第29話


「殿下、話があります」

「りゅ、劉秀か! 何だ、言ってみろ」

「魅音が……」


 劉秀は背後にいる魅音に視線を向けた。彼女は胸を張り、凛と前を見据えている。皓宇や朱亜を見つめているのではなく、まるで未来を見て覚悟を決めているようだった。


「私、後宮に入ります」


 その言葉に皓宇は驚き、劉秀はやれやれと首を振った。幼馴染の突拍子もない提案に呆れているようだ。


「後宮に潜り込んで天龍様の首飾りを探しに行く。もう決めたの」

「そうは言うが、もし皇帝陛下にお手付きされたらどうするんだ? 女官を気に入ることだってあるだろう?」

「仕方ないわ。その時は私を諦めてちょうだい、劉秀」

「万家の者だとバレたらどうするんだ? 捕らえられるだけでは済まないかもしれないんだぞ」

「そこは……アンタが助けに来なさいよ!」


 口喧嘩を始める二人。これは、皓宇にとっても良くない展開だった。隣にいる朱亜の表情がパッと明るくなるのが分かる。朱亜を止めようとしようとしたとき、彼女は勢いよく手を上げる。


「ウチも! ウチも行く! 行こうと思ってたの、後宮!」


 劉秀はぎょっと目を丸めた。朱亜には花街同様向いていない場所だ。


「ねえ、皓宇! どうやったら後宮って入ることができるの?」

「これから女官を選ぶ試験が始まるって聞いたわ。対策しましょう、朱亜」

「はーい!」

「ちょっと待て、朱亜! 魅音も!」


 皓宇は二人を引き留める。魅音は煩わしそうに振り向いた。


「わかっているんだな。後宮は、お前たちが想像している以上に危険な場所かもしれない」


 朱亜と魅音は顔を見合わせる。朱亜にとっては邪王城より危険な場所はない。魅音だって、今まで身分がいつバレるかと冷や冷やする生活ばかり送っていた。二人は自信たっぷりに胸を張る。皓宇はその様子を見て諦めるように首を振り、静を呼んだ。


「何かございましたか、皓宇様」

「どうにかして、この二人を後宮で勤めることができるよう取り計らってほしい」


 静は決意を滾らせる二人の目を見てすべてを察し、小さく頷いた。


 ***


「無理ばっかり言ってごめんね、皓宇」


 その晩、庭に座って月を眺める皓宇に朱亜はそう声をかける。


「いや、分かっているつもりだ。朱亜と私の志は同じだということは」


 しかし、彼は不安そうに顔を伏せる。朱亜はその隣に座った。指先が触れ合いそうになるくらい近い。


「頼むがある、朱亜。後宮で少しでも危険を感じたら、すぐに逃げると。君はいつも無鉄砲だし、自らを省みず誰かの犠牲となろうとすることがある」


 朱亜は小さくなる。確かに、皓宇の言う通り。でも、考えるより先に体が動いてしまう性分だから仕方ない。皓宇と初めて出会ったときもそうだった。でも、それもすべて――自分よりも弱い者を守りたいため。朱亜がもっともっと強かったら、頼りがいがあれば、小鈴たちは進んで囮になってまで朱亜を守ろうとしなかったはずなのだから。


「……そういうところが翠蘭に似ているな」

「そんなことないよ!」


 皓宇の口から飛び出した名前に、朱亜はとっさに反論する。皓宇は突然大きな声を出す朱亜を不思議そうな目で見た。


「いや、だって、あの……直接会ったことのない人に似てるって言われても、ピンとこないというか……」


 違う。言い訳を、心の中ですぐにそう打ち消した。彼が【愛した女性】に似ていると言われると、無性にイライラして気分が悪くなってしまったのだ。


「大丈夫だよ! ウチは強いもん。それに、皓宇との約束だって守ってもらわないと」


 そう笑いかけようとしたとき、皓宇は朱亜の手を取った。彼の表情はいつも以上に堅苦しくて、違う人と顔を見合わせているみたいだと朱亜は思った。月明りに照らされた黄金の髪が輝く。やっぱりとてもキレイだ、翡翠のかんざしよりも、天龍の首飾りよりも。彼の髪が一番キレイ。


 朱亜が彼を見つめていると、皓宇は朱亜の手を両手で包み込んだ。そして、彼女の指の先に唇を近づける。


「は、皓宇!?」


 そっと、唇が触れた。指だけじゃなく、カアッと体が熱くなっていく。振りほどけばいいのに体は言うことを聞いてくれない。こんなことは初めてだった。

 皓宇の小さな声が、朱亜の鼓膜を震わせる。


「どうか、天龍様のご加護が朱亜にありますように」


 大きな手が朱亜の手を包み込んでいる。朱亜はぎゅっと握り返した。


「大丈夫だよ。ウチは、天龍が選んだ救世主なんだから」


 彼女の声音はとても優しい。まるで子どもに物語を聞かせる時のように慈愛に満ち、皓宇の不安を包み込んでくれる。皓宇の吐息が朱亜の指先をくすぐった。稽古の影響で、以前よりも皮膚が硬くなって関節も太くなり、傷も増えた。


「軟膏、いっぱい作っておいていくね」


 できればまだ弱い彼が剣を振るうことはありませんように、と朱亜は心の中で祈った。 

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