弟子にして欲しいと乞われること

 人魚釣りの弟子にしてほしいと女が訪ねてきた。

 女の足は泥だらけで着るものも埃にまみれている。どこから来たのだろうか、疲労の色もにじみ出ていた。

 おれのうちは親父の代で人魚釣りを廃業にしている。おれは子供の頃から手伝っていたので人魚を釣ることもできるが本業は魚釣りだ。なんとなく罪悪感はあるものの無理だとつっぱねた。

「あなたは人魚を殺せるんでしょ」

 確信のこもった声に先日ちょうど一匹の人魚を釣って解体した手の感触が返ってくる。同時に人魚に魅入られた子供の怨嗟のこもった瞳まで思い出してしまった。

 まだ少女のような幼さが残った女はおれの顔を見てますます意思を固めたらしい。家の前からてこでも動かないという雰囲気がある。仕方なくなんの人魚を釣るのか尋ねる。場合によっては釣りに行かなければならない。

 女は全部の人魚だと息を巻く。

「四方の海から人魚なぞ居なくなればいい」

 どうにも物騒な話である。流れがいつもと違うとこを察して女の目をよくよく覗き込む。暗い暗い瞳をしていた。おれも流石に察した。おそらく大切なものを食われたのだろう。

「それは無理だ」

 痛ましくはあるが無理なものは無理である。昨今人魚釣りは大悪である。捕まりこそしないが内陸からの批判が大きく、解体した素材の買い手もそうそうつかない。なにより人魚釣りとは命がけの仕事だった。人魚と刺し違えて命を捨てそうな女には向かない。

 女はきっ、とおれを睨む。

「人魚釣りが人魚を釣らないからあいつらがのさばるんだろ」

 事実であるだけ耳が痛い。

 ここのところ人魚に会うことが増えているのはそれだろう。人魚が釣られないと分かって浜まで勢力を伸ばしている。人魚は賢い。人間が人魚を恐れるのをよく知っている。

 父も兄も叔父も死んだ、叫ぶ女の声は悲痛だ。船を襲われて引っくり返されれば人間にはなすすべもない。水中では人間など格好の餌である。

 女に同情する気持ちがでてくる。こういった手合に感情を引きづられてもいいことはないのだが、いかんせん悲哀の色が濃い。

 きちんと話をするにもおれの家の中には猛毒であるキョウチクトウの人魚の花がある。上げるわけにもいかないし、かといって家の前で座り込まれるのも困る。奥の手だと割り切って学のある友人の家に連れて行くことにした。

 この辺り一帯を仕切っている家だからと伝えれば女も渋々着いてきた。学のある友人は家業を手伝っているらしい。座敷で待つことになった。

 ひたすらに沈黙が痛い。おれは話がうまい方ではないのでじっと耐える。女は唇を噛み締めて黙っていた。

「なんで人魚の肩を持つのさ」

 悔しさをにじませて女はこぼす。

 おれは昨今人魚釣りがよく思われていないことを告げる。女は納得がいかないという顔をする。つい口が滑る。

「食べられないものを釣っても仕方ないだろう」

 弾かれたように女が顔を上げ、憤怒に顔を赤くした。女にとって人魚とは仇である。後悔しても遅い、怒りで言葉がでないらしい女に詰られる覚悟をする。

「待たせたね」

 丁度いいのか悪いのか友人が顔を出す。入って早々に修羅場の気配を察したらしいが茶を淹れて優雅に微笑んでいる。肝が座っている。

 頭が冷えたらしい女に友人があれこれ声をかける。大変だったね、さぞ辛かっただろう。たまにこの友人は坊主のようなことを言う。

「でもね、いま君が人魚釣りになっても早世する」

 柔らかな口調でとんでもないことを口にした。おれも思ってはいたが直接伝えるやつがあるかと怯んだ。

 まずは心を鍛えてきなさい、友人が親切そうに告げる。知人に坊主がいるから、いついかなるときでも平常心を忘れないようにする修行をつけてもらいなさい、と。

 それでは遅いと女が戸惑いながらも反発する。

 人魚は逃げないのだから遅いことはない、ついでに体力もつけてきたほうがいい。女の話を聞きながらも友人はするすると丸め込んでいく。寺への案内状を書くから今日はここへ泊まっていきなさいと親身に告げる。疲労もあってか女も無碍にできないのだろう。最後には頷いていた。

 女を置いて家に帰る。持つべきものは弁の立つ友である。

 食べない人魚を釣りたいという感覚は分からなくもなかったが、動機が全く違うものだから女には告げなくて正解である。

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