閑話 水族館へ(前編)

「もう夏休みも終わっちゃうね……」


 高速バスに乗って窓の外の海を眺めていた桃香は、ふと塔矢の方を向いて、さみしそうに呟いた。


「それは仕方ないよ。でも秋は過ごしやすいし、良くない?」

「そうなんだけど、秋は忙しいの。お祭りが多いから」

「ああ、そうか……」


 桃香の家は神社だし、秋といえば秋祭り。

 一年で一番盛り上がる季節でもある。


「準備とかも大変だし、それこそ毎週のように祭りなんだよ」

「へぇー」


 桃香は小さくため息をつく。

 とはいえ、祭りそのものが嫌なわけではなく、ただただ忙しくて塔矢とあまり会えないのが嫌なのだ。


「秋は小さなやしろの祭りも多いからね。……と言っても、そういうのはお父さんひとりでやってくれるけど」

「桃香が手伝うのはどんなこと?」


 興味を持って塔矢が聞いた。

 そもそも将来、桃香と一緒にそれをすることになる可能性も高いのだ。

 知っておいて損はなかった。


「んー、祭りのときは太鼓叩いたり、細かい手伝いするくらいかな。あとはやっぱ準備だよね。お社ごとのお祭りだと、それぞれにお神札ふだがあったりするから、それこそ何百枚も紙折って作らないといけないし。お神札と一緒にお菓子をあげたりもするけど、それも紙袋に入れておかないといけないから。私が手伝うのはそのくらいかな」

「そうなんだ。お神札とかなら僕でも手伝えるかな?」

「うん、誰でもできるよ。私、小学校の頃から手伝ってお小遣い貰ってたしね、にしし……」


 そう言って桃香は笑う。

 たぶん、難易度が高い作業ではなくて、ただ手作業で手間がかかるのだろう。


「ふたりでやったら半分で終わるし、そのぶん遊べるから」

「ん、嬉しい。じゃ、私のお小遣いも半分あげるよー」

「それは別に構わないんだけど……」


 塔矢としては、お金のためにするというつもりはなくて、ただ桃香が少しでも楽になればと思っただけだった。

 ただ、桃香もそれではすっきりしない。


「そういうわけにもいかないし。んー、じゃあ代わりに時々奢るから、それで」


 そのあたりを妥協点として提示した。


「わかったよ。……あ、橋が見えてきたよ」

「あ、本当。大きいよねー。……修学旅行のとき、飛行機で空から見たときはちっちゃって思ったけど」

「だね。橋を渡ったらすぐ神戸かな」


 神戸を過ぎたら、目的地の大阪もそんなに遠くない。


 今日は夏休み最後の土曜日。

 と言っても、毎日補習があるから、あまり夏休みという感覚はなかったけれども。

 ふたりは夏休み前から約束していた水族館に向かっていた。


 ◆


「えーと……駅ってどっち?」


 大阪駅で高速バスを降りたあと、桃香はまずどこが駅なのかが分からずに、周りを見渡しながら呟いた。

 同じバスを降りた人たちも、行く方向はバラバラ。

 とりあえずそのひとりに付いて行ったのだが、どうも駅とは違う方向に行ってしまったようだった。


「地図見るか……」


 案内板を見ればわかるだろうと思っていたけれど、その目論見が外れたこともあって、塔矢はポケットからスマートフォンを取り出す。

 地図アプリを起動して、現在位置を確認した。


「よくわからないけど、南にある西梅田から地下鉄かなぁ?」

「南ってどっち?」

「えっと、こっちかな?」


 知らない土地ということもあって、方角すらわからない。

 スマートフォンのコンパスを見ながら、歩道を南に向かって歩いた。


「ビルが高くて空が見えないし、人は多いし大変だね……」

「都会ってそういうもんだよ」

「たまに来るならまだ良いけど、私は住むなら田舎がいいなぁ」


 それが桃香の本音だった。

 彼女が住んでいるあたりは、その中でもかなり田舎だ。周りは山だらけ。

 とはいえ、携帯の電波が届かないような超ド級の田舎に比べたら、遥かにマシではあるのだが。


「今はどこに居ても通販で買物できるし、そんなに困らないよね」

「だよねー。田舎で塔矢くんとのんびり暮らしたいなぁ……」


 桃香はそう呟きながらも、今は早く水族館に行きたい。

 塔矢が指差す駅の看板を目にして、慌てて彼の手を握った。


 ◆


 地下鉄に乗り、途中の駅で一度乗り換えをしたあと、大阪港に到着した。


 ここには大きな水族館があって、巨大な水槽にジンベエザメがいることで有名だ。

 近くの水族館も候補に入れていたが、せっかく高校最後の夏休みに行くならと、ここまで足を運んだのだ。


「うわぁ……。すごい人」


 夏休みの土曜日ということと、まだ開館してから時間がさほど経っていないこともあってか、チケット売り場には長蛇の列ができていた。

 並んでいるのは家族連れが多いようだ。

 小さな子供もいっぱいいた。


「まぁ、仕方ないよね。待つしか……」

「だねー。ひとりだったら飽きて帰っちゃうかも」

「え、大阪まで来て?」

「にしし。そももそひとりだったら大阪まで来たりしないもーん」


 桃香は隣に立つ塔矢の胸に肩を押し当てるようにして笑った。

 こうしてふたりで来ていると、ちょっとした待ち時間も苦にならないのが有り難い。


「だよね。僕だってひとりじゃ絶対遠出しないよ」

「そうなんだ。塔矢くんって御朱印集めとかしてるから、ふらっと旅行に行ったりしそうな気がしてたけど」

「はは。確かに前はそうだったけど、今は桃香といるほうが楽しいからね」


 そう塔矢が返すと、桃香は嬉しそうに目を細めた。

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