グラントエリック建国史

鈴木美本

第一章

プロローグ『エリックとマーティン』

「マーティン! こっちこっち!」

「エリック! 今日は、どこに行くつもり?」


 黒髪の五歳の少年──エリックは、金髪の幼馴染──マーティンの手を引っ張りながら、先を急いでいた。

 同い年の二人は家も隣同士。二人が生まれる前から家族ぐるみの付き合いをしていた。


「今日は、バートンさんの手伝いをするって、約束してるんだ!」

「あの川の近くに住んでいるバートンさん?」

「そう! 二日前の雨で土砂崩れが起きそうだから、どうにかしてほしいって!」

「自警団に言えばいいんじゃないの?」

「最近、自警団も忙しいから、そんな暇はないみたいで、俺たちに頼みたいってさ!」

「そっか。──最近、嫌な事件が多いからね……」


 この田舎町──シュトーリヒには騎士団がない代わりに、自警団が存在している。田舎町には騎士団もなく、兵士もいない。田舎町は、みんなどこもそうだった。

 現在、この国──マグニセント王国には、科学者、錬金術士、魔法使いが存在している。

 国の科学者たちは、北大陸の影響を受け、こぞって科学の研究を進め、多くの物を生み出した。それと同時に、科学による争いが至るところで起こり、人も大地も疲弊していた。

 こんなに小さい五歳の少年に頼ってしまうくらいに、世の中の情勢は悪化していた。

 この島国の北西にあるシュトーリヒとは真逆の南東に位置する孤島──サンドスピリットと呼ばれる場所に資金が集まっているという。

 何の研究をしているのかは伏せられ、国民の苛立ちも更に増している。

 ただ、「不思議な物質が発掘された」とか、「怪しい研究をして新しい兵器を作った」とか、「物資を運んでいる」という噂が絶えなかった。



 ⚔ ⚔ ⚔



 しばらくして、二人の前にクリーム色の壁と赤茶の屋根の家が見えて来た。


「おーい! エリック! マーティン! 遠くから来てくれて、ありがとなー!」

「バートンさん! こんにちは!」

「こんにちは!」

「おーっ! こんにちは!」


 ニカッと笑うバートンに、エリックとマーティンは元気に笑う。


「とりあえず、こっちに来てくれ!」

「「はい!」」


 二人はバートンの家近くの崖に案内される。


「ここだ!」


 じっと崖を見上げるエリックとマーティン。確かに、そこは今にも土砂崩れが起きそうだった。


「土砂崩れだから……。水分を減らして、土を岩みたいに固くすればいいかな?」

「──うん。それでいいと思う」

「何かあったら、頼む。マーティン」

「わかった。回復魔法は任せて」


 二人は黒の瞳と金の瞳を見合わせ、力強く頷く。

 幼い時から二人の魔力は強く、三歳になる頃には光魔法と回復魔法が使えるようになっていた。

 特にエリックは魔力の強い母親──ホリーの影響もあってか、他の攻撃魔法も使いこなし、みんなを驚かせた。

 エリックの父親──グラントは、「自分より強くなるかもな」と喜んでいた。

 それからも、二人で魔法書を読み、魔法を自在に使えるようになっていった。

 初めは、ほんの少しの好奇心だったが、二人で魔法を覚えて、人を助けて褒められ、みんなが喜んでくれることが嬉しくなった。

 そして、いつの間にか、「困っている人たちを助けたい」と二人は思うようになり、今もそれを続けている。


 エリックは目を閉じて、手に魔力を集中させ、崖にも意識を集中させる。土の水分を少しずつ地下に押し込み、表面の土を岩のように固めていく。

 しばらくして、まぶたをゆっくり上げたエリックは、ふぅっと溜息をつく。


「どうだった? エリック?」

「なんとか、うまくいったみたいだ」


 心配そうなマーティンに、エリックは微笑んだ。


「そうか! エリック、ありがとな!」

「バートンさん! どういたしまして!」

「マーティンも、ありがとな!」

「僕は何もしてないので──」

「俺は、マーティンがいると安心するんだ!」

「エリック──ありがとう」


 二人で笑い合う。

 その様子を見て、ニカッと笑ったバートンは続ける。


「フレデリックさんとフェストさんに、よろしく言っておいてくれ!」

「わかりました。祖父と父に伝えておきます」

「ああ、よろしくな!」


 マーティンの祖父──フレデリックは、シュトーリヒの領主だ。

 また、その息子──フェストは次期領主であり、さらにその息子のマーティンも跡を継ぐことになっている。

 エリックの父親のグラントは、シュトーリヒの自警団員で、フェストの護衛をしている。


「じゃあ、またね! バートンさん!」

「失礼します、バートンさん!」

「ああ! またな! 二人とも気をつけて帰るんだぞ!」

「「はい!」」


 二人は元気よく返事し、手を繋いで家に帰っていく。

 二人は、これからマーティンの家で、本を読む予定だった──。



 ⚔ ⚔ ⚔



 しかし、その日、悲劇が起こった。


 グラントが領主のフレデリックを庇い、重傷を負ったのだ。

 フェストに差し向けられた刺客を何とか退けたグラントは、フレデリックの元へ急いだ。

 フレデリックの元に着き、刺されそうになっていた彼を庇い、負傷。

 だが、グラントは最後の力を振り絞り、すべての刺客を倒し、地に倒れた。

 その後、駆けつけたフェストの回復魔法も間に合わず──、グラントは帰らぬ人となった。


 マーティンの家で父親の訃報を聞き、ショック受けたエリックは呆然として、目の前が真っ暗になった。

 その間にも、マーティンが声をかけてくれていた。

 グラントのところに連れていかれた時も、呆然としていて──。


 その後、どうしたのかをエリックはほとんど覚えていなかった。


 ただ、マーティンが手を握って、肩を抱いてくれていたこと、母親のホリーとマーティンの家族が優しく話しかけてくれたことを思い出すだけだった──。



 ⚔ ⚔ ⚔



 フレデリックは一年後、シュトーリヒ領主を辞め、息子のフェストに領主の席を譲った。


 また、うつ病になったのはエリックだけではなかった。

 グラントの両親──エリックの祖父母も息子を失い、孫のエリックも塞ぎ込み、生きる希望を失いかけていた。

 グラントが自分を庇って亡くなってしまったことに、フレデリックは責任を感じて、彼の両親の面倒を見ることにした。

 フレデリックと彼の妻──カリーノは、四人で近くの町──レーツェレストに住むことになった。


 エリックはフレデリックとカリーノが去る日、深々とお辞儀する紳士と緑の綺麗な髪の淑女、そして、悲しむ祖父母がいたことを今でもぼんやりと思い出していた。



 ⚔ ⚔ ⚔



 あれから、二年が経ち、エリックたちは八歳になっていた。


 グラントが亡くなってから、ずっと気丈に振る舞っていた妻のホリーが、原因不明の病で倒れてしまった。

 エリックは、ずっと寄り添ってくれたマーティンの家族に救われ、うつ病から回復したばかりだった。

 母親のホリーが入院し、「家にはエリック一人になってしまう」と、母方の祖父母がエリックを引き取りにやって来た。


 しかし、エリックは首を縦に振らなかった。


「お父さんとお母さんと過ごしたこの家を離れたくない」


 彼はハッキリと、そう言った。


 その後、祖父母はエリックのことをマーティンの家族に頼み込み、病院近くに店を移転することにした。

 祖父母の店は町一番の料理店で、近所の常連客はとても寂しがったが、「看板娘のホリーちゃんのためなら仕方ない」と言ってくれた。




 ⚔ ⚔ ⚔




 それから数日後、エリックは今日もマーティンの家族にお世話になっていた。


 ──いつもお世話になってばかりで、何か恩返しできないかな……?


 エリックは自分にできることを必死に考える。


 ──そういえば。お母さんの手伝いで、料理を作ったことがあったな……。


「よしっ!」


 その時のことを思い出したエリックは、ホリーとマーティンの家族に料理を作って、持って行こうと決めた。

 早速、ホリーのレシピノートを探しに、彼女の部屋に向かう。エリックがその部屋へ最後に入ったのは、もう三年前のことだった。


 何となくノックして部屋に入り、エリックは机の前まで行く。

 ふと机の上に家族写真が飾られているのを見つけ、そっと手に取り、静かに両親の姿を眺める。


 乾いた頬に、自然と涙がつたう。


 少しの間眺めた後、エリックは服で涙を拭き、決意したような顔で、写真を机の上に戻す。

 エリックは改めて机の引き出しを開けて、レシピノートがないか確認していく。

 そこには、引き出し一杯に詰まったレシピノートがあった。

 その量にホリーの努力を感じて、エリックは驚く。


 ──こんなに勉強してたのか……。お母さんの作る料理は、全部おいしかった。俺も、こんな風になれるかな?


 そう思いながら、パラパラとノートを開いていると、ホリーと一緒に作っていたメニューを見つける。

 そのページをサッと読み、パタッとノートを閉じる。


 とりあえず、少しずつ覚えていくことにしようと決めた。


 最初の料理は、エリックがホリーと初めて作った「卵サンド」を作ることにした。

 しかし、ホリーが入院してから一週間近く経ち、食材が底を突いていた。


 とりあえず、まずは買出しに行くことにした。




 ⚔ ⚔ ⚔




 今日、マーティンは学校の用事があっていない。

 マーティンは昔から頭が良く、小等部でも生徒会に所属している。

 みんなからの信頼も厚く、父親を亡くしたエリックのことも学校でいじめられないように、ずっと庇ってくれていた。

 マーティンの家族──父親のフェスト、母親のマヤリス、姉のミモザも、エリックに優しく接してくれている。


 ──みんなに恩返しをしたい。


 ぎゅっとカゴを握る手に力が入る。

 パン屋に向かうエリックの足は自然と速くなっていく。

 その意気込みのまま、パンと卵を買い、帰路を急いだ。


 エリックは帰って早速、慣れない手つきで卵サンドを作り、ラップで包んだ後、ホリーの好きだったピンクの布で更に包み、カゴの中に入れる。

 エリックが時計を見ると、もう一時間が経っていた。


 ──もうお見舞いに行く時間だ!


 エリックは急いで、ホリーが入院する病院まで持って行く。



 ⚔ ⚔ ⚔



 エリックは三十分かけて、ようやく病院まで着いた。

 見舞いの時間に間に合うように、足早にホリーの元に急ぐ。


「お母さん!」

「あ、エリック!」


 ベッドに座りながら、にこっと笑うホリーに、エリックはホッとする。

 黒のセミロングに黒い瞳。白っぽい緑のワンピースに、白の上着を羽織っているホリーは、割と元気そうにしていた。

 初めは過労もあったせいか、ひどく疲れた顔をしていたが、今は原因不明の病気と言うこと以外は健康な人と大差ないように見える。

 ただ、三十分以上立っていると、体調が急変してしまい、命にかかわる。

 そのため、今でも家ではなく、病院で療養することになっている。


 ホリーのベッド横にあるサイドテーブルには、家族写真が写真立てに入れられ、綺麗に飾られている。

 ホリーのベッドの向かいに、偶然、人はいないようだった。


「お母さん。今日は食べてほしいものがあって、持って来たんだ!」

「え? 何かしら?」


 エリックは早速カゴから卵サンドを取り出す。

 サッと包みをほどいたエリックは、ホリーの前に作った卵サンドをそっと差し出す。


「食べてくれる?」

「もちろん! エリックが作ったの?」

「うん」

「息子が一生懸命に作ったものを食べない母親なんていないわ! それじゃあ、いただきます!」


 ホリーは手を合わせた後に口を開け、息子の作った卵サンドを一口食べる。


「おいしい!」


 ホリーは嬉しそうに声を上げ、黒い瞳を輝かせる。


「エリックは、ナックおじいちゃんみたいに料理上手になるわね!」

「──ありがとう、お母さん」


 エリックは、はにかみながら、お礼を言う。

 しかし、その時、卵サンドの中身がホリーの手についてしまう。


「待ってて! 今、ハンカチを濡らしてくる!」

「ありがとう、エリック」


 慌てて手洗い場に行こうとしたエリックは急に立ち止まり、ホリーの方へ振り向く。


「お母さんのレシピを見て作ったんだ。──これからも、使っていい?」

「いいに決まってるじゃない!」


 ホリーは、息子を包み込むように優しく微笑む。


「わからないことがあったら聞いてね? 教えてあげることしかできないけど──」

「ううん! ありがとう、お母さん!」


 エリックはホリーに笑ってほしくて、元気よくお礼を言う。


「お礼を言うのは、私の方よ? ありがとう、エリック──」


 二人で微笑んでいたが、エリックの視線がホリーの手に移る。


「あっ! 今、ぬらしてくる! ちょっと待ってて!」

「慌てなくていいからね!」


 そう言った後、ホリーはくすくす笑う。

 手元の卵サンドを見て、息子の成長を感じ、嬉しそうに微笑むホリーは、とても幸せそうだった。



 ⚔ ⚔ ⚔



 その後、エリックはマーティンの家族にも卵サンドを持って行った。

 すると、門の前で偶然マーティンと会う。


「こんばんは、マーティン」

「こんばんは、エリック。そのカゴはどうしたの?」

「うん、実は卵サンドを作って来たんだ」

 エリックはカゴを差し出し、中を見せる。

「エリックが作ってくれたの? ありがとう」


 マーティンは少し驚いた表情をしたが、すぐに微笑む。

 久しぶりに、明るく話す親友を見た気がして嬉しくなる。


「さあ、中に入って! お母さんも中にいるから」

「ありがとう、お邪魔します!」


 マーティンに勧められ、家の中に入ると、すでに明かりがついており、彼の母親──マヤリスが出迎えてくれる。

 ブロンドの髪に、澄んだ青い瞳。

 マヤリスは、まるで西洋の可愛らしい美人のようだ。


「マヤリスさん、こんばんは!」

「お母さん、ただいま!」

「エリックくん、こんばんは。マーティンも、お帰り。エリックくん、ゆっくりしていってね?」

「ありがとうございます! あと、これ! 皆さんで食べてください!」


 エリックは卵サンドをマヤリスの前にカゴごと差し出した。


「ありがとう、エリックくん。これは──、卵サンド?」

「エリックが作ってくれたんだよ」

「本当に? すごく上手ね、エリックくん! 早速、夕ご飯に出しましょうね?」

「はい! ありがとうございます!」

「どういたしまして。もうすぐご飯ができるから、もう少し待っててくれるかしら?」

「はい!」


 素直に返事するエリックが微笑ましく、くすくす笑ったマヤリスはキッチンへ戻っていく。


「さあ、行こうか?」

「うん!」


 エリックは差し出されたマーティンの手を掴もうとしたが、突然、後ろから扉の開く音が聞こえてくる。

 二人が振り向くと、ブロンドのストレートヘアに金の瞳をもつ美少女。

 そして、ブロンドヘアをオールバックのようにした紳士が二人の前に立っていた。

 マーティンの姉と父親。

 ミモザとフェストが帰ってきたのだ。


「あら、エリックくん、こんばんは!」

「エリックくん? こんばんは」

「こんばんは、ミモザさん! フェストさんも、こんばんは!」

「お帰り、姉さん。お父さんも、お帰り」

「ただいま、マーティン」

「ただいま、マーティン、学校は楽しかったかい?」

「はい!」


 マーティンは本当に楽しそうな笑顔で返事をした。

 そして、もっと嬉しそうな笑顔で言葉を続ける。


「姉さん、お父さん。今日はね、エリックが卵サンドを持ってきてくれたんだ!」

「そうなの? ありがとう、エリックくん! 卵サンド、楽しみにしているわ」

「私も楽しみにしているよ」

「はいっ! ありがとうございます!」

「行こう! エリック!」

「うん!」


 二人は昔のように手を繋いで、リビングに入っていく。

 ただ一つ、昔と違うのは、エリックの手をマーティンが引いていたことだけ。

 以前なら、エリックがマーティンを引っ張っていた。

 しかし、今はマーティンがエリックを支えている。


「久し振りに元気なエリックくんを見たわ。──元気になって良かった」

「本当に──良かったな」


 ミモザとフェストは、二人を見て安心したように笑った。


 その日の夜、みんなで卵サンドを食べた。

 エリックは褒められ、みんなの前で久しぶりに笑顔を見せた。



 ⚔ ⚔ ⚔



 エリックは、その次の日から、学校から帰ると母親とマーティンたちのために料理を作るようになった。

 先に母親の見舞いに行って料理を食べてもらい、帰ってきてからマーティンの家に行き、マヤリスの料理の手伝いをしている。

 そのあとは、エリックはマーティンの家で食事をし、自分の家に帰っていく。


 エリックは、そんな生活をずっと繰り返し──。



 いつの間にか「料理が趣味」になっていた。

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