青い果実 ――2043――

明日乃たまご

第1話 定期健診

 生命科学研究所の千坂朱音ちさかあかね博士は放射性物質除去技術者養成センターにいた。 そのセンターは人工出産施設で生まれたニュータイプを育て、彼らに核関連技術を教える教育施設だ。彼らの組織構造を理解する医者はいないから、健康管理は朱音自身が行っている。


 その日は月に2回のニュータイプの定期検診の日だった。


 ニュータイプは、朱音が人間とクマムシのDNAを合成して生み出した放射線に耐性のあるチサカ細胞を使用して生み出した生命体だ。彼らの外見は人類と同じだが、クマムシのDNAの影響があって成長が早く、顔に個性が少なく表情は乏しい。内臓器官も人類と異なる部分があった。彼らニュータイプの成長と健康を確認するのが定期検診だ。


 もっとも、彼らを育てているのはセンターの職員であるし、ニュータイプは法律の外側にいる存在なので、職員が診察行為を行っても医師法に問われるようなことはないのだが、彼らは、ニュータイプが人間と同じ姿かたちをしているからこそ、ニュータイプの身体に注射針を刺すのに抵抗を感じているようだった。


 その日の定期検診には内閣府の官僚が立ち会うことになり、診察室の空気は若干緊張していた。


「3702号ね。ちょっとチクッとするわよ」


 彼らの容姿容貌は一卵性双生児のように似ているので、朱音にも3701号と3702号の区別ができない。朱音は、目の前に座った全裸の3702号の首に下げた名札に眼をやった。


「はい。大丈夫です」


 3702号は感情のない声で答えると、朱音の背後に立つ白衣の似合わない男性に眼をやった。


 高級スーツに白衣をまとった男性は事務次官の葛原祐介くずはらゆうすけで、新しく総理大臣の椅子に座った大池英樹おおいけひできの命を受けてニュータイプの成長状況を確認に来ていた。


 朱音は採血を済ますと3702号のMRI画像に眼を通しながら「気分はどう?」と尋ねる。写っている器官は人間のものとほぼ同じ。ただ、肉眼では分からないが、脇腹に昆虫のような気門があった。骨がやや太く、腎臓も普通の人間より発達している。


「毎日、勉強と技術研修ばかりで気分が滅入ります」


 3702号は検診のたびに同じことを言った。カルテに記録がある。気分が滅入るからと言って何がしたいということでもない。自分が何をしたいのか、何ができる可能性があるのかさえ、情報不足で分からない。それが原因だろうと自己分析して言った。


「仲間との関係はうまくいっているの?」


「はい。私たちは仲良く暮らしています」


「君は……」


 それまで、黙って様子を見ていた葛原が口を開いた。


「……好きな女はいるのか?」


 3702号はビクンと電気が走ったように首を上げて、大きな瞳を葛原に向けた。


「葛原さん。検診の邪魔をしないという約束です」


 朱音は、葛原の手を引いて検診室から廊下に連れ出す。後ろ手にドアを閉め、高級官僚らしく他人を小ばかにしたような葛原の顔を見上げた。


「彼らは、外部の人間に慣れていないのです。迂闊うかつにものを言わないでほしい。まして性的なことなど」


「身長175センチ。髭が生えていて、あそこにも……。彼はもう大人だ。検診に立ち会い、すでに30人のニュータイプを見てきた。2039年生まれの20人はまだ子供のような体格だったが、2038年生まれの10人は大人だと思ったよ。そして3701号、3702号だ。2037年生まれの2人は、完璧に大人だ。大人なら、異性を意識し、繁殖行動を取るのではないのか。博士、違うか?」


「葛原さん。ニュータイプは研究段階なのです。見た目は大人でも、3702号は生まれて7年目なのですよ。心が身体の成長に追いついていない可能性が高い」


「博士は、彼らが死ぬところまで調査するつもりなのかね。政府は彼らの心に期待してはいない。高放射線下での作業に耐えられるかどうかだ。ここの教師たちに聞いたところでは、機械操作の技術は、もう十分習得できているということではないか。……彼らは、成長同様、人間の倍以上の速さで知識を習得しているそうだ。実にすばらしい結果だ。政府は、そのためにあなたの研究に巨額の予算を回してきた」


 葛原がたたみかけるように政府の意志を並べた。


 朱音は首を振って抵抗する。


「彼らの成長は、私の想定より早いのです。肉体的にも精神的にも。もし、実践投入してから問題が起きたら大変なことになります」


「想定される問題は、何があります?」


 葛原は冷ややかだ。


「解体作業中に、彼らの寿命が尽きる可能性がある」


「結構なことじゃないですか。このプロジェクトは速やかに福島と福井の原子炉にニュータイプを投入することです。寿命が短いのならば、沢山造って回転率を速めればいいことです」


「彼らにも命があるのです。人権だってあるはずです」


「そう。あなたが創った命だ。だがそれは、使


 葛原が腰を折って朱音の瞳を覗き込んだ。


「私のことは、どうでもいいのです」


「ならば、37年生まれの10名。F1に投入しましょう。博士は、現地でデータを取ることができる」


 福島第一原発の廃炉現場にニュータイプを入れようという提案に、一瞬、朱音の気持ちが揺れた。


「……お断りします。最初の計画通り、自然環境下で10年間は彼らの成長を確認したい」


「フン……、交渉決裂ですか」


 鼻を鳴らした葛原が背筋を伸ばし、朱音に背を向けてその場を離れた。


 朱音は診察室に戻り、ニュータイプの検診を続けた。最後の3710号を診察する頃には夕方になっていて、朱音はこった肩と首を自分で揉んだ。


「博士、私が揉みましょうか?」


 所長室のドアから姿を見せた3710号は女性だった。他の女性のニュータイプと同じ声だったが、特別穏やかなものに聞こえた。


「優しいのね。それじゃ、少しお願いしようかしら」


 朱音はニュータイプをあくまでも研究対象としてとらえていて、ものを頼んだことはない。それが、肩もみを頼んだのは、葛原が彼らの心は大人だと主張したからだ。


 3710号は朱音の背後に回り、肩に手を置いた。


 もし、3710号が研究に不満を抱いているなら、逃げるために自分を殺すかもしれない。……想像した朱音は、自分の妄想を笑った。


「博士、何がおかしいのですか?」


 肩を揉みながら3710号が訊いた。


「あぁ、とても気持ちが良くて。……ありがとう」


 筋力が強化されているニュータイプの肩もみは力が強すぎた。しかし、感謝がそう言わせた。


「そうですか。うれしいです」


 3710号の言葉に、朱音は気持ちが暗くなる。彼女が他人の喜びに共感する存在だと実感したからだ。それは普通の人間と同じなのだ。


 廃炉作業に入る前に、生きていることの喜びを感じる何かを、ニュータイプにも経験させてやりたいと思った。

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