第21話


「な、な、なに!? みんなでどうしたの?」

「朱亜がちゃんとやってるか心配になってぇ」


 あまったるい猫撫で声。朱亜を心配しているように見せかけているが、目的は違うはずだ。朱亜が問い詰めると、妓女たちはすぐに本音を吐く。


「随分と上客らしいじゃない! 楼主様から聞いたわよ」

「半人前の朱亜が独り占めするなんてもったいない! 私たちにだっておこぼれがあってもいいはずよ!」


 そう言って、妓女たち数名が一気に朱亜の座敷になだれ込んでくる。媚びを売ってお金を引き出そうとしているのか、皓宇はあっという間に妖艶な妓女たちに挟まれた。


「あんな小娘より、私を選びません?」

「私、舞はこの妓楼で二番目に上手いんですよ」

「床上手ですわよ、私は」


 あの手この手で皓宇を誘惑している。彼は困惑しきって、体が固まってしまっていた。朱亜はそれを見て何だがイライラし始める。皓宇にべったりとくっつく妓女たちも、彼女たちを受け入れるように動じない皓宇にも。朱亜が諫めようとしたとき、慌てた楼主がやってきた。


「アンタたち、何してんだい!」

「だって楼主様。上客を朱亜だけが持っていくなんて」

「ずるいわよ!」

「いいんだよ、今日は朱亜だけで!」


 妓女たちを引っ張り出していく。


「朱亜に男を経験させるために、ちょうどいいだろう?」

「え?」


 朱亜は驚きの声を上げる。楼主は彼女の背中を強く叩いた。


「いいかい、くれぐれも粗相のないように。アンタの水揚げなんだからね」

「あの、楼主さん!?」


 妓女たちがクスクスと揶揄うように笑っている。朱亜の顔も熱い、赤くなっているに違いない。楼主は「私たちは邪魔だから」と出て行ってしまい……再び、朱亜は皓宇と二人きりになった。そう、男と女。二人きりに。水揚げとは、妓女が初めて客と肉体関係を結ぶことをさす。楼主は……朱亜と皓宇が【そうなる】ことを期待しているみたいだった。

 

「は、皓宇! 今の、気にしなくてもいいから!」


 慌てながら朱亜は振り返った。しかし、その先にある光景に驚き、目をギョッと丸めた。


「は、皓宇? 大丈夫?」


 頭巾を取った皓宇の顔が真っ赤になっていて、額や首筋には汗が伝っている。何か悪い病気だろうか、と朱亜が焦っていると、皓宇は絞るように声を出した。


「なにか、飲み物を……」

「わかった!」


 ちょうど良かった、この座敷には酒が来たばかり。皓宇の杯にそれを注ぐと、彼は一気に飲み干した。それを二度繰り返す。


「すまない……少し暑かったようだ」


 頭巾を被った上で、数人の妓女から体を密着されたら……まるで体が蒸されたように熱くなった。皓宇はようやっと落ち着いたのか、ほっと息を吐く。朱亜は脱ぎ捨てられた頭巾を見る。


「どうしてそんなものを被っているの? 初めて会った時だって、城下町に入ったときにすぐ被っていたでしょう?」

「どうしてって、当たり前だろう? このまま歩けば、私が皇子であることがすぐにばれてしまう」


 皓宇の人相はそんなに有名だったのか、と朱亜は驚く。皓宇は朱亜が勘違いしていることにすぐに気づいて、それを打ち消した。


「髪の色だよ。天龍国でこんな髪色をしているのは、母亡きあと私一人だけ。異形のような髪の毛だと国内で広く知れ渡っているんだ」

「なるほど。皓宇の髪の色は、お母さん似なんだ」


 皓宇は頷く。自然と母のことを思い出していた。


「母は今から20年ほど前に遠い西の国から来た、楽団の一員だった。天龍国に興行に来て評判となり、先帝の前で披露する機会があったんだ。その時、先帝が母を見初めたと聞いている」


 その日暮らしの楽団で生きるより、見知らぬ国の皇帝の側室となった方が衣食住の心配をすることもないだろう。楽団の仲間にもそう言われ、皓宇の母は後宮に入り先帝の側室となった。皇帝の寵愛を一身に受け続けた結果、すぐに皓宇を身籠る。


「後宮に入ったときに、名もこちらの国に合わせて鈴麗と名乗るようになったそうだ」

「鈴麗宮の『鈴麗』って、皓宇のお母さんの名前だったんだ」

「あぁ」


 世界を旅し続けた鈴麗にとって、狭い後宮は過ごしにくい場所だった。皇帝から最も愛されているという嫉妬、側室になりすぐ男の御子を生んだことへのやっかみ、そして周りと違う見目への揶揄。色白の肌や透き通った空のような目、そして金色の髪。この国では【異形】であると罵られた。彼女は何度も元にいた楽団に戻りたいと皇帝に懇願したそうだけど、皇帝は愛しい鈴麗を手放そうとはせず、彼女の望みは叶わなかった。けれど哀れだと思った皇帝が後宮の外に鈴麗のための居を設けることにした。それが今の鈴麗宮。皇帝は夜が来るたびにそこにこっそりと通っていたらしい。


「世間と離れたそこで生活をしていたけれど、先帝が崩御して数年経った後に、な」


 皓宇に遺されたのは、あの宮と皇子という地位。そして、この髪だけ。


「今でも異邦人の子だの異形だの言われることはあるが、もう慣れたよ」


 母と、父であった先帝、そして当時太子だった兄・颯龍はこの金色の髪も可愛がってくれた。それは身内だからだ。ひとたび外に出たら目立って仕方ない。皓宇はそれを隠す日々を送るようになっていた。

 

「皇族の人間が大っぴらに外を出歩くわけにはいけないだろう? だから、少しでも正体を隠すためにこれを被るようにしているっていうわけだ」

「こんなにキレイなのに、隠すなんてもったいないね」


 皓宇はハッと息を飲んだ。目が潤みそうになるのを堪える。朱亜が放つまっすぐな言葉が彼の胸を射抜いた。


「まるで宝物みたい。金糸っていうの? 私、あまり見たことないけれど……とにかく、それ以上にキレイだよ、皓宇の髪は! 初めて見た時からキレイだって思ってたもん!」


 皓宇は顔を伏せ、黙ってしまう。自分の言葉はちゃんと伝わっているだろうか、と朱亜は不安になった。その顔を覗き込む。


「皓宇? 大丈夫? 顔、真っ赤だけど」

「いや……大丈夫だ、気にしないでくれ」


 嬉しくても胸が痛むのだ、と皓宇は初めて知った。鼓動が早くなっていき――頭がグルグルと回っていく。


「皓宇!?」


 そのまま皓宇はバタンッと倒れてしまった! 朱亜が皓宇の体を揺すって無事を確かめようとするけれど、気持ち悪くなっていく。


「朱亜、頼む……酒以外の飲み物を……」

「え? もしかしてお酒に酔ったの?」


 慌てて水を用意して、横になって動けなくなっている皓宇の口元に少しずつ注ぐ。喉が動くのを見てから、さらにもう少しだけ。


「大丈夫? もう休んだ方がいいよ」


 きっと疲れているに違いない。例の事件の調査だけでも忙しいのに、花街にまで来ていたら体ももたない。床に寝かせようと続き間の引き戸を開けた時、一気に甘い香りが広がってきた。様々な花を摘んできてそのまま散らしたみたいな、新鮮な香り。どうやら香が焚かれていたみたいで、それはむわっと朱亜と皓宇を包み込む。少しでも二人の雰囲気が良くなるように、ということだろうか。いらないお節介だ、と朱亜は皓宇を引きずりながら思う。


 何とか皓宇を床に寝かせた。彼はもうぐっすりと眠りについているのか、先ほどと違って呼吸が穏やかになっている。良かった、と朱亜が胸を撫でおろした時、皓宇はバッと目を見開いた。


「ひぃ! 何? どうかしたの?」


 驚きのあまり変な悲鳴が上がる。朱亜がそう皓宇に問うと、彼はのんびりとした口調でこう返した。


「……とてもよく似合っているよ、その恰好」

「え?」

「お前の時代も、そのような服が自由に着ることのできる世になるといいな」


 そう言って、皓宇は再び眠りだした。朱亜は自分の服装を見る。どこかで見覚えのある、この時代ならどこにでもありそうな服。小鈴が見たらとても喜ぶに違いない、と朱亜は想像していた。こんな動きにくくてかわいらしい格好、自分は似合うわけないと思っていたけれど、皓宇に褒められると悪い気がしない。かんざしを抜き、枕元に置く。結われていた髪も解けて、付け毛で長くなった髪がすとんと落ちてくる。


 自分ももう寝よう。そう思ったのに……体が動かない。ここで眠るということは、皓宇と同じ床で眠るということ。それを考えたら、体中がムズムズしてくる。朱亜は布団からはみ出している皓宇の手を見た。


「……手、豆だらけになってる」


 皓宇の手は少し見ないうちにすっかり豆だらけになっていた。朱亜がいなくなってからも剣の稽古をしているのだろう。朱亜はその手にそっと触れ比較すると、自分の手が小さく細く見える。皓宇の手は朱亜よりも大きくて、指も長くて、骨ばっている。男の人の手って、こういう感じなんだと思うとムズムズがさらにひどくなっていった。


「……寝よう」


 皓宇の隣で横になる朱亜。けれど、彼のことを意識してしまってなかなか眠りにつくことが出来なかった。変だなぁ? 男の子と一緒に寝るのは、旅をしている間に天佑と洋で慣れているはずなのに。隣にいるのが皓宇というだけで落ち着かない。


 朱亜は枕元に置いたかんざしに手を伸ばす。傷ひとつない翡翠は、きっと高価なものに違いない。月明りをまばゆく反射する。


「いいなぁ、翠蘭さんは」


 こんな素敵な物を贈ってもらえて。皓宇に大切に想われていた女性を想像する。きっと自分なんかとは比べ物にならないくらい品が良くて、教養もあって、美しい人だったに違いない。孟秀敏に野蛮人呼ばわりされる朱亜では、到底かないっこないだろう。


「いいなぁ……」


 もう一度、小さく呟く。かんざしをもらえたことは嬉しいのに、なんだか彼女のことが羨ましくて仕方がなかった。


 ***


「楼主様、何かしら?」


 朱亜が皓宇と共に床についたころ、魅蘭は楼主に呼ばれていた。


「お説教なら聞かないけれど」


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