隣にいるのは

@TOS1789

第1話 プロローグ ピエロは月夜にダンスする その1

龍崎一平は、大学図書館の書庫の中で、ため息をつく。


「いくらぼくが読書好きでも、この状態で閉じこめられたら、読書嫌いになり、本を恨むよ」


 同僚の太田晋が答える。


「ぼやかない、ぼやかない。この不景気に仕事あるだけマシだよ」


 ブックトラックに、埃を被った古書を並べながらなので、指先が白くなり、綺麗好きの晋は眉間に皺を寄せた。


「まあ、それはそうだけど」


 一平は、ボヤくのをやめて、書庫の整理に集中することにした。


 整理が、一段落つきそうな時、一平は宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』の文庫を手にしていた。


「『銀河鉄道の夜』か。ぼくこの小説大好きだったんですよ」一平は子供のように図書を掲げた。


 太田晋は、腰を伸ばしながら、


「じゃあ、借りてくれよ。うちの図書館の貸出冊数を増やすのに力を貸してくれ」


「わかりました。そうします」




 その日の業務が終わったのは、夜八時を過ぎていた。幸い週末で、土日が休みなので、それほどの疲労感を一平は感じてはいない。


 ゴ―ルデンウィークが終わり、初夏に向かう頃の街の夜景が一平は好きだ。暑くも寒くもない一夜、夜景から浮き出たかのような派手なジャンパーを着た大学生が、たむろしていた。


 一方では、夜の闇に溶け込もうとするかのように、置かれたベンチにネクタイを半ば外して、座りこんでいる一平と同じサラリーマンもいた。


 日本中どこにでも見かける金曜日の風景だ。


 しかし、今夜は異様な”人物"がいた。


 白塗りの顔に、赤く丸い鼻。紅白のラインが描かれたツナギを纏ったピエロがいた。


 ☆


 ピエロは踊っていた。そう、軽やかにステップを踏んで…。


まるで、ダンス・パ―トナ―と踊っているかのように。しかし、ピエロは独りだった。


駅前広場は、チェス盤をイメージして黒白にデザインされていたため、駅のライトと月明かりが、複雑な色彩を織りなして、そのチェス盤に反射し、あたかも本物のダンスショ―となっていた。


ベンチに座り崩れたサラリーマンも屯して話に興じていた大学生も駅に来あわせた老若男女が、ピエロを取り囲むようにして見守っていた。


一平もまた身じろぎもせずピエロに魅入っていた。


やがて、ダンスが終わると、大拍手が湧き起こり、その中をピエロは、チラシを配って歩いた。


「なんだ、近くにパチンコ屋ができるのか」


中年男が大声で話去っていく。


女子高生の女の子は、感激して涙ぐみながら、


「ピエロさん。ダンスかっこよかった。ありがとう」


と、チラシを手に去っていく。


ピエロは、最後のチラシを一平に渡し終わると、一つため息をついて、一平に視線を送り、駅前広場を去って行った。


一平はチラシを読んだ。


『どこへ向かうかわかりません。でも、あなたに一生の想い出をお約束します。男女ペアでご参加ください。


ツアーの開催は、八月中旬から十日間を予定しております。費用はお一人さま二十万円だけお支払い下されば、その他は一切かかりません。


用意の都合により、締切は、七月中旬とさせていただきます』


一平は、チラシを丁寧に折り畳み、カバンに入れた。


一平は、駅中の二十四時間のATMから、二十万円を引き出した。そのお金を、備えつけられている封筒に入れ、カバンに入れた。




(俺は何をしているんだ。ピエロの奇妙な踊りやこんなチラシのコマ―シャルメッセージにつられて大金を払おうとするなんて)


もう一人の理性の衣を纏った一平が制止させようと右耳に囁く。


一方で、左耳では感情派の一平が囁くのだ。


(面白そうじゃないか、一平。人生は一度切りだぞ。参加してから後悔しろよ)


一人の龍崎一平の中で、僅かな間に葛藤があった。


結果、感情派一平が勝利したのである。


この決断が彼を甘く、切ない、そして不思議な恐怖の旅へと向かわせたのだが、この時の彼は知る由もなかった。


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