第26話


「劉秀も、今一緒に鈴麗宮で暮してるんだよ。皓宇の家。アイツは今皓宇に仕えているの」

「あの皇子に? どうして、王位継承権もないやつのところで……沈家の者だったら、もっと良い出仕先があるのに」

「その沈家が嫌になったんだって」


 万家が滅んだ今、王宮内でもっとも幅を利かせているのは孟一族。沈家の力は弱まり、今では孟秀敏の機嫌取り。兄・泰然からは何度も家に戻るように言われているけれど、彼はそれを頑なに拒否している。


「結婚の話も全部断ってて……それって、今でも魅音のことを大事に思っているからでしょう? 万家の生き残りが花街にいるらしいって知っていたみたいだったし」

「それなら!」


 魅音が声を荒げた。


「それなら、どうして私に会いに来てくれなかったの!?」

「えっと……あわせる顔がなかったって、劉秀も魅音と同じこと言ってた。でも、いつか魅音を請け出して自由にするためにお金を貯めているって……」


 朱亜の言葉を聞き、魅音の全身から力が抜けていく。まるで崩れ落ちるように。朱亜は彼女を支えるように肩に手を添えた。


「魅音が体を売らなかったのも、劉秀に操を立てるためなんじゃない?」


 朱亜に支えられたまま、魅音は頷いた。力はないけれど、強い意志を感じる。朱亜はそれを受け止めた。


「でも、もう遅いわよ。ここの楼主は、私を買うために大金を使ってる。私が一生ここにいても返すことが出来ないくらい。ここを出ていくためには、私は誰かに『買われなきゃ』いけないの」


 その金を飛嵐は用意した。一生涯、誰かに捕らわれたまま過ごすことは決まっているのだ。広い世界にでるためには、この手を血で染めるしかない。でも、孟秀敏や飛嵐に復讐することが出来たとしても、すぐに捕まってしまうだろう。いや、その前に万家の娘であることがバレてしまうかもしれない。どう足掻いても、行きつく先は彼女にとっての地獄しかない。


「最後にひとつ、良いこと教えてあげる」


 もう希望を持つことさえ疲れた。ならば最後に、わずかに残ったそれを朱亜に遺していってもいいかもしれない。魅音は顔を上げる。


「心臓の血で作る薬のこと」

「え? 魅音、知っているの?」

「【血命薬】と記されていたわ。人間の心臓に溜まった血を時間をかけて煮詰めて作るの。でも、あれは万能薬ではない。飲んだ人の寿命をほんのわずかに伸ばすだけ。手間はかかっているけれど、得られる効果はそれだけだからきっと後世に伝わらなかったのね。それに、邪王とは関係はないわ」

「……なんだぁ」


 朱亜があからさまにがっかりする。その素直さが今は面白かった、魅音は小さく笑う。


「でも、よく覚えていたね」

「当たり前よ。私は万家の所蔵物だったもののことを、片時も忘れたことはないわ。全部覚えている」


 いつかすべてを取り戻す日を夢見ていた。天龍の首飾りだけではなく、書物のはしっこも漏らすことのないように。魅音は胸を張る。


「私のことを誰だと思っているの? 万家の総領娘・万 魅音よ」


 魅音は朱亜の手を握り、外に出るように促す。けれど、朱亜はてこでも動こうとしない。魅音が再び大きな声を出そうとしたとき、それ以上に大きな音が外から聞こえてきた。とても騒々しく、馬のいななきも聞こえてくる。


「ちょっとアンタ! ずかずか入ってくるんじゃないよ! 待ちなさい!」


 楼主の叫び、それに遅れて逃げ惑う妓女たちの悲鳴が聞こえてくる。階下から聞こえてくる大きな足音と、引き戸を片っ端から開けていく音は少しずつ朱亜たちのいる部屋にまで迫ってきている。魅音は朱亜の服を握った。その手が震えている。もしかしたら、万家の生き残りがいると聞いてやってきた兵士かもしれない。朱亜はとっさに構える。武器はないけれど、いざとなれば自分が飛び掛かって魅音を逃がさないと。


「――っ!」


 一気に魅音の居室の戸が開かれた。朱亜は弱弱しい魅音を背後に庇い、睨むように顔を上げた。しかしそこにいたのは彼女が見知った男の顔だった。あっけに取られる朱亜。しかし、魅音はまだ気づいていない。……無理もない、この5年のうちに彼は逞しく成長し、あどけない少年の顔から精悍な顔つきの青年へと変わったのだから。


「劉秀?!」


 朱亜がその名を叫ぶ。魅音はハッと顔を上げる。二人の視線が交わり、一瞬だけ静寂が生まれた。しかしすぐに、昇ってくる楼主の叫びによってそれは破られた。


 劉秀は何も言わず、ただ魅音に手を差し出す。朱亜は魅音の背中を押して促すけれど、まだ彼女は迷っているみたいだった。


 父が最期に遺した願いと、自分の本当の気持ち。それが大きく揺れ動いているのが、彼女の瞳を見るだけで分かった。

 魅音はそれらを天秤の皿に乗せる。大きく揺れ動いていた気持ちが凪いでいき、天秤が傾く。


「……劉秀!」


 ほんの僅か、彼女の本心の方が重たかった。魅音はすがるように許嫁の手を取る。劉秀は魅音を軽々と抱きかかえ、窓に向かう。部屋の外には息を切らしている楼主や野次馬としてやってきた妓女たち。こっちから逃げるより、飛び降りてしまった方がずっと早いし、何より面白い!


「……行くぞ、魅音」

「うん!」


 魅音は劉秀の首に腕を回すと、劉秀は窓から勢いよく飛び降りた! 楼主は悲鳴を上げて、妓女たちからは歓声が上がった。無事に地面に着地して馬に乗る二人を見てから、朱亜は振り返る。


「あの……本当にごめんね! お世話になりました!」

「おい! 朱亜まで何しようとしてんだい!」


 朱亜も後から続く。ふわりと羽のように下裳が広がる、鳥になったみたいだ! 受け身を取るように一回転して顔をあげると、そこには馬に乗り、頭巾を被った皓宇がいた。


「お手柄だったな、朱亜」


 皓宇が差し出した手を取り、朱亜も皓宇の後ろに乗る。自分に捕まったのを確認してから、皓宇は掛け声とともに馬を走らせた。


 朱亜は振り返る。もうここに来ることはないだろう――いや、来てもどの面下げてきたんだと追い払われるに違いない。


「明豪のこと、もっと調べたかったなー」


 朱亜はそうこぼした。まだできることがあったのではないか、という後悔が残ってしまった。皓宇はそれを風と一緒に吹き飛ばすように、首を横に振った。


「万家の生き残りを見つけてくれたんだ。それだけで十分さ!」

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