10.覚悟の決まった女たち


 メリアはズタズタに千切れた白衣とダサい服の残骸をなんの感情も無さそうな顔で払い落した。

 それが俺には少しショックだった。


「あなた、それどういう事なの!?」


 シエルが叫ぶ。


「ふふっ……。ノース様が作ったものを体内に取り入れること。それが私の喜びであり生きる意味なの」


「答えになってない――うわっ!」


 メリアの鋭い爪が振り下ろされ、シエルは飛び退いて回避した。爪は路面をえぐり取り、石畳の下の土をも露出させる。


「あっぶな……! いきなりなにすんのよ!」


「仲間にならないなら殺していいって言われたから。だから、殺すの」


「頭おかしいんじゃないの……!?」


 まずい。

 このままではシエルは殺されるか良くて重傷だ。助けに入らないと。

 ……でも。メリアにニトロをぶつけるなんて、俺に出来るのか……?

 黒コートのアイツが相手だったら、ためらう気持ちはありつつもやるしかないと腹をくくっていた。

 でもメリアと戦う事になるなんて想定外もいいところだ。

 どんなに意味の分からん趣味を持っていたとしても、あいつは俺の部下である事に変わりはない。

 

「ウラァ!!」


 メリアは俺が思い切れずにいる間も、本当に別人みたいな声を上げて爪を振るい続ける。

 速い。パワーもある。魔物化は成功している――全然嬉しくないな!

 

 回避が間に合わずシエルの右頬から肩にかけて爪が掠った。血が噴き出す。

 急いで距離を取ろうと後ろに跳ぶがそれは悪手だった。壁際に追い詰められる形となったシエルに、メリアは間髪入れず追撃を仕掛ける。


 ――クソっ!

 

 やるしか、ない!


「メリア!!」


 建物の陰から飛び出して大声を張り上げた。

 シエルに襲い掛かろうとしていたメリアの動きがぴたりと止まる。


「ノース……さま?」


 こちらを見た。いつものメリアだ、と思った。

 外見だけでなく性格まで魔物化してもなお、純朴そうな女の子の表情は失われていない。

 

「どうしてノース様がここに……?」


「用があったんだ。シエルを連れて行こうとする奴らに。……まさかお前がその仲間だったなんて……思わなかったけど」


 するとメリアは少し悲しそうな顔をした後、徐々に怒りの色を滲ませていく。

 

「何年も一緒にいた私に目もくれなかったノース様が、どうしてこんなポッと出の小娘を気にかけてるの……? 治療薬を作ってもらえただけじゃなく、身の心配までしてもらえるなんて……。どうして? ねぇどうしてなの!?」


 なぜか俺じゃなくてシエルの首を引っ掴み、八つ当たり気味に揺さぶりながら一方的な質問を浴びせる。


「やめ――」


 止めに入ろうとした時、頭上から男の声が響いた。


「おっと! こんなところにいたのか、ノース・グライドさんよ」


 スト、と音もなく着地したそいつは俺とメリア達の間に立ち塞がる。

 出た。黒コートの猿顔。

 なぜこんな時に……!


「焼け跡で途方に暮れているかと思ったらいないんだもんなぁ。……探したぜ。あの小娘にずいぶんご執心みたいだな。部下が嫉妬してるぞ?」


 ポーションを使ったのか俺が斬り付けた時の傷はすっかり消えているようだ。

 

「どけ!」


 色々言いたい事はあるが、今はお前の相手をしている場合じゃないんだ。

 

「まぁ、落ち着きなよ。取って喰おうって訳じゃない。……メリア。ちょっとこの学者さんと話をするから、シエルにとどめを刺すのは待っててくれ。全てはコイツの返答次第だ」


「……分かりました」


 ゲホッ、ゲホッと咳き込むシエルの声が聞こえる。

 

「さて、ノース・グライド。分かるか? あの小娘の命はお前が握ってるって事。」


 猿顔は体をずらし、背後の光景を俺に見せてくる。

 メリアがシエルを背後から拘束し、爪を首筋に食い込ませているところを。

 下手に動けない……。そう判断した俺はひとまず話を聞きながら隙を窺う事にした。


「分かったよ。……で、何の話をするんだ?」


 猿顔は満足げな表情を浮かべ、こちらに一歩踏み出した。

 

「アンタの力を貸してくれって話だよ。メリアの変化を見て俺は確信したね! アンタがいれば帝国は世界を制することができる! 特殊部隊候補者リストで特Aクラスなだけの事はあるってな!」


「勧誘者リスト? 特Aクラス?」


 初めて聞く単語だ。

 

「世界各地に散らばる俺達特殊部隊がかき集めた有望な人材リストだよ。味方にいれば最高なんだが敵に回すと厄介そうな人材リスト。ノース・グライドは特A、シエルはBってとこだな。このリストに載った者は味方に引き込むか始末するかのどちらかになる」


 なんつー迷惑なリストだ。

 そんなもんがあったなんて知らなかった。

 

「勝手に人の周辺を嗅ぎ回ってんじゃねーよ。……でも、なぜシエルなんだ? こう言っちゃなんだけど強い奴だったらもっと他にいるだろ」


 ゲームでそういう役回りだったから、と言ってしまえばそれまでなんだが、一応帝国なりの理由があるはずだ。

 リリアさんでもソフィでもなく、シエルである必要がどこかに。


「さぁな。全ては皇帝が決めた事だ。おおかたシエルの特殊技能にでも目を付けたんだろう。ま、優先順位は低いがな」

 

「お前な……」


 シエルの人生を滅茶苦茶にしようとしているのにそのどうでも良さそうな言い方はなんだ。せめてリスペクトを持てよ。

 そう言いたかったが、こいつと話をしている時間は無駄だなと思った俺はメリアに訴えかけることにした。

 

「メリア」


「はい、ノース様」


「お前はどうして……こんな奴に着いて行く事に決めたんだ? お前も俺と同じようにリスト入りしてて、それで弱みでも握られていたのか?」


 俺の質問をメリアは首を振って否定した。

 

「いいえ、ノース様。私はそのリストには入っていなかったようですよ。その男と出会ったのはたまたまです。職員がみんな帰宅した後も研究所に残っていた私はノース様を訪ねて来たその男と意気投合し、私にも協力してもらう事と引き換えに力を貸すと決めました。研究所に火を放ったのはその一環です」

 

「火を……? じゃあ、お前が研究所に火を着けたのか……?」


 猿顔が口を挟んでくる。

 

「必要だったんだとさ。退路を断つために」


「退路……? 誰の?」


 お前のか? それとも俺のか?


 ……いや、それはもういい。それより、メリア。

 俺が猿顔の勧誘を受けなかったから……だからこんな事になってしまったのか? まるで俺の代わりみたいに体を魔物化して、研究所を燃やして。


 お前がそんな風になってしまったのは、俺のせいなのか?

 俺もシエルも、元のシナリオからは逃れられないんだろうか。

 

 言葉にし難い感情が渦巻く中、じっとメリアを見ていると彼女は嬉しそうな笑みを浮かべた。


「ノース様、やっと私を見てくれましたね……。私、ずっと待ってたんです。その目が、私を捉える時を」


「やめてくれよ……。そんな事をしなくたって、俺達はずっと一緒にやってきたじゃないか」


「いいえ。確かに業務の中では私を見てくれる事もありました。でも、私が求めているものはそれじゃない。私への感情がこもった目じゃないと……もう、満足できなかったんです」


「……歪んでんなぁ」


 猿顔がそう呟いた。

 お前が言うな。


「で、どうする? 学者さん。お前さんが俺達の味方に付くって言うのならシエルを解放してやっても良いぞ。シエルもリスト入りはしているが、所詮Bランクだしな。しばらく泳がせるくらいなら問題ないだろう。どうするんだ?」


 お断りだ。


 ……と言いたいが、この状況。

 メリアからシエルを助け出すのは難しそうだ。会話を続けたところで隙なんか見せてくれそうにない。今もシエルの細い首に爪が食い込み、血が流れ出している。

 俺が頷けば済む話か……。

 こいつらに手を貸すのは気が進まないなんてもんじゃないが――ひとまずシエルを逃がせるのなら。

 頷くしかないのかもしれない。


「仕方ない。分かっ――」


 グチャッ。


 音がした。

 何の音だ。

 

 その疑問はすぐに氷解した。

 メリアの腹に……ナイフが刺さっている。

 囚われのシエルが後ろ手に攻撃を仕掛けたのだ。


 ぽた、ぽた、と黒い血が滴り落ちる。

 腹に刺さったナイフを呆然と見ていたメリアは、ふと我に返ったように「ああぁーっ!?」と叫んでシエルを払い飛ばした。

 壁にしたたかに体を打ち付けられ、軽くはないダメージを負いながらもシエルは立ち上がる。


「私のために……ノース様に何かを強制するなんて。他の誰が許しても、私が許さない」


 ゲホ、と咳き込みながら強い眼差しでメリアを睨み付けるシエル。ナイフはメリアの腹に刺さったままだ。もう武器はない。

 一度だけの攻撃だったはずだ。なのに、立ち上がってそんな言葉を口にできるなんて……。俺はシエルに対して尊敬の念を抱いた。

 メリアは意味をなさない声で叫びながらシエルに爪攻撃を仕掛ける。


「殺す!!」

 

「あーあ……。せっかく今は見逃してやろうって事でまとまりかけてたのに、自分から死にに行くなんて。バカな女だ」


 猿顔が気を取られている隙に俺は懐からニトロを閉じ込めた月華を取り出した。

 そして生まれて初めて、人を守るために魔法の言葉を口にようと思い至る。


「シエル!」


「はい」


 鋭い爪を目前にして、穏やかな笑みでこちらに顔を向けたシエル。

 血だらけの顔が美しいと、心から感じた。

 

「月華」


 シエルの体を淡い光が包み込む。

 彼女は微笑んだ顔のまま、流れる血も呼吸も瞬きも、全ての動きが光の中で停止した。

 

 

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