幽霊が毎日腹パンしてくる

烏目 ヒツキ

腹パン・ホラー祭り

腹パン祭り開催

 オレは佐伯リョウ。

 しがないフリーターだ。


 実家で一人暮らしをして、早三年。

 やりたくもない仕事をして、家に帰ってきたらダラダラ過ごす毎日。

 休みは一歩も外に出る事はない。


「はぁ。つまんねえな」


 こんなんじゃダメだ。

 頭では分かっているが、体はずっと倦怠感けんたいかんに支配され、何もやる気が起きない。


 夢や希望はない。

 ましてや打ち込むものなどない。


 六畳半の部屋でゴロゴロしながら、オレは布団で仰向けになり、天井を見つめた。


「自分で死ぬ勇気さえあればな……」


 未来の事を考えると絶望的な気持ちになる。

 何もする気力が起きないオレは、いつしか死ぬことを考えていた。


 ひと眠りしようか。


 怠惰な決断をして、瞼を閉じる。

 今日はこれから仕事。

 またやりたくもない仕事をして、疲れて帰ってくるのかと思うと、辟易へきえきした。


 瞼を閉じて、数秒が経ったくらいか。


 ぎし……っ……ぎし……っ。


 一階から床の軋む音が聞こえた。


「何だ?」


 一人暮らしなのだから、家にはオレ以外にいない。

 泥棒でも入ったのか、なんて考えが過り、警戒したオレは息を殺して部屋の扉に近づいた。


 扉を開ける時はドアノブを押さえ、なるべく音が出ないように開ける。

 それからは、つま先に重心を置き、一歩ずつ慎重に進んだ。

 一歩進むたびに、首を伸ばして、階段の下を覗き込んだ。


 ――ぎし――ぎし――。


 やはり、音は階下から聞こえていた。


 勘弁してくれよ。

 泥棒とかシャレにならないぞ。


 鉢合わせになったら、相手は抵抗してくるかもしれない。

 逃げるなら、すぐに警察に電話をして対処するつもりだが、逆上したら厄介だ。


 警察に電話をするべきか、オレは迷った。

 というのも、本当に泥棒なのか確認した方がいいんじゃないか、と思ったからだ。


 悩んだ末、意を決したオレは相手の姿くらいは確認してやろう、と会談を下りていく。


 音は仏間の方から聞こえた。

 仏間は階段を下りて、すぐ目の前。

 使わなくなった時計が角に置かれていて、その先に引き戸がある。


 首を伸ばして覗くと、いつもは閉めているはずの引き戸が全開だった。


 いよいよ侵入者の存在を確信したオレは、拳だけ構えて、ゆっくり近づいていく。

 喧嘩なんてろくにしたことがない奴の拳など、何の意味もない。

 だが、気持ちで負けてはいけないと思い、ファイティングポーズだけは取っておくのだ。


「はぁ……はぁ……」


 緊張で息が乱れてくる。

 手足は恐怖で冷たくなっていき、指先は少しだけ震えた。


 引き戸に隠れ、首だけを伸ばして中を覗く。

 目の前には、白いものがあった。


 雪のように白いそれは、よく見れば毛穴のようなものが見える。

 恐る恐る目線を横にずらしていくと、すぐ目の前に大きく見開かれた目玉があった。


 血走った目は殺意が滲んでおり、オレの動きに合わせて、目玉が動いていく。


「な……、お前、誰だよ!」


 引き戸の陰からは、知らない女が顔だけを出す姿勢で、オレを睨みつけていた。上体を横に傾けた女が、オレを睨みながら、ゆっくりと出てくる。


 女はオレよりも背が高かった。

 雪のように白い肌は、血管が浮かび上がるくらいに透明感がある。

 青白い、っていうのかな。


 死に装束しょうぞくを身に着けているが、着物は乱れていて、帯が緩んでいた。


 黒くて長い髪は、妙な艶があり、片目だけが隠れている。

 そして、髪の分け目に露出している目玉は、怨みがあると言わんばかりに、ギョロっとしている。


 恐怖で開いた口が塞がらない。

 幸い、仏間の向かいは、玄関になっている。

 女の歩行速度は、それほど早くはないし、逃げようと思えば逃げられるだろう。


「く、くそ!」


 オレはすぐに背を向け、玄関の扉に手を掛ける。

 だが、扉は開かなかった。


「あ、そっか。いつも裏口から出るから、鍵閉めてるんだった!」


 施錠は三つ。

 全て開ける必要はなく、端っこと真ん中を開ければ、扉は開く。


 扉の鍵に指を引っ掛け、持ち上げる。

 真ん中の鍵を開けようと指を引っ掛けた時だった。


 オレは肩を掴まれて、力任せに振り向かされる。


「ひ、ひい!」


 扉に張り付き、全身が強張った。

 背後には女の幽霊が立ち、オレの肩を強い力で握りしめる。


「や、やめてくれ! 何なんだよ! オレは何もしてな――」


 ズドッ。


 言葉は途中で消えた。

 一瞬、何が起きたのか分からなかった。


「あ、……が……」


 張り付いていた扉は前後に大きく揺れた。

 オレは腹部に減り込んだ握り拳に手を添え、体を前に折っていく。

 足に力が入らなかった。


 腹を殴られたのだ。


 女とは思えない、キレのあるパンチ。

 贅肉を押しつぶして、内臓を圧迫する拳は威力が背中を突き抜け、玄関の扉にまで力が伝わったようだ。


「ふう、ふぅぅ、ん、ぐっ」


 息ができない。

 歯を食いしばって、女を見上げる。

 奴は眉間に皺を寄せて、オレを見下ろしていた。


「な、なんだ、これは。学生の頃、……思い出しちまった」


 財布を出すまで腹パンされ続けた苦い思い出がある。

 学生の頃は、ずっとイジメられていた。


 ――


 そのせいで、オレは世の中の女を憎み、蔑み、女の不幸を喜ぶようになった。イジメのせいで、オレの何かが歪んでしまったのだ。


 相手は空手部の女だった。

 素行は悪いが、全国大会は準優勝。

 極真空手フルコンタクトだから、メチャクチャ強かった。


 当初殴られた時は、ちゃんとイラっとする自分がいてくれた。

 今の世では、何かとうるさいが、『女のくせに生意気じゃね?』と、蔑む心を持ち、ビビる自分を抑えつけたのだ。


 そして、『いい加減にしろよ。このブス!』と、オレは殴りかかった事がある。実際の所は、全然ブスではないけど、それは割愛。


 殴りかかった結果、オレはアバラを三本折る怪我を負った。


 それ以降は、地獄のような日々を送ってきたのである。


「……っ、この、痛み。……嘘だろ。まさか。いや、バカな。そんなわけない」


 もう一度、女を見上げる。

 女は凛々しい顔立ちをしており、とても綺麗な容姿をしていた。


 彼女は、オレをイジメてきた女にそっくりだったのである。

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