第二話
ざあっと風が吹き渡る。
微かな花の香りが、鈍いタイロの鼻の先を撫でたものか。
たこ焼きを食べていたタイロは、ふと何か気掛かりになって、風上を向いた。
桜の花びらが、風に乗ってタイロに降りかかってくる。
なんの変哲もない花びら。それなのに、ざわっと何か寒気がする気がした。
(なんだろう?)
タイロはふらっとそちらに足を向けた。
「あれ? こっち。なんか気になるなあ」
食べかけのたこ焼きを口に入れて、もぐもぐ咀嚼しつつ、タイロはしばらくそちらをみながら考える。
「なんだろ」
何やら気を引かれている様子のタイロに、きゅ、とスワロが小首をかしげる。
「なんかあるのかな?」
ユーレッドとドレイクは近くにいる。
少食のユーレッドは、タイロに押し付けられたたこ焼きを一個食べただけで満足したらしく、周りを観察中だ。口ではああいっていたが、ユーレッドは基本的に桜の花もイベントごとも好きなのだ。
場の盛り上がりをなんとなく眺めてしまっている。
一方のドレイクは、ユーレッドの分も多めにたこ焼きをもらえたので、焼きそばのパックのうえにそれをのせてなんとなく満足げだ。たこ焼きの上のねぎが色鮮やかである。
そんな、お互いやりたいことをしている兄弟だ。各々自分の世界を楽しんでいる様子だ。
(うーん、邪魔するのも悪いので、ちょっとだけ)
そんな風に考えて、タイロが思わず風上に足を向ける。
それに気づいたスワロが、タイロの頭に乗ってついてきた。独り歩きさせるのは危ないと言わんばかりだ。
しかし、タイロは取り憑かれたようにそれに気を止めずに、歩いて行ってしまう。
桜の花びらが飛んでくるところを辿っていくと、人の多い場所から外れていくようだった。
あまり二人から離れては、と、スワロが、心配そうに、きゅ、と鳴いたとき。
と、いきなり桜の花びらの向こうに人影が見えた。
気配がほとんどなかったので、タイロもよくよく近づくまでわからなかったのだ。危うくぶつかりそうになり、慌てて頭を下げる。
「わ、ご、ごめんなさい」
「いいえ」
小さな声がそう答えた。
どうやら男。背丈がひょろっと高くて痩せている。
何となく生気がなくて存在感がないので、一瞬幽霊かとおもってしまったが、普通の人間らしい。男はこの公園を整備しているのか、作業着を着ていた。野球帽を目深にかぶっていて顔がほとんど見えない。
気にはなるが、あまりじろじろみるのはよくない。とりあえず、害もなさそうだし。
タイロがそう思って足を進めそうになると。
「あのう」
と男が方が声をかけてきた。タイロが止まると、彼はか細い声で告げた。
「この先の奥にはいかないほうがいいですよ。人さみしい場所ですから」
「え? あ、は、はい」
タイロが振り返って返事をするのを見届けたのかどうか。視線を合わせることもなく、男は人ごみのほうに歩いて行って紛れて行ってしまった。
「な、なんだろう、あの人」
親切なのかもしれないが、ちょっと怖い。それに同意するといいたげに、スワロがきゅきゅっと鳴く。
「スワロさんもそう思う? なんか、ちょっと怖いよね。何が、かはわからないけど」
気を取り直していこうとしていた場所を見ると、桜並木から離れた雑木林の中に、ひときわ広い場所があり、そこに大きな桜の老木があるようだった。
そこも一応ライトアップされてはいるのだが、周りに人がいない。
他の桜とも離れて、ぽつんと佇んでいる桜の老木は、堂々とした枝ぶりで美しく、そこだけ別世界のようだった。
しかし、さっきの男が言った通り、ここから先は確かに人さみしい場所なのだろう。
それがより、この桜を特別に見せている。
白に近い薄い色の桜の花が満開になっていた。
すでに、散り始めている。そこだけがライトアップされている様はなんだか荘厳であり、神々しくもあったが、何となく冷ややかだ。
タイロはぼんやりそれを見たあと、頭の上のスワロに話しかけた。
「この桜、すごく立派だね」
ぴ、とスワロが同意する。
「でも、なんだか」
(ちょっと、怖い、ような)
しんしんと静かな夜。花びらがふわふわ舞い降りる。
その美しさが逆にタイロを不安にさせているのだろうか。
と、ふと、木の幹になにか短冊のようなものが貼り付けられているのが見えた。和紙でできたステッカーのようだものだろうか。
そこに筆書きの達筆な続け字でなにか書いてある。
「えーと、なんだ、これ」
タイロには読めないが、ひらがなではあるらしい。
「ねが、わく、は、はなの……?」
「願わくば花の下にて春死なむ」
辿々しく読むタイロの頭の上から、ハスキーな声が降り注ぐ。
「その如月の望月の頃、だな」
いつのまにかユーレッドが来ていた。
「ユーレッドさん?」
驚いて顔を上げると、ユーレッドは肩をすくめた。
「お前、あんまりちょろちょろ歩き回んなよ。迷子になるぜ?」
心細い気分になっていたところ、ユーレッドの声が聞こえて、タイロはちょっと現実に引き戻された感覚になっていた。
「いや、ちょっとこの桜が気になっちゃって。ここも、ライトアップされてるから、一人できても大丈夫かなあって思っちゃったんです」
「お前、体質的に狙われやすいって教えてやったのに。本当、自覚のねえやつだなあ。まあいいけどよ。スワロがついてるから」
そんなユーレッドに、タイロはのんきに尋ねた。
「あれ、ユーレッドさん、これ、読めるんです?」
「まぁーなぁー」
「えっ、すごい!」
「へへー、俺はお前より大分長く生きてるから色々知ってんだ」
なんのかんのとドヤ顔のユーレッドだ。ユーレッドは褒められるのが好きなのだった。
「でもこれなんなんですか?」
タイロにそう尋ねられて、ふむ、とユーレッドは唸った。
「そうか。最近のガキは、古典勉強しねえから知らねえよなあ。西行っていう坊さんが作った和歌だぞ」
「和歌?」
ん、とユーレッドは頷く。
「めちゃくちゃかいつまんでいうと、死ぬ時は春の綺麗な桜の下で死にてえなあっていう意味の歌」
ユーレッドは目を瞬かせた。
「西行ってのは、桜の花が好きだったらしくてな、本当に桜の花の咲く頃に死んだって言われてる。まあ、気持ちはわかるよな。どうせ死ぬなら綺麗に散った方がいいよなあ」
ユーレッドが自嘲的にいう。
「俺なんかは、ほら、なんかと散りぞこなってるやつだし、なんていうか、綺麗に散れねえタイプだからよ、羨ましいなって思うぜ」
「ユーレッドさんは、そんなこと……」
タイロが言いかけた時、
「しかし、西行法師の歌の短冊が、なぜここに貼り付けてある?」
と、いきなり二人の間にぬっと人影が現れて声をかけてきた。
タイロもびくりとするが、流石のユーレッドも、うぉっと驚く。
周りを取り巻く冷ややかな空気。いつの間にかドレイクが二人の間に割って入るように立っていた。
「なんだよ、兄貴、気配消してくるなっていつも言ってんだろ!」
ユーレッドは不機嫌に告げる。
ドレイクは、焼きそばを食べ終えて、タイロからもらったたこ焼きも食べ終えているらしく、パックをゴミ箱に片付けてきたらしい。今では悠々とそこに立っている。
そして、無言。ドレイクは基本的には無口な男なのだ。
それにしても、確かに、気配がなかった。
(でも、俺が気配読めないのはまああるあるだとして、ユーレッドさんが気配読めないのって相当だよねえ)
あの勘の鋭いユーレッドですら、感じられないのだ。
機動力においてはユーレッドより劣るけれど、やはりドレイクは有能な戦士だ。
ユーレッドが一目置くだけはある。
そんなドレイクは、特に顔色も変えず、不服そうなユーレッドに、ちらりと視線を向けて一言。
「そんなに驚くことだろうか。お前もおれの気配が読めるようになれば良いではないか」
「なんだと!」
むかっとしたらしく、ユーレッドがドレイクを睨みつける。
「それは俺が気配も読めねえ鈍感だっていいてえのかよ!」
「ま、まあまあ」
けんかになりそうなので、慌ててタイロがとりなしにかかる。
が、ドレイクはそんな二人をまったく気にせずに、桜を見上げた。ドレイクはちょっとマイペースな男なのだ。空気が読めないとも言う。
「美しい花だが」
最近は少し視力が良くなったとはいえ、ドレイクは相変わらず目が悪い。
不安定で、全く見えない日もあるらしいが、今日は少しは見えているのだろうか。ドレイクの白の瞳に本来の色であるらしい、青い色がうっすらと見えている。
「ふむ、確かに、この桜、少し気にはなるな」
ドレイクは小首を傾げた。
「あ、やっぱりですか。なんか、俺も綺麗だけど怖いなって気がしてて、さっきも、なんか呼ばれてるみたいに近づいちゃったんです」
タイロがそういうと、ドレイクはタイロの方に目を向けた。
ふん、とユーレッドが鼻を鳴らす。
「怖いってそりゃ当たり前だろ。綺麗なもんは大体魔物だぜ。そりゃあ、お前みたいなヘタレ小僧は、怖くなるにきまってるさ」
不機嫌ながらもここで喧嘩をするつもりはないらしく、ユーレッドが先ほどの諍いを捨てて口を挟んできた。
「綺麗だから魔物になるのか、魔物だから綺麗なのかは知らねえけどな。とにかく、こういう特別に綺麗なもんは、普通じゃねえのよ」
こう見えて、綺麗なもの好きのユーレッドは、一家言あるらしい。
「まあしかし、そんなもん、受け止める側の感覚で、こいつにとっちゃ傍迷惑な話なんだろうよ」
で、とユーレッドが肩をすくめて、首を傾げた。
「そう、受け止める側のやつ、の、問題だよな」
「うむ」
ドレイクがなぜか静かに頷いていた。
「え?」
タイロが不安そうに辺りを見回す。ユーレッドがにやりとする。
「お前、最近、カンが鋭くなったんじゃね? ここ、周り人間がいねえだろ。偶然じゃねえよ」
「えっ、なんかあるんです?」
タイロが嫌な予感を感じつつ尋ねる。
「寄せているのだな」
ドレイクが静かに言った。が、ドレイクの言うことは具体的でなくてわかりづらい。おもわず通訳くださいとユーレッドを見やると、彼がため息交じりに答えた。
「この木がなんぞ、囚人を寄せてる……ってことだ。コイツに引き寄せる気がなくても、あっちが寄ってきちまうということ。大抵の人間はそれを無意識に感じるから、この桜を避けて通っている」
ユーレッドが、和歌の書かれた短冊に指を這わせた。
「そして、コイツはいってみりゃ護符だ。コイツによりついてきたやつらが、ここから先に入ってこねえようにするためのもんさ」
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