第3話、同じ屋根の下①

 ユキと一緒に帰る通学路は、朝見た時よりもずっと輝いて見えた。


 咲き誇る桜の並木道も、何処までも広がる青空も、立ち並ぶただの民家でさえ今の俺には世界中のどの景色よりも美しい絶景に思えていた。


 秋也に事情をスマホで伝えた後、俺は今ユキと二人でマンションに向かって歩いている。


 ユキと小学校の頃に何度も一緒に帰っていたのを思い出して、それが嬉しくて俺の頬はずっと緩みっぱなしだった。


「なあユキ。帰りは送るから、もし良かったら俺の住んでるマンションに遊びにこないか? 今日、母さんが入学祝いにご馳走を振る舞ってくれるって言ってて」


「わたしも晴くんの所に遊びに行きたいです。晴くんのお母様にも会いたいし、晴くんともっといっぱいお喋りしたいから……」


「よしよし、そうと決まれば今日は俺の家でパーティーだな。うちの母さんの料理は美味しいぞ」


「えへへ。すっごく楽しみです、晴くんのお父様ともお話出来るかな……」


「父さんは仕事あるからどうかなーって言ってた。ともかくまあ行ってからのお楽しみってやつだな」


「はい。ふふ、晴くんのお家に早く行きたいなぁ」


 そう言ってユキは俺の腕にぎゅっと抱きついてくる。


 柔らかくて大きな胸が腕に当たってふにゅりと形を変えているのが分かって、心臓がバクバクと音を立ててしまう。


 小学生の頃もユキは俺にくっつくのが大好きで、よくこうして腕を絡めてきたものだ。恥ずかしがり屋なので周りに誰もいない時限定だが、俺と二人きりになるといつも素直に甘えてくれる。


 夕焼けに染まった帰り道に人気はなく、ユキは穏やかな笑顔で俺に甘えていた。


 俺もそんなふうに甘えてくるユキが可愛くて、いつもされるがままになっていた。高校生になってもユキは相変わらず甘えんぼうだ。


 こうして女の子らしい柔らかな身体を押し付けられるのはすごくドキドキするけれど、ユキの甘える姿はやっぱり可愛いと思う。


 それに性格の方は昔から全然変わっていないんだなと実感した。


 ユキは昔からあまり口数が多い方ではなかったが、表情や仕草で豊かに感情表現してくれる子だ。


 特に考えている事がすぐ顔に出ると言った感じで、顔に包帯の巻いていた時でもユキの表情は分かりやすかった。


 今は包帯の下にあった彼女の素顔をこうして見れるから、それはなおさらに分かりやすい。


 今もにこにこと笑顔を浮かべながら俺を見つめているのだが、その頬に朱色が差している事に気付いた。


 きっと恥ずかしいと甘えたいのが混ざっているんだと思う。それでも甘えたい方が勝っているようで、ユキはまるで猫のように頭をぐりぐりと押し付けていた。


 幸いにもさっきから人通りが全くなくて俺達以外に誰もいないので、このままユキに甘えてもらいながらマンションへ帰る事にしよう。俺もこうしてユキから久しぶりに甘えてもらえて本当に嬉しいのだ。

 

 俺はユキの優しい温もりを感じながら通学路を進む。


 やがて大きなマンションが見えてきた。


 エントランスの前で立ち止まり、二人で一緒に建物の外観を眺める。


「ここが俺の住んでるマンションだよ。やたら大きい2LDKのマンションなんだけど、父さんと母さんがここにしなさいって。セキュリティとかもしっかりしてて、オートロック付きで防犯面も万全らしい」


 この辺りだとかなり良い部類に入る方だと思う。親元を離れて暮らす以上、防犯面は万全にしなさいと両親に言われたのだ。


 それに外観も綺麗だが内装も中々のもので住心地はばっちり。


 たださっきも言ったように学生が一人で住むには広すぎる気がするが、大は小を兼ねると説得されてこの部屋を借りる事にしたのだ。


「ユキの住むマンションも近くにあったらいいな。そうしたら一緒に登下校出来るし」

「わあ、したいです。小学生の時みたいに。す、すぐ近くにいるので、これからは毎日一緒に通えます……」


「ああ、そうしよう。ユキが構わないなら毎朝迎えに行くからさ」

「はいっ。約束ですよ……?」


 ユキはそう言って小指を差し出す。


 小学生の頃によく二人で指切りしていた事を思い出して、俺も自分の小指を出してユキの小指と絡ませた。


 細くて可愛らしいユキの小指にきゅっと力が入る。ユキはとても嬉しそうな顔をして俺を見つめていた。


 こうしているだけでも小学生の頃に戻った気がして、俺も頬を緩ませずにはいられなかった。


 それからエントランスに入り、二人でエレベーターに乗り込んだ。


 俺が住んでいるのは5階の角部屋。そこへ向かって二人で歩いていく。


「よし、それじゃあ上がって」

「お邪魔しますね、晴くん」


 カードキーを取り出してドアを開けると、ユキはぺこりと頭を下げて玄関に入っていく。


 俺もその後に続いて家に入った。


 玄関には母さんの靴があってキッチンの方からは良い匂いが漂ってくる。ご馳走の準備を今もしてくれているんだろう。


「ただいまー」


 俺は声を上げながら靴を脱ぐ。

 ユキも小さな可愛らしいローファーを脱いで俺の後をついてきた。


 キッチンに入ると母さんの姿があって、そこでようやく俺が帰ってきた事に気が付いたらしかった。料理を進めながら俺達の方へと振り向く。


「あら、晴。おかえりなさい」

「ただいま! 母さん、聞いてくれよ! 小学生の時に仲良くしていたユキが――」


「――ユキちゃんもおかえりなさい。帰ってくるの待ってたわよ」

「お、お世話になっています、晴くんのお母様。今日は本当にありがとうございます」


「良いのよ、ユキちゃん家にはすごくお世話になったから。晴にはもう話したのね」

「はい。入学式が終わった後、日本に帰ってきた事をお話させてもらいました」


「良かったわあ。また晴とユキちゃんがあの頃みたいに仲良く出来るなんて、私も嬉しくって今日はもう張り切っちゃってるの! 腕によりをかけてご馳走を作るわね!」


 仲睦まじく話すユキと母さん。

 ここにユキがいる事を全く驚いていない様子で、むしろ初めから知っていたような反応に俺は首を傾げる。


「母さん、これってどういう……」

「びっくりしたでしょー? あんたを驚かせようと思って今日まで黙っていたの。実は私とパパはね、ユキちゃんが日本に帰ってきた事を知ってたのよ」


「え?」

「海外に行った後もユキちゃん家とは連絡を取り合っていたから。ユキちゃんの治療が上手く行った事も聞いてたし、日本に戻る話も事前に教えてもらっていたの」


「……知らなかったのは俺だけって事か?」

「まあそうなるわね。あんたを驚かせたくってユキちゃん家と相談して決めたのよ」


「そうだったのか、ユキ?」

「ご、ごめんなさい、黙っていて。でもわたしも……晴くんと会って話す事を考えると緊張してしまって……そ、それで入学式の日に勇気を出そうって、晴くんにお話しようって決めていたんです」


 頬を赤く染めながら、もじもじと答えるユキ。


 昔から臆病で人見知りをする性格だった。


 いくら仲が良かった俺との再会だったとしても――いや仲が良いからこそ、数年ぶりの再会というのは緊張してしまうものだ。


 きっと俺と再会するまでは不安でいっぱいだっただろう。何を話せば良いのか、どんな顔をしたらいいのか、あの瞬間までずっと悩んでいたに違いない。


 それでもユキは頑張って勇気を出して俺のところまで来てくれた。そんな彼女の気持ちを考えれば俺だって胸が熱くなる。


 俺はぽんっとユキの頭に手を乗せると、優しく撫でながら口を開いた。


「謝る事ないよ。俺だって緊張したし、ユキの気持ちが分かるから。それにユキはちゃんと勇気を振り絞って会いに来てくれた。ありがとな、ユキ。すごく嬉しいよ」

「えへへ……わたしもです。それに晴くんに褒められて、頭をなでなでしてもらって、嬉しいです……」


 ふにゃりと頬を緩ませて微笑むユキ。


 本当に可愛い子だなあと思いながら、俺は彼女の銀色の髪を指先でさらりと流していく。


 くすぐったそうに目を細めながらも、されるがままになっているユキが愛おしくて仕方がない。


 ――と、そんな俺とユキの様子を母さんがニヤニヤと眺めている事に気付いて、俺は慌ててユキの頭から手を離した。ユキもハッとして頬を染めながら俯いている。


 母さんのニヤニヤ顔が加速して何とも言えない空気が漂っていた。その空気に耐えられなくなった俺はこほんと咳払いをして話題を変える事にする。


「そ、それより。母さんと父さんもユキが帰ってきた事を知ってたなんて。そっちの方は大問題だな。だって俺がユキに会えるか不安になってたの、二人共も知ってたわけだし」

「だってもう一つサプライズがあるんだもの。晴のびっくりする顔、見てみたいじゃない?」


「えぇ……これ以上驚く事があるのかよ。だから母さん、やけに楽しそうなんだな」

「そりゃそうよ。じゃあ早速教えてあげるわ。晴、あんたが使っている部屋の隣、見てみなさい」


「俺の部屋の隣?」


 母さんが来るという事で、自分の部屋の掃除だけはしておいたけど、隣の部屋は手つかずで引っ越した際の荷物が並ぶ物置状態だったはずだ。


 今日の朝、学校に行くまでは間違いなくそうだった。


 俺は母さんに言われた通り、隣の部屋の扉に手をかける。


 そしてその部屋の中を見て固まった。夢を見続けている気がする、頬をつねってもらいたい気持ちとはこういうものなのだろうか。いや――出来れば起こさないで欲しい、これが夢だというのならこの夢を見続けたいと思った。


 俺の目の前に広がる光景。物置だった部屋が気付かぬ内に片付けられて、可愛らしい女の子の部屋に生まれ変わっているのを見た。ベッドもタンスも机もその他諸々、今日の朝には絶対になかったものだ。


「もしかして……ユキが住む所って?」

「は、はい……えと、実は晴くんの隣の部屋、なんです」


 照れながらも嬉しそうに、ユキは顔を真っ赤にしながら答えた。


 俺は開いた口が塞がらなかった。


 ユキも高校生活をスタートするにあたって、マンションで暮らす事になると話をしていた。住んでいる場所がすぐ近くだから、毎朝一緒に登校しようと約束もしている。


 それは分かっていたけれど、まさかユキが俺と同じ屋根の下、同じマンションの一室で、隣合わせの部屋で暮らす事になっていたなんて――想像出来るわけがなかった。


「母さんが入学式に来なかった理由って……これなのか?」


「正解よ、晴。実はね、ユキちゃん家と私とパパで、午前中の内に荷物を運んでね、大急ぎでお部屋をレイアウトしたのよ。あんたを驚かせる為にね。お仕事があるからユキちゃん家もパパも先に帰っちゃったけど、つまりはそういうことね」


「まじかよ……」


「まじよ、まじ。あんたとユキちゃんが同じ高校に進学する事が決まった時にね、ユキちゃん家とお話したの。あんたとユキちゃんが、離れ離れになっていた時間を取り戻せるように、あの頃みたいに仲良くなれればって」


「だからこんな立派なマンションを借りてたのか? 部屋が二部屋あってリビングもキッチンも大きくて、風呂もトイレも別で、一人暮らしをするには大きすぎると思ってたんだ」


「そういう事。マンション代も半分ずつ出すから安く済むし、それなら下手なアパートを借りるよりよっぽど良いと思って。それにね、高校も同じなら勉強だって見てもらえるわ。小学生の頃もそうだったけど、ユキちゃんってとっても頭が良いのよ」


 そんな話が裏で進んでいるとは思わなかった。


 俺とユキの視線が交差する。


 ユキはぺこりと頭を下げてから、俺に優しく微笑んでくれた。


「これから三年間。いっぱい仲良くしてください、晴くん」


 親公認のユキとの同棲生活が始まっていた。

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