phrase29 『革命』の日

「さあ、あの世界で何が起こってんのか、知ってることぜーんぶ話してもらおうか?」


 いづ兄の、虎のような眼光に凄まれて、哀れな若者が「ひぃぃッ」と悲鳴を上げる。


「おっ、俺は何も! 俺が命じられたんは、あんたが無茶やらかしたらすぐに報告しろ、ってことだけなんス! だから雨の日も風の日も、草葉の陰からそーっと温かく見守ってたのに、その見守り相手に首根っこつかまれて引きずられるなんて、あんまりっス! 横暴っス!」

「よく言うぜ。ヘマやらかして別の組織に連れ去られそうになって、俺に助けられたのはどこのどいつだ? それもちゃんと全部報告したのか? あぁ?」


 どうやら、ここ最近のいづ兄の「外出」は、買い物でも息抜きでもなく、この人を捜してただけでもなく。

 わたしが知らない間に、ちょっと色々と物騒なアクションをかましていたらしい。


 いづ兄は、音兄のことを「口では勝てねえ」と言うけれど。代わりに音兄は、力ではいづ兄に決して勝てないのだ。


「仕方ないじゃないスかー! 俺は卵がちょっと監視向きなだけの、ただの一般人っス! あんたの卵みたいな危険な力は持ってないんス! だいたいあんた、兄貴に意見されなきゃまたあの世界に行こうとしてたっしょ! それがどんなに危険なことか、わかってんスか!?」


 いづ兄の眉が動く。


「ほー。ずいぶん俺んちの事情を細かく監視してくれちゃってたらしいな? 何がどう危険なのか、じっくりと教えてもらおうじゃねえか」

「む、無理っス! 話したら俺の首が飛んじゃう! 物理的に!」

「首? 首ってのはこれのことかぁ?」

「ぎゃひぃぃ! つかまないでぇ! しまる、折れるぅ〜!」


 いづ兄がまだ「本気」の十分の一も出してないのはわかるけど、ちょっとこの人が可哀想になってきた。


「いづ兄、いったん離して、ちょっとお茶でも……」

「どっ、どうしてもと言うなら、見返りをくださいっス! 交換条件っス!」

「ほー? 一応聞いてやろうか」

「そっ、そこのお嬢さんと、デート一回、とか……ぐぎえぇぇ!」

「首以外の場所もつかんで握りつぶして使い物にならなくしてやってもいいんだぞー?」

「いやあぁぁ!! それだけはご勘弁をーッ!!」


 いづ兄、脅しとなるとほんとに頼もしいなー(遠い目)。


 こうして、このいかにも弱そうな人は「見返り」なしでわたしたちに情報を提供する羽目になった――が、その内容は、話し手の外見を大きく裏切るような重いものだった。



 * * *



「今、あんためちゃくちゃ狙われてるんスよ! でも、ベンカーとかいうデッカいピアニストに憑依している間は誰も手が出せなかったっス。なんせあんだけデカくて誰もが顔知ってる有名人で、政府がオファーするくらいの重要人物だからっス。なのに、何でもない一般人に憑依し直したりしたら、あっという間に勘づかれて連れ去られて利用されまくって終わりっス!」


 まさに連れ去られそうになっていづ兄に助けてもらった人が、興奮気味にまくし立てている。首が飛ぶとか言いながらよくしゃべってくれるのは、わたしたちにとってはとてもありがたい。


 いづ兄がそんなに狙われてるってことは、ひょっとして連れ去られそうになったのはこの人だけじゃなくて……むしろ、いづ兄の方では? 問答無用でまとめてぶっ飛ばしちゃったのかな。


 いくらいづ兄でも、憑依してから狙われた場合、いつも同じように撃退できるとは限らない。憑依した誰かの身体に傷を負わせてしまう可能性もある。

 危険だとさとした音兄の言葉は、やっぱり正しかったんだ。


「下手したら、妹さんだって危ないかも――」

「だから何でそんなに狙われてんのかって聞いてんだよ!!」

「ぐぎゃぁぁ! ねじらないで切れちゃうーッ!!」


 いづ兄の「ねじり」に合わせて自らクルクル回転するさまは、まるでボールに乗って演技するピエロみたいだ。


「今、あの国が変わりそうなんス! ものっ凄い勢いで変革が起きてるッス! 間違いなく、近いうちに『革命』が起きるッス!」

「……革命?」

「あの世界での『革命』は、予測ではまだ十年は先だったはずなんスけど、裏で手を回して早めちゃった人たちがいるんス! あんたを狙ってるのは、それを止めたいやつらっス! あんたの憑依は、使いようで一国を動かすこともできちゃう力だからっス!」

「何だそれ? 誰が十年も早く革命なんて起こそうとしてんだ……?」


 いづ兄は真剣な顔で考え込んだ。


 誰かが国を、世界を動かそうとしている――


 わたしたちの世界で、過去に実際に起きた歴史上の大変革。わたしはこの数日の間に、ネットを介して調べていた。

 レヴィンさんを救うなら、あまりに閉鎖的で旧時代的なあの国の在り方自体、変えなければいけないのではないか。そう考え始めていたところだった。


 わたしよりもずっと早く、国を動かすことを考え、実行に移した人がいるのだ。

 リーネルトさんも言っていた。町で何かが起こっている気配を感じる、と。


「こいつはトップシークレットってことで、くれぐれも他言無用でお願いしたいんスけど――関わってるのは、少数の『飛揚ヒヨウ』メンバーと、最近情報顧問としてメンバーに加わった人っス」

「情報顧問……その人って、ひょっとして……ミラマリアさん……?」


 わたしが震え声でつぶやくと、ピエロさんはコクコクと勢いよくうなずいた。


「その人、自分の世界じゃ大国の軍情報部のトップを務めるほどの実力者らしいっス! たぶん最初に動き出したのがその人で、うまいこと『飛揚ヒヨウ』の幹部メンバーを味方につけたらしいっス。そんなわけで今大変な時期だから、あんたはしばらく世界を飛んだらダメっス。ここでおとなしくしててくださいっス。それが『飛揚ヒヨウ』と情報顧問からの指令っス!」



 * * *



「あんだけ脅しに弱くて口が軽いって、組織の監視役としてはどうなんだ?」と首をかしげつつも、役に立つのは確かなので、いづ兄は今後もピエロさんと繋がりパイプを持つことに決めたらしい。


 ピエロさんのたまごは「ステルスたまご」。文字通り、透明になってどこにでも侵入できるたまごだ。

「見守る」立場が逆転し、これからは弱そうなピエロさんをいづ兄が守ることになるのかもしれない。


 ピエロさんの言うことに間違いはなかった。言葉の通り、国の情勢は急速に進行していった。

 教会内部にまでは、外の喧騒けんそうは届かない。応接室の床下は相変わらず静まりかえっていたけど、三日後、ようやく牧師さんが駆け込んできたのだ。


 しばらく、どこだどこだと言いながら何かを探している様子だった。

 リーネルトさんは、牧師さんあてのメモを残して鏡のことを知らせると言っていた。音を出して知らせた方がいいのかな。


 しばらくすると、もう一人誰かがやってきた。

 フェルザーさん。いづ兄がお世話になっている、工房の親方だ。


『牧師さんか? さっきから何を探してるんだ?』

『ああ、フェルザー、楽譜を整理しなければと思って慌てて来たんだよ。もっと散らかってるもんだと思ってたんだが。失くしでもしたらレヴィンに申し訳ないからね』

『あの助手の子が片付けたんじゃないか? それより、今大勢が大移動を始めてるぞ。みんなが揃いも揃って国境を目指してる。この国はどうなっちまうんだ? 牧師さんは大丈夫か?』

『わかってるよ。私もこれから国境へ向かうところなんだ。うまくいけば、二十年ぶりに息子に会えるかもしれないんだ!』


 その後いくつかの会話を急いで交わし、牧師さんは教会を出ていった。


 大勢が国境を目指している。それは『革命』の予兆に他ならない。今、国民が怒涛どとうの勢いで動き始めているのだ。


 一人残されたフェルザーさんは、ドタドタと勇ましく足音を立ててこちらに近づいてきた。

 床板が外され、久しぶりに鏡に光が入る。


『よっと。メモにあった鏡って、これか?』



 * * *



 鏡を床下から拾いあげてくれたのは、フェルザーさんだった。


「フェルザーさん。また姿が変わっちまって申し訳ないけど、俺、伊弦いづるです」


 いづ兄がぺこりと頭を下げる。

 かつて「知らないおじさん」の姿で工房のお世話になっていたいづ兄は、その後ピアニスト・ベンカーの姿でパイプ製作に参加し、今度はこちらの世界で本来の姿に戻った。工房の人から見れば、とんだお騒がせ男だ。


『あれ、イヅルなのか? 前ゲネプロでここに映ってたのは、スマートなピアニストの兄さんじゃなかったか?』

「兄貴は今仕事で海外に出てるんで、代わりに俺がこっちに戻ってきたんです」

『不思議なことがあるもんだなあ。この、テレビみたいな鏡自体も、十分不思議なんだけどな』


 フェルザーさんは、鏡を持って教会の外へ出た。

 今、国が大きく変わりつつある。教会にも知らない人間が多数押し寄せるかも知れないから、ひとまず工房で鏡を預かる、と言ってくれたのだ。


 この世界で、教会の外に出るのは初めてだった。

 教会から続く、ごく普通の町の景色は、噂通り大勢の人間たちに埋め尽くされていた。


 道路には、見たこともないような古い型の乗用車がどこまでも並ぶ渋滞列。大きな荷物を持って、黙々と歩く人々。新聞紙などのゴミが風に舞う道を、みな、国境を目指して一様に同じ方向へと進んでいく。


 フェルザーさんが人の波をくぐり抜け、ようやく工房に着くと、まず目についたのが巨大なパイプの数々だった。次に、骨組みのような何かの部品。美しい木製の枠の中に、見覚えのある意匠いしょうを見つけ、胸が高鳴った。


「オルガン! やっぱこっちに運んでくれてたんスね!」

『ああ。政府はもうオルガンどころじゃないから差し出す必要はない、ただ、念のため解体と保管を工房に頼みたい――と、ある人に頼まれたんだよ』

「ある人って、ミラマリアさんって名前ですか?」

『そういやそんな名前だったかなあ』


 ミラマリアさんが、手を回してくれた。

 国を動かし、政府の目をらして、オルガンを救ってくれたんだ。


 誰よりもいづ兄がすごく嬉しそうだった。

 感激のあまり、いづ兄はしばらく下を向いたまま動けなかった。「よかった……」と、今にも消えそうな、小さな声が漏れた。


 国が変わる。

 世紀の瞬間が訪れたのは、早くもこの日の夜のことだった。


 興奮の叫びが、工房の内部にまで届いた。

 踊るように窓の外を駆けていく大勢の若者たちを眺めながら、フェルザーさんは、たくさんのパイプや機械に囲まれた場所で、一人でテレビのニュースを眺めていた。

 テレビの画面では、ニュースキャスターが興奮気味に何度も同じ言葉を繰り返していた。


『国境封鎖が解除されました! 国民は出国・入国共に自由に国境を越えることができます! 繰り返します――』




 * * *



 一週間後。


 音兄おとにいが家に帰ってきた。約束通り、大急ぎで駆け込むように帰ってきてくれた。


 わたしは大学に行き始めた。

 拘置所に入れられていた人たちが解放された、とフェルザーさんに聞いたからだ。


 一刻も早くレヴィンさんに会いたいけど、まだすぐには会えないという。怪我はないが衰弱しているため、病院で点滴治療を受けているそうだ。


 国が大変革を遂げてから一週間。まだ、国全体がどこもかしこもゴタゴタしていて、病院もかなりの人手不足らしい。おかげで入院が長引いているが、若いこともあって回復は早いという。


 フェルザーさんや牧師さん、他の工房の人たちにも支えられて、レヴィンさんは今、安全な場所にいる。

 そう思うだけで、ずっとわたしの体に蓄積されていた重いものが、少しずつ体の外へと押し流されてすうっと消えていくのを感じる。長く止まっていた新陳代謝が、ようやく再開したような気がする。


「もう鏡を持ち込んでも大丈夫」と判断したフェルザーさんが、面会へと連れていってくれた。

 私は二人の兄と一緒に鏡の前に並び、祈りながらその時を待つ。


 病院の中は予想通り人が多く、みんな忙しそうに動き回っているけど、ちゃんとした清潔そうな場所だった。牧師さんのはからいで綺麗なベッドを確保できたと聞いて、ほっとする。


 レヴィンさんは、ベッドの上で上半身を起こして枕にもたれかかり、牧師さんや教会の人たちと談笑中だった。


 良かった。思ったよりも元気そう。

 眼鏡のない目元が、前よりもやつれてるように見えるけど。髪が無造作に切られてしまってるけど。

 ちゃんと、生きてる。笑ってる。

 少し外見が変わっても、穏やかな笑顔はレヴィンさんのままだ。


『……リネさん?』


 フェルザーさんが鏡を前に差し出して、優しい声がわたしの名前を呼んだ時。


 わたしは、何も言えず、その場にくず折れてしまった。

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