§005 自室にて

「ああ、取り乱して泣いちゃったな」


 リズは使用人に案内された自室のベッドに横たわりながら独り言ちる。

 別に何を期待していたわけでもないのに、やっぱり自分には幸せな結婚など無理なんだとわかったら、どうにも感情が堪えられなくなってしまった。


「……私はこれからどうすればいいんだろう」


 グレインに嫁いでいた頃は社交界への積極的な参加を余儀なくされていた。

 グレインに見限られた後も、使用人として、家事などの雑務を与えられていた。


 でも、ここはどうにも様相が異なる。

 先ほどのエラルドの話だと、辺境伯家の妻として、社交界への参加は必須じゃない。


 他に貴族家の妻がやることは……ってあれ? ほとんど無くない?


 家事は使用人がやってくれるし、社交界と無縁になる以上、習い事なども不要。

 だからといって自身が戦地に出向くわけでもないし……。


(本当に時間を持て余しそうだな~)


 リズは軽く嘆息する。


(……せっかく時間ができたんだし、久々に『錬金術』でもやってみようかな)


 そんなことを考えながら、ベッドでうぅ~んと伸びをしていると、コンコンと扉を叩く音が聞こえた。


「は~い。開いてますのでどうぞ」


 突然のノックに飛び起きたリズは居住まいを正すと、扉に向かって声をかける。

 すると、現れたのはエラルドの側近であるジェフリーだった。


「よっ! 少しは落ち着いたかい?」


「あ、ええ」


 まさかジェフリーが訪ねてくるとは思ってなかったので、リズは少々面食らってしまった。


 ジェフリーもやや気まずそうな面持ち。

 顔をなんとなく観察されているような気がするから、彼には自分が泣いていたことがバレていたのかもしれない。


「先ほどは取り乱してしまってすみませんでした。ちょっと気が動転してしまって」


 リズは頭を下げる。


「いや、あんな言われ方したら誰だってへこむよな。まあ俺だったら、『綺麗なのは顔だけか!』って言い返してやるところだけど」


 何とも反応しづらい冗談に、リズは「ははは」と合わせる。

 そんな反応を見たジェフリーは少し安心したのか、朗らかな笑みで言う。


「まあ、もこんな特殊な環境にいきなり放り込まれて大変だと思うから、何か相談があれば遠慮なく言ってくれ。必要なものとかがあれば調達してくるし」


 『お嬢』というよくわからない呼び方は置いておくとして……ジェフリーの言葉に興味を引かれるものがあった。


「必要なものですか……?」


 元々、物欲というものがほとんどないリズ。

 しかし、この状況を少しでも好転させるためにも、リズにはどうしても手に入れたいものがあった。


「それであれば、『錬金釜』を一つ調達してもらえますか?」


「……錬金釜? 別に構わないが、それって錬金術師が調合の時に使う道具だよな? お嬢は錬金術が使えるのか?」


「ええ。本当に趣味程度のものですけど」


「それは事前の情報にはなかったな。すぐに手配するよ」


 そう言って「じゃあ今日はもう遅いから」と、ジェフリーは扉に手をかける。

 しかし、何かを言い忘れたかのように、今一度こちらを振り向くと、いたずらっぽい笑みを浮かべて言った。


「将軍からの伝言。――『今度からは将軍閣下ではなくエラルドと呼べ』とのことだ」


「え、」


「確かに伝えたぜ。んじゃ、おやすみ~。また明日な」


 そうしてジェフリーはひらひらと手を振ると、今度こそ部屋を後にした。


 「干渉するな」と言っておきながら、今更「エラルドと呼べ」とはどういうお考えなのだろう。

 そんな疑問が頭を過るが、今日は移動からの挨拶と気を張り詰め通しの一日だった。


 さすがに体力の限界ということもあり、倒れ込むようにベッドに横になる。


「……エラルド、か」


 リズはエラルドの名前を口ずさんでみる。


 そんな言伝をわざわざジェフリーに託すくらいだから、やはりエラルドはそれほど悪い人ではないのではないかと思えてくる。


 何にせよ、せっかくの二度目の結婚。

 錬金釜は調達できるようだし、少しでもエラルドに認めてもらえるように、自分にできることを精一杯頑張ってみよう。


 そう心に決めて、リズはゆっくりと瞳を閉じる。


「……それにしても今日は疲れた」


 リズはすぐにまどろみの中に落ちる。

 けれど、この日は離婚後に毎日見ていた悪夢にうなされることはなかった。

 エラルドからの最後の伝言が冷え切った彼女の心をほんの少しだけ温めたことは、紛れもない事実だったのだと思う。

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