第28話

そう聞かれて、あたしは先生へ視線を向けた。



先生はキツク目を閉じて痛みと戦っている。



「そうなのかな……」



画面が前回と変わっていなかったから、てっきりホナミの手形が必要なのだと思い込んでいた。



でも、違う……?



あたしは焦る気持ちを押し殺してもう1度コマンドを入力し、手形の画面を表示させた。



一番右側だけ残された額縁をジッと見つめる。



「先生、起きられますか?」



あたしは覚悟を決めて先生にそう聞いた。



先生はゆっくりと目を開けて「どうした? 次のミッションか?」と、聞いて来た。



あたしはその質問に左右に首を振る。



「先生の手形が必要かもしれないんです」



「手形……? あぁ、さっきの画面のことか?」



「そうです。もしかしたら、先生の手形で通用するかもしれないんです」



あたしの言葉に先生はとまどった様子で視線を漂わせた。



「もし、それで成功しなければどうなる?」



「それは……」



わからなかった。



手形をはめてみてもゲームは終わらないかもしれない。



それ所か、今よりももっとひどい状態になる可能性もあった。



「このままゲームを続けても、俺たちが生き残る可能性はほとんどありません」



そう言ったのはイクヤだった。



イクヤは手探りで先生を探し、その横に座り込んだ。



「どうせ死ぬのなら、やれるだけのことをやってみませんか?」



イクヤの言葉に先生は大きく頷いた。



「そうだな。凶と出るか吉と出るか、やってみようか」



先生はそう言ってゆっくりと上半身を起こした。



歩くことはできないので、慌ててキャスター式の椅子を先生の横へと移動した。



「これに乗ってください」



「あぁ、すまないな」



先生はほとんど腕の力だけで椅子に座り、あたしはそれを押して画面の前へと移動した。



「ここか……」



画面を見つめる先生がゴクリと唾を飲み込む音が聞こえて来た。



先生はさっきから気丈に振舞っているけれど、本当は怖いのだ。



手形を押してもダメだったらゲームは続行。



もしくはここにいる全員がホナミのように……。



あたし最悪の考えを、頭をふってかき消した。



大丈夫。



きっと、成功する。



あたしは振り向いてイクヤの手を握りしめた。



イクヤも痛いほどにあたしの手を握り返してきてくれる。



「3人で、ここから出ようね」



あたしがそう言うのと、先生が左端の額縁に自分の手をあてはめるのは、ほぼ同時だった……。



ゴゴゴゴゴッ!



と、地面を揺るがす音が聞こえて来たのはそれからすぐのことだった。



画面を確認すると真っ暗で、ゲームが消えているのがわかった。



「なんだこれは……」



先生が周囲を見回し、唖然とした声で呟く。



地震のような地響きは鳴りやまず、積み重ねられていた道具が次々と落下してくる。



落下物に当たらないようイクヤと共に体勢を低くすると、先生が机の下に頭を入れるように指示してきた。



「先生も体勢を低くしてください!」



叫ぶように言うが、あたしの声は地響きによってほとんどかき消されてしまった。



その時だった。



不意に、天井から水がポタポタとしたたり落ちて来たのだ。



ここは1階の教室で、上の階も普通の教室になっていて水道などない。



水が落ちて来ることなんてないはずなのに……。



そう思って天井を見上げると小さな亀裂が沢山できていて、その隙間から水が流れ込んでいるのがわかった。



「なんで、水が……」



先生がそう呟いた次の瞬間だった。



バキバキバキッ! と、なにかが砕けて行くような音が響き渡り、天井の端から端まで大きな亀裂が走ったのだ。



間髪入れず、その隙間から大量の水が流れ込んでくる。



その水は綺麗なものではなく、土や小石が混ざったどす黒いものだった。



「イヤアア!!」



あたしはなすすべもなく、イクヤの体に抱きついた。



どうして?



先生の手形は失敗だったの?



これが、ゲームオーバーになったときの最後なの……?



大量の土の混じった水はあっという間にあたし達の体を飲み込んでいく。



重たい水につかった体は思うように動かすこともできず、浮上することが難しい。



もがけばもがくほど下へ下へと落ちて行く、まるで蟻地獄だ。



イクヤ……。



あたしは懸命にイクヤを探して手を伸ばす。



さっきまで一緒にいたはずのイクヤがどこにもいない。



こんなの、ひどいよ……。



イクヤと2人ならいいと思っていたのに、最後は1人だなんて……。



絶望と悲しみが押し寄せてきたころ、水はあたしの身長を飲み込むほどの量に到達していた。



また地響きが鳴り続けていて、先生の姿もどこにも見えない。



2人とも、もう埋もれてしまったんだろうか。



そう思うと途端に水をかく力を失い、動きが鈍くなってしまった。



水面に顔がでるのはほんの一瞬で、その瞬間吸い込める空気の量も限られていた。



あたしも、もう……。



そう思った次の瞬間だった。



信じられない光景が目の前に流れていた。



泥水に使って一寸先は闇のはずなのに、そこに十数人の男女がもがき苦しんでいるのが見えたのだ。

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あたしは水の流れに身を任せ、唖然としてそれを見つめていた。



これは夢?



まぼろし?



もしかして、あたしはもう死んでしまったんだろうか?



一瞬にして色々な憶測が脳裏を駆け抜けていくが、その映像は止まらない。



水と土にまみれた男女は体の自由を奪われ、壁や床に激しくぶつかり血を流した。



その上から石や土が覆いかぶさり、人々の体を飲み込んで行く。



『痛い……』



『苦しい……』



どこからともなく、そんな悲痛な叫び声が聞こえて来た。



それは土砂に埋もれてしまった人々の声だと、すぐに理解した。



これは、ゲーム会社の社員さんたちなの……?



聞く事もできないまま、土砂の間から人々の血が流れ出すのを呆然として見つめる。

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