13.君を一目見た時から俺は

「節穴とは……? 仰る意味が解りかねますが」

「見て気付けず、言われて悟れぬのならばそれまでだ。お前にセレシア殿を推し量れるほどの力はない」

「(ウェイン様……)」



 セレシアはウェインの横顔をじっと見つめていた。

 思えばはじめからそうだった。それを最初は、『お飾り王女』という忌み名がオルフェウスにまで伝わっていないからなのだと思っていた。



「(ウェイン様は知っていた上で、私を見てくれていたんだ)」



 見たものを、見たままに。『サンノエル第三王女』でも『お飾り王女』でもない、『セレシア・サンノエル』のありのままを。きっと自分でも気づいていないところまで、彼は見つめようとしてくれている。


 私は、この手に縋ってもいいのですか。

 思わず握る力を込めた手は、さらに確かな力強さで握り返された。



「ゼジル・ハーミット。今すぐにこの場を後にすれば、無礼の沙汰は追って伝えよう」



 だが、とウェインの目が獰猛に光る。



とお数えるまでに失せていなければ――国を敵に回すと思え」 

「くっ……」



 獅子の眼に射竦められた狐は、舌打ちを残して尻尾を巻いた。






   *   *   *   *   *






 外の空気を吸いに行かないか。そんなウェインからの提案で、セレシアは大広間の喧騒から抜け出した。衛兵の敬礼に会釈を返し、ウェインに導かれるまま階段を上る。やがて彼は、廊下の中程からバルコニーへの扉を開けた。


 差し出された手を借りて段差に気を付けながら下りれば、仄明るい月白の光に迎えられる。



「綺麗……」



 ここからは城下町の灯りたちがよく見える。まるで星空を映した湖面のようだ。そっと吹き抜けていく夜風の香りは、サンノエルの酒と鉄のそれと比べて、緑の甘みがある。



「先ほどは、すまなかった」



 隣に立ったウェインが、苦々しく睫毛を伏せる。



「夫として、セレシア殿を想う男として。もっと君を庇ってやりたかった」

「いえ。そうである前に、ウェイン様はオルフェウスの王太子であらせられます。あの場を穏便に収めたのは、英断でした。それに、ウェイン様のお気遣いは、ちゃんといただいていますから」



 離してからだいぶ時間が経つというのに、手のひらには、未だ彼の温度が残っている気がする。



「あのゼジルという方と、何かあったのですか?」

「個人間というより、国政の話になる。このオルフェウスが、『魔の霧』の討伐隊からはじまった国だということは存じているだろう」

「はい。だからこそ、家臣同士の繋がりが強固なのだと聞いています……あっ」

「気付いたか。『国の長がオルフェウス家である必要はない』。それが彼らの主張なんだよ」



 それきりウェインは口を閉ざし、遠くを見て夜風に目を細めた。

 ふと、フィーネの言葉が脳裏を過る。


――まあ、あたしがオルフェウス家に生まれた女だから勝手ができるってのもあるが……。


 おそらくウェインたちも、何らかの楔を背負っている。考えてみれば、クローク王子という嫡子が健在とはいえ、ウェインが自ら戦場の最前線に往く必要はない。



「(もしかしてウェイン様も、自分が『獅子王』で在らねばならないと……)」



 けれど。だったら、なおさら。私は――



「……音楽?」



 不意に、階下からの音が漏れ聴こえてきた。



「広間で舞踏会が始まったのだろう。……今宵の月は綺麗だ。セレシア殿、手を」



 彼が差し出してくれた手に、セレシアは立ち惑う。



「でも私、ダンスは苦手で……」

「なら、俺がリードしよう。セレシア殿は流れに身を任せてくれればいい」

「その、ウェイン様」

「うん?」



 セレシアは一度下唇を噛み締め、顔を上げた。

 自分が『お飾り王女』であることが、ウェインの足を引っ張ってしまうことになるのは、耐えられないから。



「ご存じの通り、私は女らしくありません。ですから、もしもお嫌になった時は、いつでも――っ!?」



 泣き言は、彼の唇に塞がれた。しゃくり上げる背中を撫でて鎮めるように、ゆっくりと、深く、包むように沈んでくる。



「――それ以上は、言わないでくれ」

「ウェイン様……」

「あの日。君を一目見た時から俺は、ずっと目を離せずにいるんだ。訓練場でも素知らぬふりをしたが、もっと前から君が来たことに気付いていた」



 一切の淀みがない真っ直ぐな瞳に、セレシアは呼吸をすることを忘れていた。



「噂なんて――いや、噂を知っていた上で。俺はがいいと願ったんだ」

「私も、です」



 獅子王の噂も、瓦版の似顔絵も。実際に彼を目の当たりにした瞬間から、すべて遠く彼方に消し飛んでいた。



「その……足、踏んじゃったらすみません」

「ああ、承知した」



 ウェインが、ゆっくりと初めの一歩プリモ・パッソを踏み出した。


 初めて真剣に向き合ったダンスは、とても不思議な感覚だった。

 彼のステップは、まるで自分が望んで踏み出したみたいに心地よく、自然に体が動く。ターンでスカートが翻っても振り回されることなく、彼の引力に引き寄せられる。手が離れても、飛んで行っても、またぴったりと繋ぎ合わされる。


 重たいスカートも、慣れないヒールも、はじめからなかったかのように。



「(ああそうか、私――)」



 踊りたくなかったんじゃないんだ。踊りたい人が、今やっと、見つかったんだ。


 月明かりの下でウェインと影を重ねながら、セレシアは微笑むのだった。

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