第6話 知らず知らずの変化
シャーロットが目を覚ますと、見知らぬ天井が目に入った。簡素で、彼女の感覚からするとみすぼらしい造りだった。
「気が付きましたか」
メリッサの声に顔を横に向ければ、メイドは固く絞った手巾で額を拭いてくれた。ひやりとして心地よい。
「どこよ、ここ」
「村長の家です。奥様が魔力枯渇で倒れてしまったので、急遽運び込みました」
シャーロットは自分が寝かされていた寝台を見た。藁を詰めた箱の上にシーツをかけただけの、質素なベッドである。
「藁の上に寝るなんて……」
言いながら彼女は身を起こした。まだ少しふらつくが、立てないほどではない。
それよりも調子に乗りすぎて人前で倒れるなんて、恥ずかしい。シャーロットはぐっと奥歯を噛み締めた。
「村人たちは、耕すのが捗ったと喜んでいましたよ」
「ふん」
メリッサがいつもの口調で言うので、シャーロットは鼻を鳴らした。自慢のストロベリーブロンドの髪に藁くずがついていたので、顔をしかめて摘み取る。
領主の館に帰ろう、そう思ってふと見ると、ドアの隙間から子供たちが覗いていた。フェイリムとティララの兄妹だ。
「覗くのはやめなさい、無礼ですよ」
シャーロットは胸を張り、なるべく威厳を出すようにして言った。
メリッサがドアを開けて子供たちを部屋に入れてやる。
「貴族の奥様、大丈夫?」
「メリッサお姉さんに、魔法は使いすぎると具合が悪くなるって聞きました。知らなくてごめんなさい」
彼らの瞳には、純粋な心配と反省の色が浮かんでいた。
シャーロットは目をぱちぱちと瞬かせる。
――子供たちの表情は、彼女の知らない種類のものだったので。
王都で暮らしていた頃、風邪を引いて熱を出せば両親も使用人たちも心配をしてくれた。
けれどもそれは、こんな風にただ気遣う心を向けるのではなく「早く良くなってくれないと、面倒だ」と言わんばかりのものだった。
ましてや魔法の使いすぎや不注意で転んだ時など、シャーロット自身の責任で具合を悪くした時は、慰められながらもどこか冷たいものを周囲に感じていた。
だから彼女は戸惑ってしまった。真摯で温かい思いを、つい先ほど知り合ったばかりの子供たちから向けられて。
「別に……どうってことないわ。私、もう帰る」
ぶっきらぼうに言って、シャーロットは立ち上がった。
部屋を出て居間に行くと、村長と一組の男女が立ち上がった。
「奥様、具合はもうよろしいのですか。……あぁ、申し遅れました。こちらはうちのせがれと嫁です」
男女が一礼する。彼らはフェイリムとティララによく似ていた。彼らの親なのだろう。
「まったく、とんだ失礼を」
涼しい春の室内で汗をかきかき、村長が口ごもっている。彼の態度はシャーロットも見慣れた類のもの。つまり、口では心配を装いながら心の中で厄介者扱いしているそれだ。倒れるまで魔法を使った彼女を、面倒だと思っているのだろう。
シャーロットは心が冷えるのを感じた。
冷たい一瞥を大人たちに向けて、家を出る。
雪解け水でぬかるんだ道を一歩、踏み出した。
時刻はそろそろ夕刻。西の空が薄っすらと色づいていた。
「貴族の奥様! 今日は本当にごめんなさい。それから、ありがとう!」
兄のフェイリムが叫んだ。
「魔法、すごかったよ!」
妹のティララも大きな声で言ったが、すぐに両親に口を押さえられた。
シャーロットは振り向かず、黙って首を振った。
歩き始める。先ほど、魔法でずいぶん耕した畑の近くを通ると、残りの場所にクワを振るっていた農民たちが気づいた。
「奥様、平気ですかい?」
「無理をさせて悪かったなあ」
遠巻きに見てくる者も少なくなかったが、中には声をかけてくる者もいた。彼らの多くは素朴な表情で、シャーロットの体調を気遣っていた。
「何でもないわ」
シャーロットはそっけなく言って、歩みを止めなかった。後からメリッサがついていく。
夕暮れに長く伸びる影を踏みながら、彼女は領主の館に戻った。
夕食はまたもや質素な内容だった。シャーロットはとりあえず文句を言ったが、完食した。
魔法を使うと魔力の他に体の力も使うので、腹が減るのだ。
エゼルは一応、起き上がっていた。けれど食事を取ろうともせず、ぼんやりとリビングの椅子に座っていた。
「奥様、湯浴みはなさいますか?」
夕食の片付けを済ませて、メリッサが言う。
「お風呂があるの?」
「浴室はありませんが、たらいに湯を張ります」
「ふーん。じゃあ頼むわね」
メリッサが案内したのはタイル張りの一室だった。古びてはいるが掃除はきちんとされている。
「ここ、浴室じゃないの?」
「洗濯室を兼ねています」
「はぁ? そんなところで体を洗えと?」
シャーロットは抗議するが、実は半ば諦めている。今日は畑の泥で汚れた。なるべく早く身を清めたい。
『優しき水の精霊よ、炎の精霊とともに踊り、その交わりの果実を我が手に注ぎ給え』
メリッサが呪文を唱えた。かざした手のひらからタライに向かって湯気の立つお湯が注がれていく。
「あなた、魔法が使えたのね。平民の魔力持ちは少ないと言っていたのに」
シャーロットの言葉にメリッサは肩をすくめた。
「この辺境で奥様のお世話をするには、魔法が使えないと不便ですから」
「大した世話、してくれないじゃない」
「食事を作って掃除をして、外出の際はついていきます。十分では?」
当然のように言い返されて、シャーロットはとっさに反論できなかった。
「さっさと済ませますよ」
無礼な物言いも何だか慣れてきてしまった。
タライから湯をすくっては体に掛け、少しずつ汗と汚れを落としていく。
王都の広い湯船の浴室に比べれば、何とももどかしくてささやかにすぎる。
けれど温かな湯の感触がひどく心地よくて、シャーロットは知らず、笑みを浮かべていた。
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