? 今度は肉屋の使いの使いか!!」

「違いますわ。お使いのトムが足に怪我をしてしまったから、私が代わりに訊きに来たの。それにこのお肉、私が食べるのではないの? それなら私が洗えばいいと言えば問題ないかと思ったのよ」

「ハハハハ……ひぃ……確かにそれはそうだ!」


 ヴィトが腹を抱えて笑う理由がわからず、キョトンとするデボラ。彼はひとしきり笑ったあと、少しだけ真面目な顔になってこう言った。


「それは明日の晩餐に使う予定で注文していた鶏だ。デボラ様がそれでいいなら黙っておけばバレやしないさ」

「?」


 ヴィトの言葉にまたもや引っ掛かりを感じたデボラ。そして彼女の勘がピンとはたらく。


(……もしかして)


 だが、目下のところ大事なことはそれよりも別にある。


「じゃあこのお肉を受け取って下さいな」

「ああ、サインしてやるから受け取り証はどこだ?」

「?」


 灰色の目を丸くしたデボラに、ヴィトはニヤッとする。


「なんだ、まさか受け取り証も知らないのか? それじゃ肉屋の使いは勤まらんぞ」

「まあ大変。私はお使いじゃないけれど、それが必要なのね?」

「そうだぜ。こういうのは信用が必要なんだ。受け取り証にサインを貰ってこないと配達は完了したことにならん。それがなければ配達したと嘘をついて品物を横取りしたり、配達をサボって品物を捨ててくる奴がいるかもしれないからな」

「まあ」


 デボラはもう一度キョトンとした。


「そんなことをしたらすぐにわかってしまうのでは? 仕事も頸になるでしょうし、翌日から路頭に迷うかもしれないのに、愚かな人もいるものね」

「お貴族様のご令嬢にはわからんだろうな……」


 ヴィトの固い表情では一見わかりにくいが、目の奥では皮肉めいたものが光る。


「平民の世界には、明日生きられるかどうかもわからない奴がいるんだよ。そういう奴らは今日、たった今の目の前の利害しか考えないのさ」

「そうなの……」


 デボラの無表情に一瞬、陰がかかる。


(わかっていたつもりだけれど、平民の生活も大変なのね)


 万が一秘密が暴かれシスレー侯爵家を放り出されたら、土のついた食べ物を洗って食べるどころではないのかもしれない。

 ……だが、とりあえずそれはまだ先の、起きないかもしれないことだとデボラは素早く切り替えた。


「じゃあトムから受け取り証を貰ってくるわ……」


 そう言いかけた矢先、シェリーがトムを連れて裏口まで歩いてきた。


「デボラ様!」

「ああ、ちょうど良かったわ。お肉を受け取る時に受け取り証にサインが必要なんですって。持っているわよね?」

「えっ、じゃあ、あの肉は」


 デボラはニッコリと微笑む。赤い薔薇が咲いたかのように美しい。


「ええ、洗えば問題ないそうよ」

「まあ! 良かったわねトム!」

「……」


 しかしそう言われたトムの様子がおかしい。素直に喜ぶことをせず、チラリとデボラに一瞥をくれるとヴィトに受け取り証を差し出した。ヴィトもどうも妙だと思ったのか、サインをすると口を出す。


「おいトム坊、デボラ様に感謝するんだな。この鶏はこの方が召し上がるから落とした物でも許して貰えたんだぞ」


 トムは再度デボラを見た。あどけない顔の真ん中、眉間に一本のシワが刻まれている。


「……デボラ様、って……人質の?」


 デボラは目を見開く。横のシェリーからも小さく「えっ」と言う声がこぼれた。既に平民にもデボラの名前が知られる程、人質の話が広まっているとは。だが彼女は落ち着いて応対した。


「ええ。私、デボラ・マウジーと申しますわ」


 敢えてデボラ・シスレーとは名乗らなかった。自分は人質で白い結婚、名ばかりの妻だし、シスレー侯爵に隠し事まで持っていると言うのに侯爵夫人と名乗るのはなんだか烏滸がましい気がして。


「……なんで」


 トムの顔にはっきりと嫌悪と怒りの感情が表れた。彼はシェリーやヴィト達を見ながら吐き捨てるように言う。


「なんで! こんな奴と普通に会話してるんだよ! こいつはマムート人だろ!」

「トム! だめよそんなこと……」


 シェリーが慌てて宥めようとするが彼は止まらない。


「皆、なんで平気なんだよ! こいつらの国のせいで……あの人はっ!!」


 その瞬間、パン! と空気を貫き、遠くまで響き渡る音がした。


 その場の全員が音のした方を見る。好好爺と言えそうな笑みを湛えた執事服の男が、白い手袋を嵌めた両手を合わせていた。彼が手を叩いた音だったのだ。


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