為政者は笑う ――2031――

明日乃たまご

第1話 スターフィッシュ計画 1

 巨大モニターの中央に金属製の丸い〝ふた〟が映っている。原子力発電所の中核施設となる原子炉格納容器内の圧力容器の〝ふた〟だ。圧力容器とはいっても、2011年3月にメルトダウンを起こして底に穴の開いたそれは、内部の圧力も外部と同じだ。


 その周囲の放射性物質を含んだ塵は掃除機のようなロボットによって回収され、〝ふた〟もロボットによって洗浄されたが、まだ放射線量が高く人間がそこで長時間の作業にあたることはできなかった。


 遠隔操作のクレーンのアームが金属の〝ふた〟を移動させる。


〝ふた〟が開けられた圧力容器内に明かりが照射され、モニターに井戸のような穴と、そこに溜まった透明の水が映し出された。水は光をキラキラと反射して清浄に見える。放射線計の数値が表示されれば、それが実に放射性物質の混じった危険なものだと分かるはずだが、それはあえて消してあった。今は〝明るい未来〟を夢見る時だ。


 画面が切り替わる。


 圧力容器の穴から離れたところにあるカメラが、格納容器の上部5メートルの位置に設置されたレールと、それに吊り下げられた直径4メートル、厚み3メートルほどの円柱状のロボットを映した。


 2029年11月。……原子力事業関係者とマスコミが注目する中、スターフィッシュ計画が重要な局面を迎えていた。


 メルトダウンを起こした福島第一原子力発電所3号機の圧力容器の底にたまった核のゴミ、いわゆるデブリを〝スターフィッシュ〟と名付けられたロボットで取り出す作業に着手するのだ。


『スターフィッシュ、圧力容器上部へ移動』


 スピーカーからオペレーターの声がする。モニターに注目する者たちののどが、ゴクンとなった。


 スターフィッシュは、レールに吊り下げられてゆっくりと移動した。


『ポジション到達―。静止』


 観測技師が声を上げる。


『スターフィッシュ、静止』


 オペレーターがボタンを押すとスターフィッシュは止まった。


『左へ2ミリ』


 観測技師の指示で、位置の微調整が行われる。


『了解、左へ2ミリ』


 作業のために設置された施設内では測定器をにらむ観測技師とロボットを操作するオペレーターが慎重な操作を行った。


『位置固定……』


『了解。位置固定』


『スターフィッシュ、降ろせ』


『下ろします』


 オペレーターがワイヤを伸ばし、静止していたスターフィッシュを圧力容器内に降下させた。モニターを見ている記者たちの中にざわざわと声が走った。


『スターフィッシュ、圧力容器内に入りました』


『スターフィッシュ、起動せよ』


『スターフィッシュ、起動』


 オペレーターが緑色の起動ボタンを押した。


 再び、人々ののどがゴクンとなる。


 5秒ほどすると、稼働したスターフィッシュは円柱状の本体から8本の足を伸ばし、圧力容器内壁に足を突っ張るようにして本体を支えた。足を伸ばした姿が日輪ヒトデに似ているのでスターフィッシュと名付けられたのだ。


『スターフィッシュ、姿勢維持に成功』


 オペレーターが報告する。


「おぉー」


 モニターの前で、歓声と共に拍手が起きた。


「ヒトデには見えませんね」


 テレビ局の記者が声を上げると、廃炉システム開発機構の岩城翔太いわきしょうた理事長が「いやいや」といって笑った。


「あなたは日輪ヒトデを知っていますか?」


 岩城はスマホで日輪ヒトデの写真を見せる。


「なるほど。普通のヒトデに比べたら胴の部分が丸くて大きい。まさに日輪ですね」


 記者の感想に満足しながら、岩城は説明を加える。


「3号機の圧力容器内の内径は5.6メートルだから、ロボットが伸ばした足の長さは0.8メートルにすぎず、足の長いヒトデには見えませんが、この脚は容器の大きさに応じて伸縮するのです。最大11メートルの容器に対応しています。大きな圧力容器内で作業をすれば、もう少し本物の日輪ヒトデに似て見えるでしょう」


「資料によると、2号基、4号機のサイズは同じ。1号機に至っては、内径4.8メートルと小ぶりです。最大11メートルの容器に対応する必要があったのでしょうか?」


 記者は、巨大な圧力容器を持つ原子炉の事故を想定しているのだと疑っていた。


「ご存じのとおり、原子炉は核燃料の入った圧力容器と、圧力容器を外側から支え包んでいる格納容器の二重構造になっているのです。今、取り出しているのは圧力容器内デブリですが、これが終わったら、圧力容器を解体撤去。その後に、圧力容器を突き抜けて落ちた格納容器の底のデブリ回収作業があります」


 岩城は原子炉の模型を指して説明する。


「3号機の格納容器の上部内径は11メートル。下部の球体部分は20メートルでフラスコのような形をしています。球体部分に下りてからは8本の脚で自立する形になります。そのためのスターフィッシュの脚です。……加えて原発の解体事業は、今後、日本の成長産業になるでしょう。そのための汎用性はんようせいとご理解いただきたい」


 岩城は国民が安心する話し方を心得ていた。科学を臭わせる数値を交えて安全を解き、経済性を理由に明るい未来を語った。


 スターフィッシュは格納容器内のデブリ回収を前提に設計されていた。しかし、格納容器内で直下に沈まなかったデブリがある場合や、格納容器を突き抜けてコンクリート製の土台を侵食したデブリがある場合は回収が難しいということも分かっていた。


 岩城はその事を口にしない。それは国民に不安を与えないためだ。


 国民の多くは18年前に原発事故があったことを知っていても、記憶からは消し去っていてマスコミが報じなければ思い出すことがない。それでも、事故が再発するかもしれないと知ったなら大騒ぎになるだろう。だから、情報公開は慎重を要する。


 物理的には、安全は安心に優先する。しかし、政治的には、安心が安全に優先する。安心は口先だけの情報コントロールで済むし、安全がなくとも実現することが出来る。一方、安全は、安心があっても確保することが出来ない。おまけに安全にはコストが必要だ。


 ならば、当面、安心を創出すべきだ。それが建設国債の乱発で財政破綻に瀕した日本国家を支える官僚、岩城の出した答えであり、リスク管理だった。


 岩城と記者が話をしている間に、別のロボットがスターフィッシュの背中に金属製のデブリ吸い込み管を接続した。


「スターフィッシュが削り取り、或いは切り取ったデブリの破片は、あの管を通って分別装置に送られ、放射線を測定、核種を分類したうえで放射性物質専用の保管容器に納められるのです。スターフィッシュが掃除機のノズルの役目を果たしていると思っていただければ結構です」


『準備完了』


 オペレーターの報告がある。


 岩城は、記者たちの顔を一瞥してから命じた。


「スターフィッシュ、発進」


『スターフィッシュ、発進!』


 復唱したオペレーターが赤いボタンを押すと、スターフィッシュは格納容器の中に下りていく。まるで生き物のように8本の足を器用に使っていた。


 障害物があるとスターフィッシュは、本体下部から延びた4本の長い腕を、それも器用に使って切り取り、本体の中央の穴に放り込んだ。その様子は、ヒトデよりカニが餌を取る動きに似ていた。


 巨大なモニターの一つは、スターフィッシュが8本の足で格納容器の中に降りる様子を上部から映し、別のモニターは、スターフィッシュの腕が障害物を取り除く様を映していた。


 放送局のカメラマンは、モニターに映るものを撮影し、それが世界中の人々に届けられた。


 高さ20メートルほどの圧力容器を40分ほどかけて底まで下りたスターフィッシュは、センサーに反応するデブリを4本の腕で吸入口へ運ぶ。大きな塊や容器に付着したデブリは腕の先についた回転式カッターが切断した。


『デブリ回収に着手。成功です』


 スピーカーから声がすると、スターフィッシュ計画関係者だけでなく、マスコミからも拍手があった。


「これで原発事故は収束しますね」


 記者の声が躍っていた。


「国民の皆様には、ながらくご心配をおかけしましたが、間もなく全てが終わります」


 回収したデブリをどこに保管するのかという問題は残っていたが、その事に関心を示す国民は少ない。多くの国民は、マスコミがデブリを回収する生の映像を流したことに満足し、事故関連の記憶を脳細胞の奥底に封印するだろう。……岩城は胸を張った。

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