22.アクシデント
「えっ?」
ラテは顔を上げた。知らずしらずの内に俯いてしまっていた。
「自信なんてあろうがなかろうが、気分が凹んでようが凸ってようが、君は舞台に立つだろう? パフォーマンスの高低はあるだろうけれど……僕らは君たちに失望したくて観客席にいるわけじゃない」
「そうでしょうか……」
「そうさ。ファンは、君たちの輝きを感じたくてライブに行くんだから。ほら、期待しかないだろ?」
「でも、ファンと……鷹詰社長がかけてくださる期待の中身って違うんじゃないですか」
「同じだよ。結果は違うかもしれない。それを商売にしている以上、供給側と受給側で得られる物に差異があるのは摂理だから。でも君ら“アイドル”に求めるモノは同じだと思っている」
「それって、一体何だって言うんですか? 歌もダンスも上手くないし、面白い話もそんなに多くない。私なんかに何があるって思ってるんですかっ?」
「情熱」
迷うことなく提示された回答に、ラテは虚を突かれた。
「才能、努力……パフォーマンスの向上や最適化に必要なものだとは認めるよ。だけど最も重要なのは感情、情熱……君の想いだ」
「想い……?」
「うん。……僕が、君に期待しているのは、君がライカを好いてくれているからなんじゃないかな。ライカへの愛の深さはオーディションの時に聴かせてもらったけれど、やっぱり人間、好きなモノ・コトに関わる時が一番輝く」
タカローは頭の中から伸びていく枝を探すように、生えた言の葉をゆっくりと摘んでいく。
「僕が用意したライカを見つける手立ては全て失敗した。プリズムは言っちゃなんだけど、そういった手段を用意するための道具でね。何の期待もかけていなかったんだ。怒ってくれて構わないよ」
「……いえ、それは別に。プリズムが存在することに価値があるので、意義はどうでも」
「そうかい? でも、そんな君たちに都合よく最後の希望を乗せてしまっている。タイム・テーブルの都合と、僕のとびっきりご都合主義な希望を、弊社のアイドルたちに押し付けてしまう。特に、君にね」
瑪瑙ラテは、彼の言葉の意味を理解するほどに血が熱を上げていくのを感じていた。
評価されたところがちょっと恥ずかしい部分であった。でも、嬉しくもあった。
「最もフレッシュで、激しくて、重い。そういうややこしくて面倒な好意、愛情――強い情熱を持つ君ならば、ライカの想像を超えていけるかもしれない」
「面倒って酷い! 私が病んでる人みたいじゃないですかっ!」
あんまりな言い草に思わずラテも唇を尖らせる。
その声音から、先ほどまでの悲観的な心情が消えていた。
タカローも笑って、
「ごめんごめん、他に適切な表現が思い浮かばなかった。でも、そうだろ?」
「……そうかもしれないですけどっ」
改めて指摘されたことを顧みると、重いかもしれないし、ちょっと面倒な女かも。思い当たる節がいくつもあった。
「面倒な女の相手をさせてしまって申し訳ありませんでした!」
こういうところが面倒なのだろうが、ぶすくれた口から嫌な心が零れるのを止められなかった。
再び軽く笑って受け止めたタカローが言う。
「もっとややこしくて面倒な女性を知ってるからね、君は可愛らしい程度さ。……まあ、面倒だったからこそ、これだけの長い付き合いになっているのか」
ぼそりと呟かれた内容にチクリと胸が痛んだ。
「ライカ先輩は面倒くさくなんか」
「……そうだね。隣に立てない僕たちのせいで、ライカを面倒にさせてしまっている」
だから、と鷹詰貴朗は希望を述べる。
「君に、ライカの孤独に終止符を打ってもらいたい。ライカの想像力を超えていってほしい」
狭苦しい雑多な車内、二人の世界から音が消えた。
静寂の中、社長はたったひとつのことを指示する。
「瑪瑙ラテ――君の奇跡を魅せてくれ」
気が付けば、ネガティブだった自分は心の奥底に縮こまり、やる気に満ち溢れた自分が表にいた。
アイドルパフォーマンスでは他のメンバーに負けるべくして負けるだろう。
だが、遠久野ライカを好きでいることについては、誰の追随も許さない。遠久野ライカを好きな人間は、それこそ星の数ほど存在する。その中で一番フレッシュで、激しくて重く、強度の高い『好き』はラテのものだ。
それが最も重要だと言うのなら、プリズムヴィジョンの社長が――鷹詰貴朗が――タカローがそう言うのなら。
プリズム8期生として生まれた瑪瑙ラテはそれを信じるだけ。
バックミラーに映るラテが頷くように顎を引き――、
――刹那、音に引き続き、世界から色が消えた。
何もかもが真っ白に染まり、次の瞬間、頭の天辺から足の爪先まで、絶後の衝撃が奔り抜ける。身体がピンと伸びて、意思と関係なく跳ねて堕ちた。
突然訪れたそのショックは、呼吸の間もなくラテの意識を奪い去っていく。
誰かの声が遠く聞こえ。何かが焼ける嫌な臭い。
糸を引くように消えていく自意識の端っこにそれらが引っ掛かった。
「ダメ、全然連絡がつかない……っ」
矢車くるくは青い顔をして、結論を落とした。
スタジオで顔を突き合わせた誰もが血色を失くしている。
無理を押して開催までこぎつけたプリズム5thライブの開始まであとわずか。
だがしかし、病院からこちらに向かっているはずの瑪瑙ラテが未だに到着していなかった。
事の起こりは瑪瑙ラテのマネージャーの確認であった。
「予定ではとっくに戻ってきているはずなのにまだ来ないんです。連絡も付かないのだけど、8期生のグループチャットか何かに連絡来ていませんか?」
渋滞が辛い、という泣き言を最後にラテからグループチャットへの書き込みは無く、病院では繋がっていた通話もダメ。
滅多に使わない電話番号にかけた電話も「お掛けになった電話番号は電源が入っていない」と返される始末。
自ら同行を申し出たという社長に連絡をしてもらっても同じ結果だった。
不測のアクシデントが起きている。
そう認識するには十分な確認内容である。
ただでさえ外は災害と呼ぶに相応しい最強の台風が猛威を奮っている。朝方に比べて暴風こそ弱まった気がするけれども、地面に叩きつけられる雨は激しさを増していた。
最悪を想像するのは容易だった。
それはくるくを始めとするプリズムのメンバー、マネージャー、スタッフへと伝播していく。
誰かが呟いた。
「どうする……?」
その疑問に回答すべき、全てを決めてきた人物はここにいない。
瑪瑙ラテと話がしたいと、マネージャーから通院の送迎役をかっさらっていき、そして今は行方不明となっている。
一堂に会した面々は周りの顔を窺うばかり。
誰も次のアクションを決められずに、別の誰かが声を挙げるのを待っている。
視線が見えない誰かを探すように集約されていく。
パァン!
弾ける柏手が幾人かの猫背を立ち直らせた。
最終的に集まった視線の先にいたのは、草凪アリア。
「バカ。今日で引退する、つってるヤツに責任預けようとすんな! お前ら、最後までライカにだっこされるつもりかよ!? ついでに言うなら勇者に柏手打たせんな、巫女の役目だろ巫女の」
ぶつくさ文句を言うアリアの台詞にハッとする。
悪気なく、最も頼りになる人間を探していたと気付く。
けれど、今日を最後に彼女はプリズムからいなくなるのだ。
その事実が十分に浸透した頃を見計らい、アリアが言った。
「やるぞ」
何を、とは問うまでもない。
「ラテ子は間に合わない。タカローも来ない。だが、それがどーした。新人とトップ、たった二人がいないだけで浮足立つんじゃねえよ」
理由の分からない不在がゆえに、不安を煽られている。
アリアはそれを隠してみんなに激を飛ばした。
いくら心配をしたところで、舞台の幕はあともう少しで開いてしまうのだ。
タカローならどうするか。
盟友の思考を脳裏で追いかけて。アリアが再び発言する直前、割り込む声があった。
「マネージャー、瑪瑙ラテは都合により出演中止。SNSでそう発信しろ。8期生、並びに瑪瑙ラテと共演予定があった者はフォーメーションを確認。可能なら調整して」
「……笹見サン、あたしの見せ場を奪うじゃん」
輪の外から現れたのは、プリズムヴィジョン配信事業部長の笹見だった。ほつれた髪が汗で頬に貼り付いている。
「草凪、それは逆だろう。ここは私の見せ場だ。遠久野にも、お前にも要らん責任を負わせるつもりはない。遅くなって悪かった、場を繋いでくれて助かったぞ」
明確な責任者が所在を明らかにしたことで、スタジオに満ちていた嫌な空気が幾分か薄らいだ。
淀んでいた雰囲気が流れ始める。笹見が指示を出し、開幕に向けて、緊急の最終チェックが行われていく。
「……草凪、こっちに」
そのわずかな隙間で笹見がアリアを手招きした。
視線を遮る機材の陰に寄ると、笹見は小声で話し始めた。
「何ですか、笹見サン」
「お前にだけは伝えておく。まだはっきりとしたことは確認出来ていないが……社長と瑪瑙が乗っていた車に雷が落ちた。その可能性がある」
「……冗談が上手くなりましたね」
確かに外はノイズキャンセルしたくなるほど雷鳴が轟いている。
しかし、ここは東京のど真ん中だ。他にいくらでも雷が落ちたくなるビルや塔が死ぬほど建っている。
それをわざわざ避けて地面を走る車に落ちる理由が考えられない。
思考を巡ったロジックは、笹見が差し出したスマホの画像によって破綻した。『車に雷落ちた!? ヤバ!!!』という文章と一緒に投稿された、現在進行系で拡散されている画像。
「な、るほど……ね。こいつは……可能性どころか、確定で良さそう、だな……」
豪雨に負けずボンネットから黒い煙を吹いている車は見覚えがあった。駐車場に同型の車がたくさん並んでいるので。ありとあらゆる開閉部が開放されていて、全く走れる状態にないことは明らかだった。
そして、大破した車の後輪に背を預けてアスファルトに座り込んでいる男が誰かも回答が可能だ。
おそらくはアリアと十年以上付き合いのある男性で、名前は鷹詰貴朗。希望が叶うのなら、別人であることを祈る。
彼の上半身を覆う服は、豪雨に晒されているというのにどす黒い赤でカラーリングされていた。アリアはタカローがよく着るファッションの好みを把握しているが、間違いなくあんな生々しい血痕のような模様の服は持っていない。
「こちらでも対応するつもりだが、舞台の上ではお前が頼りだ。もしメンバーに動揺することがあれば、草凪、お前が支えてやってくれ」
「……分かった。ああ、分かったよ……クソッ! クソ、クソッ、分かったって!!!」
嘘だ。全然、現実に納得していない。
アリアの感情は何も分かっていなかった。
理性で暴れ出しそうになる感情を分からせようと連呼する。
平静を保つ笹見を睨んでしまったのは、悲報をもたらした彼女を憎んだからではなく、そこにいたから、ただそれだけだ。
八つ当たりにも近い怒気を当てられて、なお、笹見は淡々と言った。
「草凪、無理をさせてすまない。社長と瑪瑙の安否については判明次第、すぐに伝える。頼む」
間近で笹見の顔を睨みつけ、そしてふと気付く。
濃い化粧で隠しているが、笹見の眼窩が落ち窪んでいる。頬も痩けている。今まで一本も見つけられなかった白髪がぴょんと飛び出している。
笹見も平気じゃないのに平静な振りをしている。
当然の話だ。笹見も会社の中では古株……ライカとアリア、最初のマネージャーをやっていた頃から知っている仲だ。平気なハズはなかった。
それに気付いてしまえば、不思議と胸中を暴れていた感情があるべきところに収まっていく。
口の中に残っていた感情を舌の上で噛み、苦慮しながらも正しい言葉に成形した。
「ライブの方は任せろ。機材トラブル以外ならなんとかする」
「ああ、ウチには優秀なスタッフがいる。トラブルはこれ以上起こさせない」
アリアはこくりと頷いて、再び問題の画像に視線を落とす。
「リアルタイムを見逃した後悔、頭掻きむしるほどさせてやる。だから、生きてろよ……!」
届くはずのない望みをタッチパネルに叩きつけ、
「……んっ?」
写っていなくてはならないモノが欠けていることにようやく思い至る。
「ラテ子はどこだ……?」
雨粒のカーテンで見辛いが、世間様に大開放されている車内は空っぽだった。
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