第八話

 その囚人は、三メートルほどの高さがある大きなものだった。黒々とした深い闇のような泥は、その汚染と材料の黒物質ブラック・マテリアルの濃度や質を表している。タイロだって詳しいことは知らないが、わかりやすく深い黒い色をしているものが一番強いのだということくらいはわかるのだ。

「のあああ」

「ふん、ずいぶんと地面の中が好きな奴だなあ。まあ、仲間の残骸効率的に食えるんだから、頭は悪くねえかもだが」

 思わずタイロがびびって声を上げる中、ユーレッドは冷静にそんなことをいって刀を握り直した。カシャンと音が鳴ると同時にその刀からケーブルが伸びてユーレッドの左手に絡み、手首にある接続端子と繋がった。

 いつのまにか、ドレイクも自らの刀のケーブルを伸ばして右手に絡めていた。

 ケーブルで武器と自分を接続するのは、武器を本体とするアシスタントとの情報伝達を密にする意味もあるが、どうやら彼等が武器に生体エネルギーを伝えるのに効率が良いということでもあるらしい。

 獄卒や公式の戦闘員コマンドの中にそうした改造をしている強化兵士はいるものの、普通の獄卒でそこまでやるものは少ない。第一、これをやるのは武器の側にも特殊な合金が使われている必要があるものであるらしいし、特に獄卒にはそこまでの肉体改造に嫌悪を抱く者も多いらしい。

 ただ、彼等は元々旧い強化兵士だった。元よりそうした機能が備わっている。

 今ではタイロも彼等が今は秘匿されている”黒騎士”と呼ばれた特殊な戦士であることを知ってはいた。それは、彼等特有の伝統ある戦闘方法であるらしい。

 そして、彼らがこの手法で戦闘するときは、本気で戦闘するという意識があるということでもある。

「来るぜ」

 ユーレッドの警告とほぼ同時だった。

 噴き上がる泥水のように囚人が、彼らの方にのしかかってくる。それをさっと飛びのいてかわす。囚人は彼らの近くにあった仲間の残骸を吸収して膨れ上がり、やがて個体の姿を取る。不定形ながら、獣のようにも見えるものだ。その黒さから猛獣のシルエットのようにも見える。

 膨れ上がった三メートル近い巨体は、先ほどより大きくなっていたが、囚人ではよくあることと見えて、ユーレッドたちは特に驚きもしていなかった。仲間の残骸を共喰いしている囚人だ。吸収すれば、それぐらいの大きさになっていく。特に珍しくないのだろう。

「でかい相手は、素直に攻撃通らねえのが面倒なんだよな」

 とユーレッドは物憂げに呟くと、すっと刀を掲げる。その刀身がわずかに青く輝いた。生体エネルギーを通した、ということらしい。

「あんまり長引かせたくないから、一気にいくぜ」

 ユーレッドがドレイクにそう声をかけると、ドレイクがうなずいた気配があった。

「援護しよう」

「いや、別にあんたがやってくれてもいいんだけどな」

 基本好戦的な性格のユーレッドは、いつもは当然、自分がトドメを刺したがるタイプではある。しかし、ドレイクのように一歩下がられてしまうと、それはそれで不満に思うらしい。

 仕事しろよ、と言わんばかりの顔をしているが、ドレイクにはさほど伝わっていない。そんな様子にユーレッドは、ちッといらだったように舌打ちした。

「ああ、もう援護でも何でもいいから、マジでたまには走れ!」

 そんなのんきなやりとりをしている二人に、囚人は黒い触腕をぶん回して襲いかかってくるが、二人はそれを冷静に避ける。

「ふむ、ともあれ、走ればよいのか。……少し早めに動いてみよう」

 ドレイクがその指示をなんととったのかはわからないが、そんなのんきなことを言う。彼は牽制にかかるべく、たっと足を踏み込む。その動きはどちらかというと静かな足取りで、すーっと忍び込むようにだが、確かにいつもより走っているようには見えた。


 そんな二人の様子を、タイロは少し離れたところで見守っている。

「うわああ、思ったより大物だよー。こんなの仕事終わりのテンションで片づけに来る相手じゃないって」

 タイロが、桜の幹に隠れるようにしながら、戦いをのぞいていた。

 思わず桜の老木の幹にしがみつくように手をかける。ユーレッド曰く、この桜は囚人を寄せてしまう存在らしい。

 しかし、最初感じた美しさゆえの怖さや荘厳さを感じつつも、頼りがいのある安心感も感じていた。

 囚人を寄せてしまう。その性質はその美しさゆえの魔性なのかもしれないが、同時に桜の老木の持つ安心感が彼らを呼んでしまうのかもしれない、と漠然とタイロは感じる。

(まったく根拠はないけど、この桜に隠れていれば安全って気がすごくする)

 タイロはしっかりしがみつきつつ、妙な確信を持っていた。

 桜はこんな時ですら、花を時折はらはら散らせていて、向こうの戦闘など知ったことではない様子だった。まるでその周りだけが別世界のようだ。

 と、ふと、タイロは、目を瞬かせた。

 舞い散る花の間に、戦うユーレッドやドレイク、そして、真っ黒な囚人以外の姿が見えた気がしたのだ。

(あれ? なんだ?)

 ユーレッドやドレイク達、旧い戦士たちを解き放つすべを持つタイロの力の根拠は、その体質にある。彼らと感応しやすいその体質は、彼ら以外の何物かともつながってしまうことがある。特に彼らと同じ物質もので構成された存在と。

 しんしんと降る桜吹雪の合間の空間に、タイロは、誰かの記憶を見るのだった。


 *


 荘厳な桜の咲く庭園だった。

 その庭はとても広大だ。今よりもずっと広大であり、桜が等間隔に植わっている。

 しかし、人は誰もいなかった。

 ”彼”以外は。

 その人物は、とても丁寧に庭の世話をしていた。大切な庭だったのだ。それは彼の思念からそうわかる。

「先生に任されたのだから、先生が帰ってくるまできれいに保たなければ」

 彼はそうつぶやいた。消え入りそうな声だった。

『お前は強化兵士として戦闘での活躍は期待できない。しかし、庭師としての才能はあるようだ。だからここを任せた』

 何者かの声が聞こえる。年老いた男性のように思える。

『私はこの美しい庭を愛している。上層アストラルでは決して再現することはできない美しいこの花も、この場所もだ。お前はここを守ることができるか?』

 そう尋ねられ、彼はうなずいていた。

 はい。

 彼はうれしかったのだ。

 彼は望まれて造られた存在であった。けれど、”先生”の思う通りの存在にはなれなかった。先生は、彼に失望しているのは知っていたし、はっきりとそれを口にした。彼はそれを申し訳なく思っていた。

 それでも、彼は先生が好きだった。それがどこからくる感情なのかはわからない。彼の存在の元を形作っていたものの遺した、残骸のような感情だったのかもしれない。

 そんな残骸の自分にでも役に立つことがある。先生にそういわれて、彼は自分の任務を喜んだ。

『私はこの桜の下で死にたいものだ。……上層にも下層にももう飽きた。どうせ死ぬならこうしたところで……。しかし、ここは誰の手も入らなければ、やがて穢れに沈んでしまうだろう。だから、お前にはここを守っていてほしい』

 はい。

 彼は答えた。

 ”先生”はやがて姿を消した。

 彼は先生との約束を守り、彼が帰ってくるまでここを守る。けれど、彼はどこかで知っていた。

 ――先生はもう戻っては来ない。

 何故なら先生はすでに。

 本当は彼はわかっている。

 まだここが閉ざされてしまうほんの少し前のこと。先生は、この花が咲き乱れる季節にいなくなったのだ。

 けれど、彼はずっと待っているのだ。

 周囲が荒廃して、誰も訪れなくなっても、泥の獣が周囲を穢しても、かたくなにそれを守るべく、いつまでも留まっていた。

 ――先生は戻ってこない。けれど、それでも……先生が愛したここは美しい場所なのだから。


 桜の花びらがひらひらと降り注ぐ。その闇の合間に、再び、泥の獣ときらりと輝く生体エネルギーを帯びた刃物の輝きが見え、タイロを生々しい現実に引き戻していった。


 *


 ドレイクの動きはどちらかというとゆらりとしている。彼としては素早く動いているが、さして音もなく足元から冷たい殺気を放つようにして動く彼は、鋭いユーレッドの存在感と比べて恐ろしさが伝わりにくい。そんなくドレイクの方をくみしやすいと見たのか、囚人がそちらを攻撃しようといくつもの触腕が彼を追いかけていた。

 ドレイクは周囲を巡るように走りながら、近づいてくる黒い影に切り込む。同時にアシスタントのビーティアの能力が発動し、泥の形がゆらいだ。そこをドレイクは生体エネルギーを帯びて青く輝く刃で切り裂く。

 囚人はそれで焦ったのか、よりドレイクの方に攻撃を集中させるが、ドレイクは自分が攻め込むよりも受け身をとった時の方が強い。彼の策中にはまる形となり、大きな触腕がドレイクにより切り離されていた。

「なんだよ、やりゃできんじゃねえか」

 ぼそっとユーレッドは小声で吐き捨てる。

 いつもそれぐらいでいてほしいもんだがなあ。ユーレッドはやれやれと言わんばかりにつぶやきつつ、気を取り直して自分の仕事に入る。

 ドレイクに意識が向いている為、ユーレッドの側に向けられる注意が減っていた。攻撃がおろそかになっている今なら、ユーレッドは囚人の懐に切り込める。

「さあて、久しぶりにちょっと本気出すか」

 ユーレッドはそういってにやりとすると、軽く舌を噛む。赤い血に混じり、彼らの血に混じる黒いものが舌先に滲む。ユーレッドは、それを左手の刀の目釘にあたる部分に這わせた。

 自分を構成する黒騎士物質ナノマシンを相性の良い合金でできた武器に与え、直にエネルギーを送り込む。それは彼ら黒騎士にだけ許された戦闘方法だ。刀身が一瞬青く輝き、じんわりとそれが赤く変わる。

「スワロ、来い!」

 その間に、ユーレッドがスワロを呼ぶ。

 通常の体型にもどったスワロがユーレッドのそばに来ると同時に、ユーレッドの刀が一瞬鋭く赤くかがやき、その刀身に文字のような意匠が浮かんだ。

「最近、暇だったんで有り余っているんでな。特別サービスだ! 全力で叩き込んでやるよ」

 ユーレッドは赤い光を帯びたままの刀をさげて、ざっと足を踏み込んだ。

 その高いエネルギー量に気がついたのか、囚人の複数ある目のような器官がユーレッドの方に向かった。

 瞬時にいくつもの腕のようなものが形成されて彼の方に伸ばされるのを、ユーレッドは無慈悲に叩き落とすと、そのまま左目を細める。

「ふっ。……たぞ! そこか!」

 いまだにタイロにはわからないが、彼等黒騎士には、汚泥の体の中を移動する囚人のコアが見えているらしい。

 逃げるために核の位置を変えながら暴れる囚人に、彼等は対応できるのだ。

 にっとその左目を歪めたところで、ユーレッドは感知したその核を貫くべく、囚人の巨体の一点を貫いた。

 自身のエネルギーを与えて強化した刃で、勢いをつけて囚人の厚い汚泥を切り裂いて、その奥にある核を破壊する。そうすれば、彼等は体が保っていられなくなるのだ。

 濁った叫びとともに、囚人の体はドロドロと溶けていった。

 崩れてくる汚泥の塊やしぶきから身を守るべく、ユーレッドとドレイクが素早くそこを飛びのく。囚人はどろどろと溶けるようにして、地面に大きな塊を作った。

 泡立って崩れていく黒い汚泥の上にも、薄紅の桜の花びらがしんしんと降り積もっていく。けがれたそれを浄化するように花びらが埋めていく。

「ふう、やれやれ」

 ユーレッドがため息をついた。

「ま。春の夜に相手するには、なかなかの大物だったな」

 スワロが労うようにぴぴっと鳴いた。

 それに、軽く「ん」と返事をした後、ちゃんと汚泥対策済の懐紙で刀を拭ってからユーレッドは鞘にそれを収める。意外なところで几帳面なのだ。

 それからてんてんとスワロを撫でてやると、スワロは嬉しそうにする。

 その様子を見て、タイロはようやく緊張を解く。

 大きな囚人が倒されたので、おそらくこれですべてカタがついた。タイロはほっと安堵して胸をなでおろす。

 よかった。これで多分、今日の仕事は終わりだ。あとは清掃を頼むなどはするけれど、おおよそこれでおしまいだった。気が抜ける。

 さて、ラーメン食べて帰ろう!

「お疲れ様です! お二人と……も?」

 タイロはそういって駆け寄ろうとして、ふと近くに人の気配を感じて立ち止まった。

「ひっ」

 いつのまに、いつから、人がそこにいたのだろう。

 桜の幹の近く、誰かたっている。

 気配が薄い。ぼんやりと黒く、顔がはっきりしないが、作業服を着て帽子をかぶっているようだ。

 公園の管理を任されている職員に見える。しかし、こんなところに人がいるはずは……。第一、いたとしてもあんな激しい囚人との戦闘を見て、一般人なら平然としていられるはずがない。

 タイロはドキドキしながら彼を観察していたが、ふとその男に見覚えがあることに気付いた。

(いや、違う。このひと、さっき、ここにくるまでにすれちがった、影の薄い感じのひとだ)

 しかし、それでも、怖い相手に変わりなく、タイロが気配の異様さに慌てて身を引く。

「おい、どうした?」

 ユーレッドがタイロの異変に気付き、彼のそばにもどってきた。そして、ふと男に気付いて立ち止まる。

 その男はユーレッドがやってきても、特に動揺する気配がない。ぼんやりとした印象のままに桜吹雪の中佇んでいるのは、いっそ不気味だった。

 まさか、彼も囚人なのか? いっそのこと、幽霊?

「ユ、ユ、ユーレッドさん、あのひと……」

 思わずユーレッドにそう尋ねるが、ユーレッドは落ち着いた様子だった。

「アイツは、囚人じゃねえよ」

「えっ?」

 ユーレッドは、そういうと男の方に歩み寄った。

「久しいな。フランク」

 そう声をかけると、のろりと男が顔を上げる。

 すぐに反応をしない。しかし、男の方にも敵対する意思はなさそうだ。ユーレッドは、その間に男にどんどん歩み寄っている。

「アンタが生きているとは知らなかったな。いや、この桜並木が現存していることも意外だったが。そうか、ここが無事なら、管理していた番人のアンタも存在しているのが普通だよな」

 ユーレッドがそう声をかけると、ようやく、男は表情の薄い顔で頷いた。

 人間の顔をしているし、人の形をしているのに、男は存在が希薄だ。ともすれば黒い影のようにみえてしまう気がするほどだった。

「そうか。やはり、ネザアスだったのか」

 かみしめるようにいうと、男はタイロの後ろを見た。それでようやく気付いたのだが、タイロの背後には、いつのまにかドレイクが帰ってきていた。

「ドレイクも。君達兄弟が生きているともしらなかった」

 そう答える男に、ユーレッドは苦笑した。そんなユーレッドに、男はゆっくりと語りかける。

「けれど、君達がいてくれて良かった。ここのところ、花をたくさんの人がめでてくれるようになったのだけれど、一方で、たくさんの獣が集まるようになってきていてね」

 男は老木の幹をいとおしげに撫でた。

「正直、私だけではもうどうにもならなくなっていたんだ」

 そんな男の頭上から、桜の花びらが静かに降ってきていた。

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