ゲヘンナ・ロンド〜眠れる獅子と踊る愚者〜

狗柳星那

第一章 一話




 救わねば、と思った。





 「我々は天秤の上で平等なのだ」

 神父の諭すような言葉が冷たい教会に響く。見上げるほど高い天井は半円形で天空が描かれ、天使たちが弓矢を持って中心へと向かっている。

 左右の壁には物語になぞった色とりどりのステンドグラスがはめこまれ、夕暮れの強い光が降り注ぎ床を彩る。磨きこまれた真っ白な床は壇上の前に長く伸びているが、祈るための椅子は一つもない。

 神父は片手に持っていた聖書をそっと閉じると、体を後ろに向け二人の男に呼びかける。

「ディノ・ブライン・オルヴィス、メドリュクス・カルメロイ。その命を捧げ、賜り、繋ぐことに、自我と非我を委ねないと、主に誓うことができるか」

 膝をついて祈っていた彼らは、ゆっくりと頭を上げて答えた。

「はい」

「魂に誓えるか」

「はい」

「では、くさりを……」

 緋色の鬣を模した髪と、夕闇を閉じ込めたほの暗い瞳。しかしその奥には眩い意志が宿っている。癒着した書物の上での思想など握り潰してしまいそうな程の、若々しい輝きである。

 彼は傀儡師。貴族階級の上位にいるオルヴィス家の嫡男である。

 左隣には、襟足が少し黒い白銀の髪にアイスブルーの瞳を持つ、飾られた彫刻のような風貌の男がいる。

 彼は道化師。七年前、大陸の隅にある田舎から海を渡ってやって来た無名である。

 師はその不均衡を正しくするために契約を結ぶ義務があった。二十歳になるその年以内に儀式を終えなければ、短命になるというのが通説だったのだ。

 繋がることで初めて命の循環が出来上がる。精神のこんと肉体のはくが合わさることで、ひとつのたましいとなる。さすれば天秤の均衡は整い、本来の力が目覚める。

 しかし彼らは──




♦♦♦


 


 起きろと何度も体を揺すられる感覚があった。緩やかに意識が浮上するも、何となく煩わしく思ってたまらず寝返りを打つ。すると開かれたカーテンから光が差し込み、瞼の奥を刺激した。

 ディノは唸り声を上げると、重たい頭をやっとの思いで枕から浮かせて、不機嫌そうな顔で宙を睨んだ。

「うん……?」

「もう昼だ。いいかげん起きたらどうだ」

 声の主はカップを片手にカーテンを隅にまとめていた。

 襟足にかけて黒く染まった白銀の髪、日が注ぎいっそう白く透き通った肌。細くしなやかな身を袖のゆったりとしたシャツで包み、まるで神話に登場する天使のごとき風貌で、ディノの親友、メドリュクス・カルメロイはそこにいた。

「いま何時だ、メド」

「だから……もう正午を回った。早く準備をしろ。午後の講義に遅れるぞ」

 覚醒したディノは昨夜のことを思い出した。数ヶ月ぶりに帰省した矢先に契約者候補に会わされた挙句、よく回る舌で散々傀儡師としての自分を褒め称えられたことに腹を立て、夜遅くに飛び出して学院の寮へ帰って来てしまったのだ。

 それからむしゃくしゃする気持ちを晴らすため、妖魔を狩ろうと呼び出したメドと夜通し暴れ回り、そのまま彼の部屋に転がり込んで眠りについたのである。

 ぼさついた頭を掻き回し立ち上がると、窓際に置かれた小さな丸テーブルの前に腰を下ろす。上にはメドが用意したらしい簡単な食事が置かれていた。

「顔くらい洗ったら?」

「あとで。……それオレにもくれないか」

「君コーヒー苦手だろ」

「ああ……じゃあミルクでも飲むか」

 言いつつ、面倒だからか、まったく取りに行く様子もなく小袋の封を破く。中身はパサついたブロックタイプの固形物だった。食欲をそそらない茶色のそれにかぶりつき、何度か咀嚼をすると、あまりの味気なさに顔をしかめる。

「お前、本気でいつもこれ食ってるのか」

「ディノの好みじゃないだろうね。でも今はこれしかないから」

 向かい席に座ったメドは、なんてことない表情で品よくブロックを齧る。

 シンプルなライトブルーのデザインが特徴のこの完全栄養食品は、数ヶ月前から師の間で流行しているものだ。遠征や連日の任務に明け暮れる師の生活では携帯できる食品の需要が高まり、一部の研究チームによって専用のものが開発されて以降、一気に普及したのだという。手間が省けるという理由でメドのように日常生活で利用する師も多い。

 しかし偏食気味なディノにとっては、栄養をとにかくつめただけの味がどうしても気に入らず、ほとんど手をつけたことがなかった。

「あれ。もういいの?」

「購買で適当に買ってくる。のど乾いたしな」

「そう。じゃあ俺も行くよ」

 服を着替え、彼らは男子寮を出て長い一本道を歩いた。その道のずっと先には、古い城に似た石造りの建物がそびえ立っている。周りにはいくつもの施設が置かれ、綺麗に整えられた木や低木がそれらを仕切り、美しく彩っていた。

 蒐洲かりす学院本部。大陸の上に浮かぶ孤島唯一の、政府直属軍養成学校である。養成学校は大陸の方にもいくつか存在するが、入学と同時に所属が認められる機関はここにしかなく、しかもより高度な学問と技能の教育が約束されるため、試験を突破した選りすぐりの師たちが大陸や島から集っている。師徒の多くは貴族であり、基本的には試験さえ受かれば入学可能だが、師の教育機関を通らずにここへ入ってきた例は少ない。

「そういえばお前は推薦でここに来たんだったか」

「そうだけど、急にどうしたんだ」

「久々に一緒に狩りへ出て思ったんだが、やっぱりどの道化師よりもいい動きをしてくれるよな。訓練で一番手応えがあるのもお前だし、ここに来るべくして来た逸材なんだろうなと」

「それはどうも。でも俺より上はいくらでもいるよ。これで第四階級だし、能力としては平凡だから派遣先での戦績はまちまちだ」

 売店に入ったディノは迷わずカウンター横にあるパンコーナーに寄った。手にしたのはフィッシュフライサンドと牛乳瓶二本。奥にいるマダムに声をかけコインを二枚渡すと、すぐに引き返して店を出た。

「単体での戦績なんて関係ない。師は二人で戦うものなんだ。その時に本当の実力ってやつがわかる。そういう意味でお前は特別輝いてるってことだ。つまりオレとの相性がいい」

 にやりと笑う彼を見て、メドは肩を竦めた。

「君の言いたいことがわかったよ。俺と契約したいんだろ」

「わかってるじゃないか」

「狩りの時に機嫌が悪かった時点で気づくさ。また貴族の道化師と面会したんだろ。家で窮屈なことがあると決まって俺を誘うし、その流れで契約を持ちかけて来るんだ」

 ディノは一本目の牛乳瓶を半分ほど飲んで、

「いつも断られてばかりで悲しいぜ、まったく」

「何度も言うようにまだその時じゃないからね」

 すました顔で、今日も彼の誘いをさらりと断る。

 傀儡師と道化師はその性質上、互いの力を補うために契約を交わして戦うことが推奨されている。この場合の契約は紙面での合意とは別に儀式で結ばれる契約のくさりの意味合いが強く、師として大成するならば必ず通る道であった。

 もっとも、高等部である彼らはとっくに相方を見つけるべき時期に突入していたのだが、ディノがずっと目をつけているメドという男は、どんなに誘われても返事をしようとはしない手強い相手だった。

 というのも、原因の一つとして、彼は非常に慎重派だったのだ。

「こら! ディノ・ブライン・オルヴィス、私の講義で堂々とサンドを食うんじゃない。何度言ったらわかる!」

 初老の男性が額に青筋を浮かべ、教室中に怒号を響かせた。一限目の講義は生命神秘学というものだった。ぎりぎり教室に到着した二人は後ろの席に座り、それこそ最初は真面目に教授の話を聞いていたのだが、朝食、兼昼食を食いっぱぐれていたディノは、始まって数分で空腹に襲われてしまった。三十分を過ぎた頃、ついに紙袋からフィッシュフライサンドを取り出し、隠れる素振りもなく食べ始めたのである。

「お腹が鳴るところだったんです。愉快な音が講義を邪魔するより良いと思いましてね」

 悪びれもせず食べ続ける生意気な態度に、教授は心の中で舌打ちをした。元々貴族の坊ちゃんに当たりが強い傾向にあった彼は、こういった日でなくともディノらを名指しで怒鳴りつけ難しい問いを投げかけることが度々あった。

「いっそ恥をかけばいいものを……。では答えてもらおうか。最新の論文であげられたオボの二つの推論について」

 とても高等部の学習レベルで問う問題ではないことを、この教室にいる誰もが悟っていた。教授はきっと、ディノが答えられない問題に慌てふためくことを予想したのだろう。メドはまたしても絡まれてしまった親友を他人事のように見守った。

 それは彼に対しての期待と、信頼の現れでもあった。

 ディノは窓に視線を逸らして思考を巡らす。景色を眺めることなく、記憶のどこかにあるはずの情報を引き出そうと、紐を手繰り寄せていた。五秒ほどの沈黙のあと、無意識に牛乳瓶の蓋をいじり、言った。

「オボの研究といえば、マナ循環説とオド循環説の対立だな」

 別名第二の心臓と呼ばれる、師の種族のみに存在する生命エネルギーの結晶体。はるか昔、ある監察医が死体解剖した際に発見されたとされる、謎多き未知の物体である。霊長二種を襲う妖魔はこのエネルギーに反応し、体内に吸収するために毎夜地上を徘徊する。古くから続く戦争の元凶、そして人類の宿敵である。

「オボのエネルギーが自然から来るものかそれとも自発的なものかっていう話で、オレたちは自然の生き物と神の子孫の両方の側面があるからどちらの影響を受けていてもおかしくはない。三位一体を軸に考えるとエネルギーは一つの輪で出来上がっているだろ。その循環に力の源があるのだとしたらオボに違いないと研究者は述べていて、オレはどちらかと言えばオド循環説のほうが有力だと思っている」

「ほう、それはなぜだ」

「自然の力が神との交信や聖力を増幅させる手助けをしてくれるとは考え難いからだ。二つの説の対立は言ってしまえば信仰の違いに過ぎない。だからそんな論文が上がること自体ばかばかしいが、オレたちは自然と縁を切ったという説もあるから、オド循環説の方がリアルだしずっと面白く感じる」

「ふん、お前の感性などなんの参考にもならん。さほど読み込んでおらんから持論に走るのだ」

 ばっさりと切り捨てて、教授はそのまま講義を再開した。最初から評価する気などなかったのだろう。

 オボの基本物質についての図が黒板に描かれる。師徒たちは少し引いた様子で黒板とディノの間で視線を行き来させていた。ここが貴族社会であれば、派閥の中でも上位にあたるオルヴィス家に無礼を働いたとして制裁を加えられていたところだが、学院では教授たちの年功序列の意識が強く、身分はあまり通用しなかった。

「絡まれるようなことをするなって言っただろ。教授は貴族をからかいたいだけなんだから……、まあ君はよくかわしている方だけど」

 メドが身を傾け小声で話すと、当の本人は呑気に最後の一口をじっくりと味わっていた。反省していないなと思いつつも、メドははっとして再度、彼を見た。ディノの夕闇色の瞳の奥が、冷ややかな気を帯びていることに気づいたのだ。

「……ねえ、ディノ」

「……ああいう教師がいるから師徒も横柄になるんじゃないか?いや、そもそも貴族が横柄だからそれに拍車がかかっているんだ。学院が荒れている要因としては十分だな」

 不穏な空気を匂わせた昨夜の彼と重なり、メドは心なしか怯んだ。血を被りながら世の中の不満を吐き散らしたあの姿。彼の発言はただ言葉を並べた乱雑なものではなく、あくまでも冷静に現状を捉えた上でのことだったから、どことなく恐ろしかった。

「変なこと、考えるなよ」

「……は。冗談だよ」

 眉を寄せて絶妙な笑みを見せたディノは、ふと無表情になると講義の方へ意識を戻した。ずっと下では、教授が如何にオボの存在が奇跡的であるかを解説している。

「神から授かったお恵みを、我々は決して無駄にしてはならんのだ!」

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