第4話:僕たちはそれが分からない

 旧校舎の階段を降り切ると、僕たちは昇降口目指して一階の廊下を歩き始めた。

 窓ガラスから降り注ぐ春の日差しに、キラキラと空気が反射する。一見すると綺麗だけれど反射物は空気中を漂う埃であって、あまり口を開けたくはない。

 そんな事情もあって、僕たちは無言で誰もいない廊下を進んだ。

 

 正直に言えば、僕は此花さんがどうしてこれほどまでにを求めるのかよく分からない。

 タイプが違うからだ。

 僕と此花さんは同じ『ぼっち』ではあるけれども、僕はそれを必要としないのに対して、彼女はそれを執拗に求めようとする。

 此花さんタイプの成れの果てが僕だったらまだ理解も出来るのだけれど、あいにくと僕は最初からそれを求めることを放棄しているので話にならない。

 ちなみにどっちが優れている劣っているという事もない。ただ、此花さんの生き方は大変だろうなぁとは思う。

 

 そう思うからこそ、理解には至らなくとも何だか妙な感覚に囚われている。

 

 僕はずっと『ぼっち』だった。『ぼっち』として生きてきた。おそらくはこれからも『ぼっち』で生きていくのだろう。漠然とそう予感していたし、そこに不満もなければ不安もなかった。

 そんな僕の前に此花さんが現れた。

 お弁当を一緒に食べた。放課後の部活巡りにも付き合った(肝心の部活動には参加しなかったが)。

 そんなことが驚くべきことに十日も続いた。


 男子三日会わざれば刮目して見よ、なんて言葉がある。

 頑張っている人は三日も経てば別人なぐらいに成長しているから侮ってはならないって意味だ。

 僕が頑張ったかどうかは分からない。此花さんに付き合わされ、連れ回されただけのような気もする。

 正直、疲れた。うんざりしてないかと言えばウソになる。

 そう思いながらも三日どころか十日も付き合えば、頑張ろうと頑張らなかろうと自然と変化は訪れるものかもしれない。


 例えば色物の服と一緒に洗濯された白地のTシャツのように。

 ぬか床に漬けられたなすびのように。


 どちらの喩えも此花さんに言ったら嫌な顔をされそうだけど、考えた末に出てきた僕の心境の理由がそれだから仕方がない。

 それに今から僕のやろうとしていることが、此花さんへの憐みとか、同情とか、そんなくだらないものじゃなかったことに僕は心底ほっとしていた。

 

 無駄に長い廊下の果てに、使われなくなった下駄箱が見えてきた。

 かつてはこの旧校舎で僕らと同じ年代の多くの人たちが、楽しかったり、つまらなかったり、そのどちらでもなかったりする毎日を過ごしていた証拠であり、今となってはそんなものの残骸だ。

 その脇を僕たちは無言で通り過ぎた。

 つまり僕たちは土足で旧校舎にあがっていた。ちらりと見えた文化部の先輩たちも土足だった。どうりで埃っぽいわけだよ。

 

 外に出たら途端に空気がクリアになった。これまでの分を取り返さんとばかりに、新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込む。

 新鮮と言えば、元日の朝の空気が一番新鮮さを感じる。なんせ一年の始まりの朝の空気なんだ、新鮮でないわけがない。

 だけど四月の空気だってきっと新鮮だろう。なんせ色んなことが始まる季節なんだから。

 

「あの、此花さん」


 新校舎をから外に出て、空気の質が変わって、なんだか色んなものがよどみから抜けたような気がした。

 その勢いを借りて、僕は此花さんのふたつ結びが揺れる小さな背中に声をかける。

 すっかり桜は落ち、新緑も眩しい葉桜となった並木道を此花さんは校門に向かって先行していた。

 

「……はい、な、なんでしょうか、高尾君」

「えっと、僕はこの学校の近所に住んでるわけで」

「はい?」

「しかも駅とは反対方向だから、電車通学している此花さんとは校門でお別れなんだけど」

「……?」

「だから、えーと、つまり僕たちは一緒に帰ることはできないんだよ……」


 あー、我ながら何を言いたいのか要領を得ない。

 でも、珍しく僕から何か伝えようとしていることに気が付いたみたいで、此花さんが足を止めてくれたからヨシとする。

 自然と僕も足を止めた。

 此花さんが振り返ってくる。

 思わず俯いてしまう。いや、なにしてるんだ、僕。

 ちらりと視線をあげた。

 此花さんが「何が言いたいんだろう?」という感情を半分、だけどもう半分はどこか期待をするような、祈りを捧げるような、思わず縋りつきたくなるような、そんな感情を溢れさせて僕を見つめていた。


 ……多分、いや僕もきっと今、そんな顔をしていると思う。

 ええい、ままよ!

 

「此花さん!」


 思いもよらず大きな声になって此花さんが「ひゃい!?」と可愛らしい驚き声をあげた。

 

「此花さんはその……部活に入れなくても放課後を一緒に楽しめる人がいれば……いいんだよね!?」

「え? あ、は……はいっ!」

「だったら……だったら僕と……」


 心臓が僕の人生の中で一番ばくばくと脈を打っているのを感じる。手汗がやばい。頭の中で今まで使われたことのなかった回路に電気が走って、ピカピカとダイオードを発光させている。光が漏れて目が光ってないかちょっと心配だ。

 

 見れば此花さんが大きな目を見開いている。

 やっぱり僕の目が光っているのだろうかと思っていたら、何かを期待するように僕をじっと見つめてくる。

 ……えっと、目を発光させる変人を見つめる反応じゃないよね、これ。


 此花さんの身体が心なしか前のめりになった。

 きっと期待が戸惑いを越えたんだ。そう感じた僕は一世一代のその言葉を口にした。


「此花さん、僕と友だちを前提に付き合ってみない?」



 …………

 …………

 …………


 …………

 …………

 …………


「友だちを前提に付き合う……?」

 

 たっぷり間を置いて、此花さんがオウム返しに問いただしてきた。

 危なかった。あともう少し遅かったら僕はこの場から走り去りたい衝動に負けていたかもしれない。

 もう少し他の言い方は無かったのか、僕。これじゃあまるで愛の告白、というかプロポーズみたいじゃないか。

 

「友だちになろう、じゃなくて?」


 でも此花さんはそこには触れなかった。

 代わりにこんな変な提案になってしまった本質を突いてくる。


「あ、うん。その、いきなり友だちは畏れ多いような気がして」

「畏れ多い、ですか?」

「それに僕にはがよく分からなくて」

「それ? えっと、それって友だちのこと?」

「うん、何をもって友だちと言うのか。友だちとはどんなものなのか。今まで友だちがいなかったし、欲しいとも思ってこなかったのでどうにもさっぱり」


 なんせ分からなさ過ぎて『友だち』って言葉自体気持ち悪いから『それ』って表現していたくらいだ。


「友だちが……分からない……」

「はぁ、情けない話だけど」

「友だちが……」

「面目ない」

「友だち……」

「…………」


 あの、少しは手心というものをお願いしますよ、此花さん。このままじゃあ僕、自分で自分の墓穴はかあなを掘りたくなるのですが。

 『ぼっち墓地』なだけに(くだらないなー)。

 

「高尾君は友だちが分からない……」

「はい。よって今から墓穴を掘らせていただきます」

「え? なんで墓穴!? って、それよりも私も言われて気が付いたんですけど……」


 此花さんが気まずそうに首元の結んだ髪を弄りながら、でもちょっと嬉しそうな表情を浮かべて言った。


「あの……実は私もよく分からないみたい、だったり……」


 あははと此花さんが照れくささを隠すように笑った。

 

「え? 此花さんも友だちが分からないの?」 

「う、うん……あれだけ友だちが欲しいって思ってたのに、高尾君は友だちが分からないんだって知ったら、な、なんだか私も……」

「な、なんで!?」

「え、えええっと、なんでだろ!? あれ? あれぇぇぇ!?!?」 


 果たしてこんなことってあるのだろうか。

 いや、あるのだろう。だってタイプは違えど僕たちは同じ『ぼっち』。友だちというものを持たずにここまで大きくなってしまったのだから、求めようと求めなかろうと変わらず友だちというものへの知識や理解度が乏しい。

 だから此花さんがとりわけ間が抜けている、というわけではないと思う。


「ううっ、お間抜けです、私……」


 ってフォローしてあげたのに自分で言っちゃったよ、この人。


「あ、でも、高尾君のおかげでなんか分かったかもしれませんっ! そっか、私、友だちが分からないから友だちが出来ないんだ、って……」

「うん。だからまずは僕たちふたりで友だちを知ろうと思うんだけど」

「は、はい! だから『友達を前提に付き合う』なんですねっ!」


 此花さんが何度もなるほどと繰り返して、うんうん頷く。

 

「あ、あの……だったら答えは決まってるかなって!」


 此花さんが唐突に僕の両手を取って、一瞬視線を落としたものの、すぐに顔を上げて僕の目をまっすぐに見つめると


「ふ、不束者ふつつかものですが……よ、よろしくお願いしますっ、高尾君!」


 仄かに頬を桜色に染めながら、頭を深々と下げた。


 なんだかまたプロローズみたいな流れになったからだろうか。

 つられて頭を下げる僕の顔も彼女みたいになるのが分かる。


 これもまた彼女に感化された、ってことになるのだろうか。

 分からないけれど、この胸の高まりは此花さんがもたらしてくれたものなのは間違いないと思った。

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