第52話 大聖女の試練
アノン君だけでなく教皇様も転生者だった?
けっこう衝撃的な事実だと思うのだけど、体がダルくて頭がうまく働かない。
「教皇様、まずは聖女フィーネの介抱が先ですよ」
「おっと、そうですね。申し訳ありません」
聖女様が、肝っ玉母さんのような雰囲気で釘を刺す。
それから私の手首を縛っていた手ぬぐいを解いてくれた。
「私の名前はアリシア。大聖女をやってるものだよ」
「大、聖女様?」
大聖女。
この聖公国において教皇様によって選出される聖女の中の聖女……そうアノン君に聞いたことがある。
教皇様によって選出されるため、大聖女様は聖公国にしか存在しない。特別な試練を乗り越える必要があるから、選出されない時期もあるのだとか。
まさにこの大陸で唯一無二の、真の聖女様。
この人がそうなんだ。
「今、綺麗にしてあげるからね~」
大聖女様がふわふわと頭を撫でてくる。
すると一瞬で全身のベトつきが消え、おまけにダルさも治ってしまった。手首のあとも無くなっている。
「すごい……体が軽くなりました」
「ほほほ、浄化と治癒の二重がけよ。これが大聖女パワー」
大聖女様、なんだかイメージと違う。
見ていて心臓がバクバクしてくるくらいの美貌なのに、紫髪のポニーテールを得意げに揺らす姿はまるで――。
「あ、聖女フィーネ、今ババくさいなーとか思ったでしょ?」
「い、いえ、そんなことは思ってないです」
「冗談よ。私のことはアリシアって呼んでね。私も日本人の転生者だからよろしく」
「え……」
だめだ、頭がフリーズしてしまった。
「まあ馬車で話そうか。小屋の前につけてるから」
「は、はい」
「っと、その前に」
アリシア様の温かい胸が、私の頭を包んだ。
「あなたは何も悪くないからね。自分を責めるなんて時間の無駄だから、これでしまいにしなさい」
優しく降りそそぐ言葉に、なぜだか前世の母の温もりを思い出した。
何度目かの手術でもお手上げで、リハビリも上手くいかなかったとき、母さんがこうして抱きしめてくれた。
母さんの顔はもう覚えていないけど、柔らかい感触だけは残っている。
(あったかいな……)
まるで幼子のように、私の体は眠りに落ちていった。
心地よい振動で、まぶたを開ける。
目が覚めるほどに美しい女の人が、微笑みながら私を覗き込んでいた。
「大聖女様!」
「あははっ、おはようフィーネちゃん」
飛び起きると馬車の中だった。
私は今まで、大聖女様の膝枕で爆睡していたらしい。最高の寝心地だったわけだ。
自分の体を確認すると、聖女見習いのローブを身にまとっていた。
「あの、これ大聖女様が着せてくれたのですか?」
「うん、でもごめん。下着や肌着は置いてきちゃった。あのクソガキの魔力がこびり付いてたから」
え、てことは。
今の私……あ、やっぱりローブの下がスース―する。
顔を朱くしていると、大聖女様がくすりと笑った。
「だいぶ元気になったみたいねぇ。あ、私のことはアリシアって呼びなさいっていったでしょう」
「あ、すみません、えっと……ア、アリシア……様」
うう、初対面の人を名前呼びするのって、やっぱり照れる。
アリシア様を見ると、泣きそうな顔で口を「あうあう」の形に動かしている。
と思ったら、馬車が揺れるのもかまわず抱きついてきた。
「わっ、ア、アリシア様!?」
「ああああああ、可愛いわフィーネちゃんっ、娘にほしい~!」
む、娘!?
アリシア様、見た感じマイさんよりも年下っぽいのに。
すると、さっきから微動だにしていなかった教皇様が、「オホン」と咳払いをした。
「あぁ、ごめんねぇ。私前世で娘三人育ててたから、ついね。まあ娘の顔も覚えてないんだけど」
「皆さま、転生者なのですね」
今さらだけど、すごい事実だ。
「そうよ。フィーネちゃんに卑劣なことをしたアノンの野郎も、転生者ね。私と同じで記憶は不完全みたいだけど。前世の名前まで覚えているのって、サトシ君くらいじゃないかしら」
アリシア様が視線を向けると、教皇様はやっとかというようにため息をついた。
「そのサトシ君という呼び方は……まあいいか。あらためて、よろしくお願いします聖女フィーネ。あなたのことを伺っても?」
「あ、はい。答えられることなら」
私も、前世の記憶は曖昧だ。
「まずは私たちのことを話しましょう。私の前世の名前はアリタ・サトシ。日本ではまあ、普通の高校生でした」
まさかの学生さん!?
だから、ちょっとアリシア様の尻に敷かれている感じなのかな。
「こちらの世界に転生し、もう百二十年くらいになりますね。生まれ持った治癒の力で、私はほぼ不老です。そしてもう一つ、私には特別な能力があります」
すごいな。治癒の力を極めると年を取らなくなるんだ。
本当にこの世界はなんでもありだ。
「私は、転生者の全てが視えます。今日あなたを救出できたのも、その力によるものです」
「全て、ですか?」
「はい、全てです。転生者がどこにいて、何をして、何を見聞きしているのかも全て」
人の全部が視えてしまう。
それって。
「聖女フィーネは優しいですね。今あなたが悲しげな顔をしているのが視えます。そう、これはとても辛いことです。もう慣れましたけどね」
何人いるかも分からない転生者たちの悲しみも、辛いことも、全部視えてしまうということだ。私だったら、きっと耐えられない。
「私はこの力のおかげで教皇という地位につくことができました。おかげで今、やりたいことができています」
「やりたい、こと?」
「転生者を、救うことです。今は聖公国の民を救うという使命も持っていますけどね」
さらっと教皇様は言っているけど、今までどれほどの苦難と葛藤があったのだろう。
きっと視えているのに救えなかった人も、たくさんいたに違いない。
「サトシ君にはほんと感謝してるわ。私もね、帝国に攫われて性奴隷になっているところを助けてもらったのよ」
性……奴隷。
口角を吊り上げたエコンドの顔が浮かび、背筋が凍りつく。
あんな人たちの、慰み者に。
「あの、転生者は……この世界にどのくらいいるのでしょうか?」
「今生きてるのは百三人ですね。その大半は帝国にいます」
帝国。
好色王率いる過激派と穏健派に分かれて対立しているのだと、私を攫ったケイジオさんは言っていた。
「多くは好色王によって捕らえられ……利用されています。転生者は特別な力を授かることが多いですからね。そんな彼ら彼女らも、もうすぐ解放されるでしょう」
「サトシ君が頑張ったからねぇ」
「いえ、私は穏健派を陰ながら支援したに過ぎません。それに好色王も転生者です。彼の動きは手に取るように分かるので。ただ彼の力がずば抜けて強大で、だいぶ苦労しましたが」
手に取るように分かる……ということは、アノン君のことも。
「あの、アノンは今」
「チッ」とアリシア様が舌打ちをしてそっぽを向いた。
「私たちの来訪に勘付いたアノンは、そのまま帝都のほうへ飛びました。今は過激派の拠点を潰して回っていますね。おそらくお姉さんの仇討ちでしょう」
「そう、なのですか」
アノン君に対して、どういう感情を持てばいいのか分からない。
でも少なくとも、死なないで欲しい……とは思う。
「安心してください。アノンは転生者の中でも最強クラスです。好色王には及びませんが、それでも死ぬことはないでしょう」
教皇様が目を覆った布越しに、優しい眼差しを送ってくれたのが分かった。
「はぁ……フィーネちゃんさ、サトシ君に聞いてはいたけどちょっと人が良すぎじゃないかしら。こっちでの性格とか性質って前世のトラウマがそうさせたりするんだけど……そろそろフィーネちゃんのことを聞いてもいい?」
「あ、はい。なんでも聞いてください」
私は居ずまいをただして、アリシア様と向かい合った。
「じゃあ名前……は覚えていないわよね。死んだときの年齢とか、どんな生活をしていたかとか教えてもらえるかしら?」
「はい……私は、生まれたときからずっと病気がちで、ほとんどを病院のベッドで過ごして、十三歳のときに死にました」
簡潔に説明してみた。
アリシア様が「え」という形の口のまま固まっている。
と思ったらまた抱きついてきた。馬車がぐらりと揺れる。
「……つらかったんだねぇ」
辛かった、か。
あまり覚えていないけど、そうだったかもしれない。
少なくとも生きることを諦め、でも一方で生きることを渇望していたのは確かだ。
転生してからはその反動で、人よりも生に固執している自覚はある。だから――。
「だから、私はこの世界で生き抜くって決めたんです。私だけじゃなくて、みんなも……みんな、楽しく生を全うしてくれたらって。私の力なら、その手助けができるって思ってるんです」
あらためて決意を語ると、密着していたアリシア様が体を離した。その瞳が慈しむように細くなる。
「そっか、だからその異常な優しさも……。うん、私たちとはこの世界での覚悟が違う。ありがとう、続けてくれる?」
「はい」
私は淡々と、簡潔に、前世で覚えている光景や生まれ変わってから感じたことなんかを語った。
途中からアリシア様は、目頭を押さえて泣いていた。
「ぐすっ、フィーネちゃん……私、なんて言っていいのか。とりあえず私の娘にならない?」
「む、娘ですか!?」
すると教皇様が困ったようなため息をつく。
「アリシアさん、聖女フィーネも困っていますよ。彼女は王国の貴族令嬢なのですから、大聖女であるあなたが関わるとややこしいことになります」
「……分かってるわよ。心の叫びを聞いてほしかっただけ。でもそうね、なら聖公国のまともなイケメン貴族を紹介することもできるわよ。他国に輿入れなんて王国でも珍しくはないでしょう? フィーネちゃんの好みのタイプってどんなのかしら?」
なんとなく、教皇様とアリシア様が空気を軽くしようとしてくれているのが分かった。過去の辛い記憶を呼び起こしてしまったと思っているのか、すごく気を遣ってくれている。
二人とも、本当に優しい人だ。
にしても、タイプか。
考えたこともなかった。前世ではどんな子が好きだったんだっけ。
看護師のお姉さんに憧れのような感情を抱いたことがあるような。
でも今、私は女の子だ。
フィーネが好きになるとしたら……どんな男の子なんだろう。
「……すみません。私、前世は男の子だったので、そういうのに疎くて」
馬車内の空気が、一瞬固まった。
教皇様もアリシア様も、ポカンと口を開けている。
「え、えええっ!? フィーネちゃんが元男の子ですって!? ちょっとサトシ君、転生して性別変わることなんてあるの?」
「い、いえ、私も初めてのケースです。聖女フィーネのことは視ていましたが、てっきり前世も女性とばかり……」
「でもなるほど、この同性でもキュンキュンしてしまう可愛さの正体がつかめてきた気がするわ」
どうしよう。
混乱させてしまった。それになんだか恥ずかしい。
「あの、すみません……前世が男の子じゃ、まずかったですか?」
「うっぐ」
アリシア様が胸に手を当ててうめいた。
そしてまたもや抱きついてくる。馬車がガコンと音を立てて揺れた。
「いいっ、いいから! 息子? いえ今は女の子だから娘……いやもうどっちでもいいわ。フィーネちゃんは私の子! 私が護るわ」
アリシア様がぎゅうぎゅうと胸を押し付けてくる。
恥ずかしいのだが、やっぱりお母さんの温もりでついつい体を預けてしまう。
「ほら、フィーネちゃんも私のここが好きなのよ!」
「アリシアさんは立場上、聖公国から出られませんからね。国の外では彼女を護り切ることはできませんよ」
教皇様が呆れたように言う。
「んなこと分かってるわよ。だから今、試練に向かってるんでしょう」
「試練、ですか?」
ちょっと物騒な言葉に思わず聞き返す。
教皇様が真剣な声色で言った。
「はい。聖女フィーネ、大聖女の試練を受けてみませんか?」
大聖女の、試練。
「フィーネちゃん、急でごめんね。アノンの件とか考えると早いほうがいいと思って。大聖女になるとね、めっちゃすごい女神の加護を得られて、何者にも侵されなくなるの」
何者にも、侵されない。
自分の身を、自分で守り切れるということだろうか。
なら、エラやマイさんに心配をかけなくて済むようになる。
自分の身を気にせず、誰かを助けることができる。
黙り込んでいる私が迷っているように視えたのだろう、教皇様が問いかけてくる。
「聖女フィーネ、決めるのは今でなくても構いませんよ。試練はとても辛いと聞きます。心の準備をしてからでも――」
「受けます。受けさせてください」
私は、教皇様にはっきりと言った。
しばらくして馬車が、どこかの聖域の前で停まる。
降りると、目の前には森が広がっていた。司教貴族の聖域よりも規模は少しだけ小さい。
「聖女フィーネ、ここが試練の入り口です」
「聖域が、ですか?」
教皇様に聞き返す。
「ええ。我々が女神と呼ぶもの、この世界の原初と私は呼んでいますが、そこへのホットラインが聖域なのです」
「そうだったのですか」
「聖女でない私はここから先へは入れません。後はアリシアさんが案内してくれますので、彼女の言うことをよく聞いてください」
「はい、教皇様。ありがとうござます」
「フィーネちゃん、私に任せといて。立派な大聖女にしてみせるから」
私とアリシア様は、聖域の森の中へ歩みだした。
司教貴族の聖域と同じ、静かな森を進む。
空気が澄み、治癒の魔力が充満しているのを感じる。
やがて小さな泉が見えてきた。
その横に、石造りの東屋がある。
「じゃあフィーネちゃん、こっちに着替えてもらえる? いい気分はしないでしょうけど、どうか我慢してね」
手渡されたのは、司教貴族の別邸で着させられた修練服だった。
露出度が高い、純白の服。
上は、二枚の絹布を左右から斜めに折り重なるように着る。下もふんどしのようなスカートで、深いスリットが入っているため太ももの付け根までが見えてしまう。
正直、いい思い出はない。
「上は、下着をつけないんでしたっけ?」
「……ごめん、下もなんだ」
まさかのノーパンだった。
東屋で、アリシア様に手伝ってもらいながら修練服を着る。
「私、ちゃんと目つぶってるからね!」
「あ、ありがとうございます」
(ひえっ、やっぱりスースーする……)
特に下半身は薄布が前後に掛かっているだけなので、風が吹いたら前も後ろも丸見えになりそうだ。
聖域がほとんど無風でよかった。
アリシア様に導かれて、泉のほとりに立つ。
「フィーネちゃん、試練について伝えるからよく聞いてね」
私は、覚悟を決めてコクリと頷く。
「試練で試されるのは、聖女に必要な慈しみの心と、命を尊ぶ心、この二つが試されるの。これからフィーネちゃんが足を踏み入れる世界の原初と呼ばれる場所は、善も悪もない、ただ膨大な魔力だけが渦巻いているんだ。そこで、どれだけ聖女としての資質を保てるかが試される」
緊張する。
背中に冷たい汗が流れるのを感じた。
「何を見るのか、どんな目に遭うのかは人それぞれなんだけど、憎しみや悲しさや、とにかくネガティブな感情を抱くようなことが起きる。フィーネちゃんは、その中でひたすら自分を見失わないようにする。そうすれば加護を得ることができるよ」
必要なことは伝え終えたのだろう。アリシア様の張りつめていた空気がふっと緩んだ。
「まあ、私は試練をクリアするのに十回くらいかかったんだけどね。だから、フィーネちゃんも気長に頑張ろう!」
アリシア様でも、十回。
私に突破できるのだろうか。
「そんな不安そうな顔しないの! 並の聖女じゃ魂に負荷が掛かりすぎて、試練の手前で気絶しちゃうんだから。魂が二重に存在する転生者だからこそ試練を突破できる。それにフィーネちゃんは私より適性があるよ。自信持って」
アリシア様がパンパンと私の背中を叩く。
どの道、試練を受けないという選択肢はない。
腹をくくろう。
「アリシア様……心の準備、できました」
「オーケー。じゃあ私が門を開くから、ポーンと飛び込んじゃおうか」
飛び込む? この泉に?
「ほんとなら門の開き方を教わるのに、教皇様のみっちり訓練が必要なんだけどね。フィーネちゃんはラッキーだよ。さ、行っちゃって」
行く……水の中へ。
恥ずかしながら前世では水に潜った経験がない。
たまに学校へ行ったときも、プールの授業は見学だった。
転生してからも、なぜか川遊びだけは父様に禁止されていたし。
「あ、もしかしてこわい? 私が押してあげようか?」
「いえ、いきます!」
押されて落ちるほうがもっとこわい。
大丈夫。
大丈夫なはず。
いくぞ。
えいっ。
ドボン、と水に飛び込んだ感覚。
次の瞬間、私は吸い込まれるように深い闇の中に落ちていった。
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