想いをブーケに包んだら

(有)あずき書店

あなたにはとびきりを

 こぢんまりとした駅から十分と少し歩くと、とある町が現れる。

 四月の終わり。暖かい風がふわりと家々の周りで遊ぶ穏やかな町を、柔らかい陽の光がすっぽりと包み込んでいる。その町の入口には、小さな花屋があった。


 優しげなアイボリーの壁には青々とした葉っぱのつるが這い、メルヘンなタイル張りの地面にはたくさんの植木鉢と、"Welcome"と手書きで書かれた黒板が置かれている。丁寧に手入れされたその店の周りには、ほわりと胸を埋めるようなあたたかみと懐かしさが漂う。


 大学に入るために引っ越してきた小春こはるにも、この町での二回目の春が訪れた。


 小春――咲本小春さくもとこはるは洋菓子店でアルバイトをしている大学生。いつも土日のどちらかの午後には必ずバイトのシフトを入れ、洋菓子店の会計カウンターに飾る生花を買ってから向かっている。


 新しいスニーカーを履いた両足が店へと歩みを進め、弾んだ息と足音が軽やかにアンサンブルする。頬を撫でた風の暖かさに、小春はちょっと嬉しい気分になった。


 そわそわする心を落ち着かせながら、小春は店の前へとやってきた。ガラス張りのドアの前のぎりぎり内側から見えない外壁にぴったりと張り付き、これからをシミュレーションする。


「よし、大丈夫……たぶん」


 風で前髪が崩れていないか気になったので、ドアのガラスをバレない程度拝借して身だしなみをチェックする。あの人に会うんだからとびきりの私でいなきゃ、と小春は思う。


 最後の仕上げに、ミルク色の薄手のカーディガンの胸元に咲いた真っ白い花の刺繍をひと撫でする。そして小さくがんばれ私、と呟いて小春はドアノブにそっと手をかけた。


 カラン、と楽しげなベルの音と同時に、店員の声がドアの方へ飛ぶ。


「いらっしゃいませー」

「こんにちは!」


 小春が想いを寄せるが、花を手に微笑んでいた。


「あ、咲本さん。今日もバイトですか?」

「はい!浅芽あさめさんも、お疲れ様です」


 緊張と会えた喜びで、声がかすかに上ずる。小春が会いたかった相手、それはこの店の店員だった。

 

 週に一回しか会わないので、小春はあまりこの店員について詳しく知らなかった。知っているのはネームプレートの"浅芽"という苗字、植物が好きな事、それと花が咲くようにぱっと笑う事の三つだけだ。何とか仲良くなりたい一心で毎回話を広げようとしているが、緊張症の小春にはなんとも難しい。

 

「今日も切花でよろしいですか?おすすめをご用意してますよ」


 浅芽はカウンターから出て、前に並んだ花を順番に紹介していく。これはカーネーション、こっちはスイートピー……ひとつひとつ、丁寧に紹介する温和な声に、小春は思わず聞き惚れてしまいそうになる。


「こっちはラナンキュラスです。丸いシルエットがかわいいですよね」

「あ、それにしようかな」

「気に入りました?」

「はい!今苺を使ったケーキを試作していて、お店に並んだらお花の色と合いそうだなと思ったんです。こっちの白いのは菜摘なつみさん……店員さんが好きそうだし、薄いピンクのはバイト仲間の子のシュシュに似ててかわいいです」


 一緒に働く仲間を思い出して、小春の顔がほころぶ。


「それではこの白とピンクのを合わせて五本ほどまとめましょうか」

「はい!それでお願いします」

「少しだけお待ちくださいね」


 浅芽はにこっと笑ってからカウンターに戻り、手際良く花を包んでいく。小春はしばらく花をまとめるしなやかな指を眺めていたが、不自然かなと思い目を逸らした。何もせず待っているのに耐えられずに店内を眺めていると、代金を払っていないことに気づいたので、トレーにお金を出す。


「はい、できました。お代もありがとうございます」

「こちらこそ、ありがとうございます……わぁ、かわいい」

「かすみ草とまとめてブーケにしてみました。このまま包みを取って花瓶に挿して頂くと綺麗ですよ」


 幾重にも重なった白とピンクの花弁の周りを、可憐なかすみ草がささやかに飾っている。ベビーピンクのフィルムと銀のライン入りの真っ白いリボンに包まれたその姿は、愛らしさに溢れていた。数秒、見入っていた小春はあることに気づく。


「あっ、白いお花の分のお代って」

「いえ、大丈夫ですよ。俺、明日で最後なので、店長に許可もらってお客様にサービス付けてるんです」

「最後って……」


(最後って、この店を辞めるって事?)


 小春は一瞬時が止まったような感覚をおぼえた。到底受け入れられるものでは無かったのだ。けれど踏み入って聞ける勇気も、持ち合わせていなかった。


「はい、明日で最後なんです」


 彼は苦笑しながら言った。小春はその姿から、彼が店を辞める残念さの他にもなにか心残りを残しているような気がした。


「長い間、ありがとうございました。咲本さん」

「こちらこそ、ありがとうございました」


 実感がないまま小さく頭を下げて、小春はとぼとぼと店を後にする。入る時に聞いたベルの音がさっきよりもずっと落ち込んで聞こえた。《《》》

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