第7話 便利屋 2
「お手に触れても?」
「勿論です」
店舗部分に椅子を二脚並べ、それぞれに座った。伸ばした手にシエゴさんの左手が重なる。正直、検査には良い思い出が無い。特に追跡術を使う検査は。あれは無遠慮に体内を覗かれる感じがして苦手だ。
触れた場所からじわりと温かくなった。
血が巡る感覚。知らない魔術だった。
シエゴさんの表情が険しくなる。
「あの、正直に仰ってくださいね。日常生活、送れてます?」
「あまり……」
「ですよねぇ。この感じだと、特に体勢を変えた時の眩暈と頭痛、吐き気が酷いのかな」
私は胸の内で感嘆していた。
彼が挙げた症状全てに覚えがある。追跡術でもないのにこの精度とは、素晴らしい。どんな魔術式を組んでいるんだろう。駄目だ、知らない魔術を見ると解析したくなる。本当に魔術師時代の性質が抜けない。当時は魔術を習得したいが為の行動だったが、今は純粋な好奇心が勝っていた。
瞬間、シエゴさんが唸った。
どんどん眉間の皺を深くなる。
「トリーさん、もしかして、普段から魔法薬を飲んでいましたか?」
「はい、ボルケニアスです。この町についてからは飲んでいませんが、8歳から飲んでいました。昔から頭痛や息切れがあった、ので」
思わず口を噤んでしまった。
彼の表情が抜け落ちている。
「飲まされていたんですか?」
「え。いいえ、最終的には自分で」
自分で?
本当に、自分で選んだと言えるのか。
くるくると視界が回る。
ボルケニアスは、当時の私の症状を知った父から勧められた。他にも幾つか選択肢が与えられたが、ボルケニアスが一番魅力的に見えた。だって一番強い薬だったから。健康な人が飲めば副作用が激しいことも知っていた。でも私は傷病者で。優秀な魔術師になって、父に認められたくて。なのにあの体調では難しかったから、父に言われて、それで。
それで、だから、私が選んで、飲んだ。
頭が重くなる。吐き気が増してきた。
「お父様が、……でも」
思考が纏まらない。
それきり黙り込んだ私を一瞥し、シエゴさんが話す。語り聞かせるように、丁寧に。
「妙な事を聞いてすみませんでした。ですが、コレでハッキリした。精神的な負担そのものが、貴女の体調を悪くしています。かなり血圧が下がっていますよ、吐き気も酷くなってきたんじゃないですか?」
腑に落ちた。
8歳の頃、初めて体調を崩した日。
それは『クリストファーが実家に帰った』と知った日だった。唯一の友達だったのに、挨拶さえできずに別れてしまったのだ。
幼い頃の私は、父の価値基準をそのまま物事の判断基準にしていた。
『魔術師として大成できない者は不要』
いつまで経っても父の望む成果を示せなかった、魔術師として未熟な私。そんな私だから、彼も愛想が尽きたのだと悲嘆に暮れていた。今思えば傍迷惑な妄想だが、当時は真剣だった。真剣だったから、身近な人の──父の関心を集めようと躍起になっていた。
私の骨肉に父の残滓を感じる。
「……苦労、されていたんですね」
か細い声だったが、耳に残った。
シエゴさんは視線を泳がせて、躊躇うように唇を噛んでいる。何かを言うまいとしているような、言ったことを後悔しているような。私は彼の表情を読もうとして、ジッと眺めた。シエゴさんは数秒程硬く目を閉じて、それから私の手を離す。
「はい! 今日の診察は終了です。お疲れ様でした。お薬を処方しておくので、しっかり飲んでくださいね」
「え、薬師も兼任されてるんですか?」
「いやぁ、僕がやってるのは魔法薬師の方です。魔術に頼りきって生きているので、魔力を使えない薬作りは不得手でして」
打って変わって、彼は明るく言ってのけた。そしてローブの中から分厚い手帳とペンを取り出し、膝を台に式を書き始める。魔法薬の構築式だろうか。
「気になりますか?」
「はい。その、教えていただけないでしょうか……」
「そんなに怯えないでください〜。処方者には説明義務がありますから、キチンとお答えしますよ」
私に一瞥もくれずに、口元だけ笑んで言う。
相当な研鑽を積んだのだろう。シエゴさんは悩むそぶりも見せず、ひたすら構築式を綴っていた。迷いの無いペン先に、声をかけるのも躊躇われる。
「これはシアリアの構築式です。鎮痛作用があるんですよ。デギの葉とカメリアの夜露から精製するんですけど、薬師さんの場合は薬効を上げる為に竜の血を混ぜるそうです。魔法薬なら魔力過多で摂取者が死んじゃいそうな組み合わせですけど、面白いですよねー」
材料を聞いて思い出した。
シアリアは父がよく作っていた魔法薬だった。父も魔術師と魔法薬師の兼任者だったが、あの人は朝露を使っていた気がする。また、デギの葉はこの街に来た時に見た葉だ。肉厚でギザギザの葉。表側だけ深い緑色を呈し、裏側は青紫色をしている。デギの葉がシアリアの薬剤になっている物は見たことがない。地域特有のレシピだろうか。
「朝露ではないんですね」
言葉が飛び出た。
反射的に口で手を覆う。
「あれ、ご存知でしたかぁ。流石ですね。
確率的に、夜露の方が鎮痛作用を持ちやすいんです。でも、朝露は数が少ない分、魔力濃度が濃い。拘る方は全部朝露で作ったりしますね、魔術師と兼任の方とか特に。もしかして、朝露の方が良かったですか?」
「あ、いえ、ただ気になっただけなんです! すみません、邪魔してしまって」
「いえいえ、未来の薬師さんのお役に立てると思えば本望ですから〜」
居た堪れなくなって顔を伏せる。
シエゴさんが優しい方で助かった。無知故に魔法薬師の処方に難癖を付ける患者になりかけてしまった。あらゆる意味で父を忘れたい。
「そろそろ素直になったらどうですか。
お好きなんですよね? 魔術」
底冷えするほど冷たい声。
驚いて顔を上げる。
気づけば、シエゴさんが笑顔で私を見つめていた。飴色の瞳と目が合う。窓から差し込む僅かな陽の光を吸い、冷たく輝いている。眼差しからは、明確な敵意を感じた。
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